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2006年1月

2006/01/31

言論の自由と白髪抜き

基本的人権と安全との間のどのあたりに線を引くかという問題は、なし崩しに安全の側に傾きがちだ、と前回書いた。
しかも、こういう議論になると、いつも出てくるのが、わたしは別に悪いことしてるわけじゃないから、監視カメラも気にならないし、仮に携帯の通話を聞かれたってかまわない、という意見であります。nsa
また『チャター』という本にもあるが、たとえばNSA(National Security Agency)なんかがやっている全情報認知というレベルになると、これはもう三十分ごとに百万件くらいのデータをスキャンするというのですね。(ホンマかね)そのなかで電子フィルターで識別されるのは六千五百件ほど。その六千五百のほとんどは、機関の言う「要転送」ではないので、そこで千件を残してあとは捨てられる。そしてその千件のなかに分析を要する情報がひとつあるかどうかというような世界であるらしい。つまりどう考えても、一般市民の携帯の通話やら、eメールはたしかにスキャンはされるだろうけど、一瞬で捨てられる筈である、ト。つまり、そういう電子的なフィルターに、自分の通話やeメールや、それからクレジット・カード決済なんかかけられることで、プライヴァシーが侵されるなんて心配するのはパラノイドだよ。だれもあんたのしょうもない隠し事なんかに興味は持たないってば、というわけであります。
ま、そうかも知れない。

ところで、話はかわるが、先日ご紹介した「はてなのブクマ」には、タグという機能がついていて、それを使うかどうかは、ユーザーの自由なんですが、使うと面白いので多くのユーザーがこれをオンにしておられる。(わたしも使っております)
このタグは、自分が興味をもってブックマークした記事などに、自由にキーワードをつけて行くという仕掛けです。そうして、自分がいったいどういうタグをつけていったのかが表示されるのですが、実際に見ていただければわかるように、大きさが段階的に変化して、よく使用するタグほど大きく表示されます。事実はどうあれ、その人のこれまでの興味関心がどういうものであったかが、一目瞭然という感じで表される。そうかオレってこういうものに関心があったのか、と根が素直なわたしなどは、あらためて感心したりするが、もしかして多くのユーザーは、このタグ欄からなんとなく見えてくる一種のプロファイルと、従来の自己イメージとが微妙に食い違っていることに違和感を覚えるのではないかという気もする。
で、こういう自分のプロファイル(自己イメージとは違うが、もしかしたら客観的にはより正確な)をせっせと自分で創出して、わざわざお知らせしているというのは、しかし、考えてみれば気楽な話ではあるよなあ。(笑)

たかだか60年前までは、我が国は国家による検閲と監視が当然のとこととされていた。憲兵やら特高やら治安維持法をつねに念頭において本心を不用意に表に出さないのが大人の知恵であった。人権無視の強力な思想統制と検閲による統治は、いまの中国や北朝鮮を軽蔑するときの日本人の拠り所だが、なにあれはもともとこっちが本家なのである。
わたし自身は、いまの日本がすぐにでも戦前のような思想統制をするだろうとは思わないが、たとえば政権交代の可能性があるときなどに、選挙協力の見返りに、政権の座にある人間が巨大政党の母体である宗教団体などに、なにかのリストやら、あるいはその団体の批判派を黙らせるネタをわたすことはある(あるいはあった)だろうな、と思う。

基本的人権と安全との間のどこに線を引くか、やはりどんなささやかなプライヴァシーであっても、安全のためにという理由で、それを気楽に明け渡さないほうがいいんじゃなかろうか。
そのための方法論。白髪抜きの法則。
知り合いの話(わたしではない)です。白髪が目立つようになったその方は、はじめは自分で抜いていたのですが、鏡で見えないところが気になるので、子供を呼んで、一本なにがしかで抜いてくれと言っていた。ところが、ある日、子供がこう叫んだのだそうです。
「お父さん、もうだめ、これ以上抜いていたら、禿げちゃう!」
権力者に目障りな言論は、きりがないほどあるのがよろしい。言論の自由は、自由な言論によってこそ守られる。

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2006/01/29

盗聴と監視

今日の話は一昨日の続き。

『チャター』の訳者である冷泉彰彦さんは、メールマガジン「JMM」の寄稿者の一人ですが、そのメールマガジン『from 911/USAレポート』の第230回は、昨年末に上院でもめていた「愛国法」の話題であります。そして、このレポートはまさに『チャター』で追求された諜報組織による大規模な盗聴や電子的監視の今日的な実態を伝えている。能天気なわたしなどは、そうかアメリカはいま戦時なんだなあと、いまさらながら驚いたりするのでありますが、面白い報告なので、ぜひ実際にお読みいただきたい。愛国者のゲーム【ここ】

