バスラーの白い空から
『バスラーの白い空から』佐野英二郎(青土社/ 1992)に収録された主な文章はつぎの五編である。
わがセバスチャン
西アフリカの春
セバスチャンが死んだ日
バスラーの白い空から
サン・セバスチャンに雪の降る夜半
「セバスチャンが死んだ日」をのぞくと、残りの四編は詩人の高橋順子さんの編集する「とい」に1989年から1991年にかけて発表された。いずれも静かにこころの底に沈んでくるような文章だ。大企業のなかで仕事の成功も失敗も知り、家庭の波風も、ひとびとの浮き沈みのさまもいやというほど見て来た人間が書く文章とはこういうものだろうか、という感慨を抱いた。
本書の出版には中村稔さんが大きく関わっているらしい。少し長くなってしまうが「後記」をひく。
本書の著者佐野英二郎はさる七月五日喘息の発作のため急逝した。一九四四年(昭和十九年)たがいが十七歳のときに知り合って以来、ことに最近の十余年の間、佐野は私にとってもっとも大事な友人のひとりであった。
はじめて彼に会ったころ彼は早稲田大学付属第二高等学院、いわゆる第二早高の学生であった。その後海軍にはいって人間魚雷「震洋」に乗りくむべく訓練をうけ、川棚突撃隊に配置されたが、出撃の日は訪れることなく、終戦を迎えた。終戦後、早稲田大学に復学し、一九五二年(昭和二七年)に同大学商学部を卒業、商社に入社した。そして商社員として三十七年間を過ごしたが、そのほぼ半ばにあたる年月を海外各地で勤務した。
「とい」に掲載された旧友の文章を読んで、中村さんは「吃驚し」「感動し」たと書いておられる。
佐野が文学を愛し、文学に造詣がふかいことは知っていたが、彼自身がこういう文章を書くとは私には思いがけないことであった。こうした作品を十編ばかり書いて本にするように中村さんはすすめ、本人もそのつもりであったが、胃癌の手術後の体力の衰えや多忙から、「とい」への発表は四編だけで、書き続けることがもはやできなかった。佐野の死後、中村さんはこれらの文章を本にしたいと思った。他に発表されたもの、むかしの文章も加え、こうして一冊の本とする分量になった。すなわち、本書は中村稔という詩人の「亡友の文章をぜひ未知の読者にも読んで頂きたいという」「切実な願いに出たものである」。
だが、それだけではないだろう。
ここには、戦後復興とそれにつづく高度成長を支えてきた「戦士」の最良のものがとらえられているし、少年時代に溢れていたこの著者の柔らかな抒情を、死に向き合ったとき、やっと自分にゆるした、といった哀しみがある。
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コメント
TBありがとうございました。ようやくこの本を語ってくれる人が出てきたことがとてもうれしいです。私が始めてこの本を知ったのは、出版されてから半年経った頃でしょうか、日経新聞の日曜書評欄に、執筆者が月ごとに交代する小さなコラムがあり、須賀敦子が担当の時、この本をとりあげ、そのまれに見る文の素晴らしさを激賞したことがきっかけです。もっと、巷間に知られるべき本だと思います。
投稿: renqing | 2005/12/02 05:55
renqingさん こんばんわ。
わたしもこの本の中では、自分と同じ海軍出身者ではないかと著者が感じ、しかし、おたがいそのことにはいっさい触れずに友情を深めるスウェーデン技師との交遊がとても印象的でした。
ほんとうにいい本ですよね。
投稿: かわうそ亭 | 2005/12/02 22:14