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2005/11/29

遠い音

deafening『遠い音』フランシス・イタニ/村松潔訳(新潮社/2005)は、二十世紀初頭から第一次世界大戦が終わる頃までを時代背景にした長編小説。プロローグはデザロントというカナダ東部の小さな町の祖母と孫娘の会話から始まる。

「おまえの名前だよ」とマモが言った。「これは大切な言葉なんだ。名前が言えれば、自分がだれか世間に教えられるからね」
主人公のグローニア・オニールは五歳のときにかかった猩紅熱のせいで聴覚を完全に奪われた。自責の念にかられる母は信心にすがり奇跡を祈るが、父親は娘が耳が聞こえるようになることはないと悲しみをじっとこらえている。医師の診断は疑いの余地はなかった。
しかし学齢期に達したグローニアに「言葉」を与えてやらなければならないと、はっきりと現実をみつめ、冷静にできることをやろうとしたのは祖母のマモだった。自分の口のかたちを繰り返し見せ、唇や喉に指をあてさせてどんな風に振動しているかを感じさせる。何度も何度もグローニアに発声練習させ正しい発音に近づけていく。絵本を与え、言葉と音をつないでいく。
年の近い姉のトレスもまた、妹に周囲で起こっていることを伝える役割だ。
だがそれだけではない。
眠るときに暗闇を怖がるグローニア(音のない世界の暗闇が小さな子供にとってどんなものであったかと想像するとわたしの胸はつぶれる)のために布切れや下着などを結びあわせてロープをつくり、端と端を足首にくくりつけてぴんと張り、グロニアが恐いときはロープを足で引けばトレスが応えてやれるようにしてやるのだった。本書には、たくさん印象的な場面があるが、もしどこが一番好きかと訊かれれば、わたしはここのシーンをあげよう。
守られ、愛され、自分は決して裏切られることはないという信頼が(たとえかりそめのものであったとしても)人生の初期の体験としてある人間は、成長しても、おそらく「うまく」やっていくことができる。本書を読むとそんなことを考える。

家族にとってもつらいことだったが、普通の学校では彼女の学力をのばしてやることができないため、グローニアは寄宿制のオンタリオ聾唖学校にゆくことになる。我流の手話や発声でもすべてを理解してもらえた家庭から切り離されたとき彼女は二週間泣きつづけた。泣きやんだとき、もう二度と泣かない、と心に誓った。その後は学校にとけ込み、正式の手話をまるで体の一部のように身につけ、耳は聞こえなくとも、口の動きで相手の話をきちんと理解し、自分の声をコントロールして会話をすることもできるようになる。七年後、聾唖学校を卒業したグローニアは学校付属の病院の看護婦となり、そこにやってくる医師の助手であった若者と恋に落ち、結婚する。
——というところまでが、じつは本書の三分の一なのだ。
夫となったジムはすでにヨーロッパへの出征がきまっていた。これ以降の小説は、大西洋をはさんでヨーロッパの西部戦線で担架兵として激戦をくぐるぬけるジムと、故郷でジムの無事を祈り待ちつづけるグローニアのパートが交互に語られる。一方は音のない静謐な祈りの世界、一方は戦場の阿鼻叫喚と大音響の地獄の世界。このふたつを並べて、作者はこの時代に生きた人びとの息吹をみごとに伝えている。
時間をかけて隅々まで丹念に語られた力強い作品だ。
長編ならではの読みごたえ十分。

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コメント

かわうそ亭さん、「遠い音」紹介への長文のトラックバックありがとうございました。この文章を拝見しただけでも、本に対する深い読み込みがあり、優れた文章の書き手であろうと察しられます。今後も本、映画などのすぐれたものを紹介していきたいと思っています。ありがとうございました。

投稿: (株)ニホン・ミック編集部 | 2005/11/29 17:54

姉妹のロープのシーン、ぼくも大好きです。
食器割りのシーンなんかも。それまで少し姉妹関係がギクシャクしていたこともあって、ここは涙が出そうになりました。
TBありがとうございます。
多くの人に読んでもらいたい小説だと思いますが、正直、日本で一般的に好まれている読書傾向からすると難しいんでしょうねぇ。

投稿: 日々雑記~活字と映画の日々 | 2005/11/29 20:09

(株)ニホン・ミック編集部さま
日々雑記~活字と映画の日々さま
コメントありがとうございました。この本は、派手さはありませんが、たいへん読み応えのあるいい本でしたね。
いま、たしか新しい長編もイタニは書いているらしいので、いまから楽しみです。

投稿: かわうそ亭 | 2005/11/29 20:55

こんにちは。
私も「遠い音」を読みまして、ほとんど戦争のお話が前面に出ていたので、こちら様の内容を拝見しまして、別の見方に気付かされました。
TBさせていただきます。よろしくお願いします。

投稿: 北風 | 2005/11/30 20:47

こんばんわ。コメントありがとうございます。北風さんの『遠い音』に関する記事、拝見いたしました。戦争のパートについてですけれど、わたしは、やはり10代、20代の若者が戦争にロマンチックな憧れを抱いて、なんとしてでも戦場に赴きたいと思うところが切なかったですね。わたしにも思い当たる。たぶん、これから先も若者は戦争に行きたがるでしょうし、政治家は安全な場所にいてかれらを利用し尽くすことでしょう。

投稿: かわうそ亭 | 2005/11/30 22:27

当方の手違いでトラックバックが重複しております。削除されてください。

投稿: 烏有亭 | 2005/12/04 12:05

烏有亭 さん
TBありがとうございました。重複TBは、お互い様で、どこでもよくあることですから、どうぞ気になさらないでください。

投稿: かわうそ亭 | 2005/12/04 16:34

図書館で借りて読み始めました。
ロープを作ってこれで何をするのか、一日中楽しみにしているグローニアもとってもかわいかったです。私も何をするのかなぁ…と思いながら読み
お互いの足を結んで寝るのだと知ったとき涙が出そうになりました。クリスだって幼い子どもであるのになんという優しさでしょう。
母親のおろかにも見える振る舞い(なべのふたを落とすところ)も、身をもって共感できます。
客観的にはなれないのです。おろかに見えても必死なのです。
まだ100ページ位です。

投稿: mimo | 2005/12/09 00:32

こんばんわ。
母親の鍋蓋のエピソードもなんかかなしいけれどよかったですね。肉親の情愛というのはありがたいものだと思います。

投稿: かわうそ亭 | 2005/12/09 21:00

読み終えました。
とてもよかったです。
この本を読み終えた後では、以前の最後のveteranが亡くなったニュースも、christmas truceの話もいっそう感慨深いですね。

投稿: mimo | 2005/12/17 23:56

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» 遠い音 [烏有亭日乗]
『遠い音』(フランシス・イタニ著、松村潔訳、新潮社)を読む。 私たちの外界から入ってくる情報の窓口である五感の一つである聴覚は、視覚と並んで特に大きな位置を占めているが、視覚とて比べて触覚(皮膚感覚)との結びつきが大きい。視覚と違って、聴覚は「ものの震え」である音を私たちに伝え、それは直接私たちの内面に「触れる」。幼いころ猩紅熱の後遺症によって聴覚を失い、音のない世界で生きる主人公のグローニアは、失てわれた聴力を皮膚感�... [続きを読む]

受信: 2005/12/04 11:30

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