さて、この愛国法の関連で問題なのは、いうまでもなく自国民の監視を、権力は法的な手続きをパスしてやってもいいかどうかということですね。

まあ、正面きって聞かれれば、令状なしにはそんなのダメだよモチロン、とわたしは答えるけれど、しかし、どうせ公安は令状なんかなくても毎日やっているに決まっているし、(白状してしまえば)それを声高に非難しようともあんまり思わない。

もちろん権力による市民の盗聴や監視はすべて悪である、というのも、ひとつの立場ではある。しかし、率直に言って、たとえ破防法で指定された団体ではなくとも、あやしいカルトの動向は正確につかんでおいて欲しい。無辜の少女を拉致した工作員の外道どもを公然と支援してきたみなさんが、基本的人権を持ち出して自分たちのプライヴァシーの神聖不可侵を申し立てられても困ってしまう。子供を嗜虐的な性的な対象にしたり殺人願望を膨らませているような変質者はちゃんとブラックリストにしておけよと思う。

だからこの問題のポイントは、たぶん基本的人権と安全のどこに線を引くかということなんですね。そして、上に述べた例で、なかなか反論が難しい(だろうとわたしは思うのだが)ように、往々にして話はなし崩しに安全の側に傾いてしまうのであります。
——というところで、眠くなったので、今日はここまで。
「はてなのブクマ」につながっていないので、まだつづく。

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2006/01/27

「はてブ」であなたもスパイマスター

「はてなのブクマ」について書こうと思うのだが、どうもうまく考えがまとまらない。
たぶん、自分自身の足元が定まらないからだろう。
実際には面白くてハマってしまっているのだが、これは不毛だなあ、という思いも消えないのだ。まあ、ハマってしまうものというのは、もともとそんなものかも知れない。

「はてなのブクマ」を使っておられない方は、例としてわたしのものを見ていただければと思います。【獺亭のウェブ付箋】

これ、どんな風に使うかというと、ウェブ上で何か面白い情報を見つけたら、とりあえずなんでもいいからボタンを押してこの「はてなのブクマ」に放り込んでいくのですね。なんだそれなら、自分のパソコンのブラウザーにブックマークがあるじゃん、そんなこと前からやってるよ、と思われるかもしれないが、このサービスのミソは、自分がこつこつ情報を集めるということ以外にも、ウェブ上にみんなのブックマークが公開されているので、他の人が面白いと思って集めた情報を、らくらく頂戴できるという仕組みにあります。まあ言えば、情報のピンはねみたいなものか。むしろ、こちらの方が主流だと思えば間違いがない。(各人のブックマークを共有するのでこれをソーシャル・ブックマークと呼ぶ)

はてなの場合はこれが簡単にできることに加えて、規模が大きいことで、個人が行うウェブ上の情報収集が劇的に変化します。大げさに言えば、量が「質」に転化する瞬間を目撃したような気分を味わえるのですね。(これが面白いと感じる最大の理由だと思う)

この「はてなのブクマ」は、たとえて言えば、自分が諜報組織のスパイマスターあるいは情報分析官になったようなものだと言うとわかりやすいかも知れない。重要なことは、あなた自身が現場で(つまりネットサーフィンして)情報を集めることではなくて、どのエージェントが使える奴なのかを知っておくことなんですね。
「はてなのブクマ」では、「お、この人、面白い情報を集めてるぞ」というのを見つけたら、その人のタイトルの横にあるドアのアイコンを押してやると、その人が毎日せっせと集めている情報が、あっという間に全部取り込める仕掛けになっています。
はてなでは、これを「お気に入りユーザー」と呼ぶのですが、自分の好きなようにお気に入りユーザーに入れたり、外したりできるのですね。つまり、さきほどのスパイのたとえで言えば、好きなようにエージェントを雇い入れたり、クビにしたりできるのであります。

ところがだ、よく考えて見ればわかるけれど、このスパイマスターとヒラのエージェントの関係は、たまたまわたしから見たら、あたかもわたしがスパイマスターでいろんなエージェントを配下にして情報収集をしているような形ですが、それぞれのエージェントのみなさんも同じように、だれかをエージェントにして情報収集を行っているスパイマスターなのであります。つまり、鳥瞰図でみると、ほとんど全員がだれかを使って情報収集をしている諜報網という構図になる。これは典型的なネットワーク型の組織ですよね。でも、主観的には、あくまでわたしがトップなんですな。この錯覚(スパイマスターになって有能なスパイが集めてくる情報を最終的に分析し評価してる)が滑稽なんだけど、なんか楽しいのね。

しかし、実際にこのお気に入りユーザーに数人のヘビー級の情報収集家(一日数万件のアクセスがあるようなブログをアルファー・ブログなんて言い方をしますが、はてなのブクマの世界でもアルファー・クリッパーと呼ばれる大物が何人もいらっしゃるらしい(笑))を選ぶと、とんでもない量の情報が押し寄せることになります。まあ、自分のパソコンの中に来るのではなくて、あくまでも「はてな」のサーバーの中に溜まるだけですから、鷹揚に、わたしは上澄みだけをいただくわ、と言いながらつまみ食いをすればよろしいのですが、いささかうんざりするのも事実であります。
また、そこに集まる情報というのも、結局はお互いの「スパイマスター」ごっこですから、大半の情報もループになってしまっているし、とくにブログの記事というのは自己言及型のものが多いので、情報も偏ったものになっている。結局、ほんとうに面白いネタはどこにあんねん!ということになるのでありますね。

ということで、状況はごっこならぬ本物の諜報組織の悩みに近くなる。

これは非常に単純な原理であって、情報を集めれば集めるほど、集めた情報に意味を見いだすのが難しくなるということである。一九九九年の七月に、上院情報監視委員会の民主党側の上席委員を務めていたボブ・ケリーは、上院本会議のスピーチで、「問題は干草の山の中から一本の針を探すことが難しいのではなく、その干し草の山がどんどん大きくなって探す作業が困難になっていること」だと言っている。
『チャター』パトリック・ラーデン・キーフ/冷泉彰彦訳(日本放送出版協会/2005)

この『チャター』は副題を「全世界盗聴網が監視するテロと日常」という、なかなか興味深い本です。この本の知見と、「はてなのブクマ」をめぐって、もう少し話を続けようと思っています。
――ということでこの項、続く。

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2006/01/21

絶望のスパゲッティ

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仕事帰りにブックオフで『アーリオ オーリオの作り方』片岡護(集英社文庫/1999)を見つけた。
この本、一昨年に極東ブログさんの書評(2004.7.22)を読んで以来、長いこと気に留めていたのだが、こういうかたちで思いがけずふっと目の前に現れるとちょっとうれしい。
著者の片岡さんという方はリストランテ「アルポルト」のオーナーシェフ。(お店のホームページはこちら)

ウェブでこの本を検索すると、いろんな方が、これいいよね、と書いている。
たしかによいですね。
まず、文章がよい。あとがきによれば、本書は片岡さんが語る内容をフードジャーナリストの大本幸子さんが文章にまとめてできあがったようなのだが、その語り口が読んでいて気持ちいいのだな。たとえば、こんな具合。

カッペリーニというとても細い麺があります。あれは素麺のテイストです。無理してソースに合わせるより、スープ仕立てにするほうが向いているような気がしました。コンソメスープに入れたら、とってもうまい具合にできあがった。うちの店では通称をねぎラーメンといいます。
イタリーの人に出したら、喜びました。
「おお、料理をつくる日本の人よ。これはなんですか?」
「おお、パスタの国の人よ。これはあなたのお国のパスタをねぎラーメンにしたのです」
「おお、うどんと蕎麦の国の人よ。あなたはイタリーのパスタを中国のスープ麺にしたのですか?」
「おお、イタリーからの旅人よ。どうだ、旨いだろう」
実際にこういう会話があったわけではありません。
でも、旨いと思います。いつか僕の店にいらっしゃる機会があったら、ぜひ召し上がってみてください。おすすめです。
第二に、料理の本というのは、あんまり本格的なものだと、わたしみたいなめんどくさがりは、実際にこれつくってみようかな、などとはまず思いもしないものだが、本書の場合は、ふーん、じゃあ一丁つくってみっか、なんて思ったりする。(まだつくってないけど)レシピはごく簡単で、あんまり細かいことは気にしない、気にしない、なんて感じで、いかにもイタリー風。(なのか?)
第三に、著者の料理人になったきっかけなどがさらっと書いてあるのだが、この自伝めいたところが、また、いいかげんなような、はたまた一編の人情ドラマのようないい味を醸し出している。
そして最後に、空腹時にこの本読むと、ホント、腹減ります。(笑)

「アーリオ オーリオ」とは一度聞いたら忘れないような名前だが、アーリオはにんにく、オーリオはオリーブ・オイルのこと。
イタリーの人は、アーリオ オーリオがあまりに簡素で、材料も最低限のものしか使わないところから、絶望のスパゲッティとか、夢も希望もないスパゲッティとかいってました。
にんにく。オイル。パセリ。赤唐辛子。これっきり。贅沢なものはなんにもない。ああ、これではもう絶望だ……。という意味合いを持たせたものです。

image06この本を読みながら思い出した映画があった。「マーサの幸せのレシピ」というドイツ映画。母親を亡くしてものを食べなくなった少女リナの前で、マリオというイタリア人の料理人が「賄い」で自分用のスパゲッティをつくる。ごくざっかけなスパゲッティで、大盛りになって湯気をたてているそれを、これまた、ズルズルと音をたてて豪快に食べている途中でふと用事を思い出した思い入れとともに、皿(それともフライパンだったかしら)を少女に預けて、一言。
「ちょっとくらいならいいけど、全部食うなよ、オレんだから」
もちろんリナはあんまりおいしそうだから一口すすって、やめることができず、全部食べてしまう(そしてふたたび子供らしく生きるきっかけをつかむ)という、とっても素敵な場面。いやあ、なんともうまそうなスパゲッティだったが、もしかしてあれはアーリオ オーリオだったのかなあ。もしそうなら、少女の絶望を絶望のスパゲッティが救ったことになるな。

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2006/01/18

『作者を出せ!』

4560047979『作者を出せ!』デイヴィッド・ロッジ/高儀進訳(白水社/2004)は、ちょっと変わった題名だが、これは初日の舞台などで幕が下りたあと、興奮した観客がカーテンコールで作者を舞台上に呼び出すかけ声である。原題は "Author, Author"。主人公はヘンリー・ジェイムス。小説家として大西洋の両側ですでに地歩を固めていた作家が、ロンドンの演劇界でも大成功をおさめることができるかどうかという、1890年代の物語が中心になっている。「ほとんどすべての出来事は事実にもとづいている」という作者の弁が冒頭に置かれているように、ヴィクトリア時代末期の世相や文壇、劇壇などの様子をうかがう参考書にもなるような作品だが、もちろん、ロッジのことだから、たくみに仕掛けられた愉快な(しかし決して軽くはない)小説でもある。後半になると、まだ少女時代のヴァージニア・ウルフや幼いアガサ・クリスティなんかの名前も出てくるので、ゴシップ好きにはたまらない。(ただし出てくると言っても、物語のなかではほとんどエキストラみたいなかたちなので念のため)

さて本書のなかでは、わたしはヘンリー・ジェームスの親友として描かれているジョージ・デュモーリエの一家のことが一番面白かった。
本書のなかではジョージ・デュモーリエは、はじめ「パンチ」の挿絵画家として登場する。はじめという意味は、のちにかれは小説を書いて、これが当時の大ベストセラーとなるからだ。小説の題名は『トリルビー』といい、いまでは読む人もあまりないが、登場人物のスヴェンガリ "Svengali" は、英語の辞書にものって英語圏の人間なら誰でも知っているようなキャラクターになっている。

ところでデュモーリエ(du Maurier)という名前を聞くと、映画好きの人やミステリ・ファンなら、ヒッチコック映画の「レベッカ」や「鳥」の原作を書いたダフニ・デュモーリエとなんか関係があるの?、と思われるかもしれない。ダフニの父はサーの称号を得た役者のジェラルド・デュモーリエで、ジェラルドはジョージ・デュモーリエの五人の子供の末っ子である。つまりダフニは孫娘にあたるわけだ。

本書のなかで、ジョージ・デュモーリエ一家の様子はたとえばこんな風に紹介される。

「濃やかな心遣い」と題したその絵は、裏庭にいるデュモーリエ家の子供たちを描いたものだ。背の高さと歳の順に縦に並んでいる子供たちは先頭のトリクシー以外、前にいる者のスカートや上着の裾を掴んでいて、トリクシーがママに、こう説明している。「あたしたちは鉄道ごっこをしているの。あたしが機関車で、ガイが一等車で、シルヴィアが二等車で、メイが三等車。そうしてジェラルドも三等車なの——そう、ジェラルドは本当は無蓋貨車なんだけど、ジェラルドにそう言っちゃいけないの、怒るだろうから」

ジョージ・デュモーリエの「パンチ」に載せた挿絵は、ウェブ上でたくさん見ることができる。(たとえばこちら)しかし残念ながら、いまのところこの「濃やかな心遣い」はネットでは見当たらないようだ。124かわりにトリクシー(ビアトリックスの愛称)とシルヴィアらしき少女と母親(エマ、一家の愛称ではペム)の絵を載せておこう。父親の愛情がこもったいい絵だな。まあ、いかにもビクトリア時代という感じではあるが。

この姉妹のなかでは長女のトリクシーが「掛け値なしの」美人だったが、シルヴィアも思春期を過ぎたころから「蠱惑的な、ほんの少し歪んだ微笑を浮かべ、両目の感覚が広い大きな灰色の瞳をした際立って魅力的な若い女になった」。
じつは、このシルヴィアというのはこういう人なのだな。物語の最後の方で、成長したデュモーリエの子供たちのことが語られる。

「いいとも。そうあの子たちはシルヴィア・ルウェリン・デイヴィスの息子たちだった——シルヴィアというのは、ジョージ・デュモーリエの娘さ」(中略)「シルヴィアは法廷弁護士のアーサー・ルウェリン・デイヴィスと結婚し、五人の息子を儲けた。バリーは、ケンジントン・ガーデンズで、ごく幼い上の二人の息子に出会った。乳母も一緒だった。そうして、その二人の息子が気に入った。物語を聞かせたり、冒険ごっこを一緒にしたりした。——『ピーターパン』の着想はそうやって得たんだ。バリーは間もなくデイヴィス一家の親友になった。バリーには子供がいなかったのさ——でも、それは別の話だ……」

昨年ジョニー・デップがバリーを演じた映画「ネバーランド」は、観ていなかったので、ビデオで観てみることにしよう。

最後に、ジョージ亡き後の、デュモーリエ一家の子供たちと母親のことを補足しておく。上記の引用に続くかたちでこういう会話が本書にある。1916年、第一次大戦のさなかのことだ。

「……ルウェリン・デイヴィス一家は、彼にとっては一種の代理家族になった。万事順調だった、アーサーが四十代で、恐ろしい顎の癌に罹るまでは。アーサーはぞっとするような手術を受けたあと、死んだ。すると、シルヴィアもたった数年後に、やはり癌で死んだ。そこでバリーは五人の孤児の後見人になった。子供たちを溺愛し、イートン、ケンブリッジにやり、何でもしてやった……長男のジョージは去年の三月に戦死した。狙撃兵に撃たれて。二十一だった。シルヴィアの兄のガイ・デュモーリエが戦死してから、たった一週間かそこいらだった——同じ前線で。ガイは職業軍人だった、中佐だった。気の毒なエマがそれを知らずに死んだのは、いいことだった」
「エマ?」アリスは、知らない名前が次から次に出てくるので戸惑う。
「デュモーリエの未亡人。エマは、長女と次女が自分に先立って死ぬのを見た——シルヴィアとトリクシー。ふたりとも可愛らしい娘だった。ガイとジョージ・デイヴィスまで死んだのを聞くまで生きていれば、あまりに残酷なことだったろう。しかし、エマ自身も去年の夏、死んだ」ゴスは溜め息をつく。灰色の口ひげの端が、その物悲しい話に同情したかのように、いついまでも垂れ下がる。「悲劇の一家さ、一家の誰もが、若い時はどんな陽気で活溌だったかを考えれば、とりわけ(後略)」

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2006/01/12

トロンハイムの運河を行けば

今年の歌会始のご様子が夕刊に出ていた。
今年の御題は「笑み」だとか。

御製  トロンハイムの運河を行けば家々の窓より人ら笑みて手を振る

歌会始の御製でこのように外国の地名が詠まれるというのは、めずらしいことのような気がして、ざっと調べてみた。管見の及ぶところでは、昭和天皇の歌会始の御製に二首ある。

     昭和三十六年一月十二日(御題 若)
御製  旧き都ローマにきそふ若人を那須のゆふべにはるかに思ふ

     昭和四十七年一月十四日(御題 山)
御製  ヨーロッパの空はろばろととびにけりアルプスの峰は雲の上に見て

もちろんローマはオリンピック大会(昭和三十五年)だから、ローマそのものを詠まれたとは言えない。
今上にも海外旅行を詠まれた歌会始がある。しかし、外国の地名は使われていない。

     平成五年一月十四日(御題 空)
御製  外国の旅より帰る日の本の空赤くして富士の峯立つ

五月に訪問なさったトロンハイム( Trondheim)というノルウェイの町の思い出がよほど素敵なものであったのだろうと、ほのぼのするな。6784411_5ae4736894_b

さっそくFlickrでトロンハイムの写真を公開(Creative Commons. Some rights reserved.)している人を捜してみた。こんな、運河の町のようです。クリックして大きな写真でぜひご覧ください。

photo by AdamLogan.thank you for sharing.

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2006/01/11

詩人商売は要領が一番

短歌新聞社の「短歌現代」1月号の歌壇時評を読む。
島田修三さんの「模倣の素地」という文章だ。昨年の「文学界」11月号に掲載された片岡直子さんの「インスピレーションの範囲——小池昌代さんの『創作』をめぐって」という評論を軸にした内容である。
この「文学界」の評論(というか正確には告発だな、これは)については、内田樹さんのブログ(2005年11月4日「オリジナリティについての孔子の教え」【ここ】)で取り上げられたときに、はじめて知ったのだが、実は小池昌代さんの書かれたものを全然読んだことがなかったので、さほど興味を覚えなかった。
まあ、それと内田さんの立場は、あんまりオリジナリティにこだわりなさんな、というものだからあまり切実な感じを受けなかった、ということもある。

しかし今回、島田修三さんの論評を読んで、やや気になったので、昨年の「文学界」の件の評論を読んでみた。

結論的にいえば、小池昌代さんというのはそうか「塀」の上を歩く人なんだなあ、ということだ。中途半端に良心的な作家は明白な剽窃をして(先行作品への敬意があえて丸写しをさせるのではないかという気もする)世間の指弾を受ける。
しかし、この人は「塀」の内側には落ちないように巧みに先行作品をいただいちゃうやり方であるようだ。
片岡直子さんたちのいらだちもおそらくはそこにあるのだろう。
先行作品があることがバレなきゃ、それが一番。
万一バレてしまっても、「はい、たしかにあの方の作品にインスパイアされて、そこからわたしの世界をつくったんですが、それが何か?」と堂々と言ってのける「度胸」が(たぶん)ある。

島田修三さんはこのように書いておられる。

いまスポットライトを浴びている詩人小池昌代は商業的メジャーの表現者としてであり、現代詩壇という商業的過疎地に閉じこもる多くの詩人たちはマイナーだということになる。陽のあたることの少ない(つまり、商業的なメディアが対象とする読者の目に触れる機会の少ない)場所をみずからの表現の資源として、陽のあたる場所にみずからのオリジナルであるごとく意図的な焼き直しをしているのだとしたら、小池昌代は表現者としての最低限の節操や倫理を踏みにじっていることになるだろう。

つまり、問題をややこしくしているのは、文芸作品のオリジナリティという側面と、商業的なメジャーとマイナーというリアルな側面が縒り合わさったかたちになっているからだろう。もっと、あからさまに言えば、片岡さんの義憤の底にはやはり嫉妬があるだろうなということだ。それを否定してしまってはキレイゴトすぎる。しかし、それを割り引いた上で考えても、商業主義から距離を置いた世界からちゃっかり表現のネタを収集して、自分の作品として発表する小池さん流のやりくちは、へえあなたやり手ですねと、メディア業界では感心されるのかも知れないが、もちろんかなりみっともない。
小池昌代さんという方を検索すると、朝日新聞(asahi.com)の書評も担当されているようだな。書評の方は大丈夫なんじゃろか。しかしあの朝日伝聞社だからなあ。まあ、どっちもどっちか。

もちろん先行作品にインスパイアされてできる作品はある。
たとえば、島田修三さんが、「短歌現代」でとりあげておられるのは葛原妙子と斎藤史だ。

 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
             葛原妙子「朱霊」(1970)

 死の側より照明せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも
             斉藤史「ひたくれなゐ」(1976)

しかし、残念ながら小池昌代さんの詩作品などは、「文学界」の検証を見る限りでは、この域にはとうてい達していない。ちゃっかりいただいて、口をぬぐっていると非難されても、これでは仕方ないかも知れない。
たしかに法的な手段に出られても、小池さんは逃げ切れるだろうが、まあ、せめて詩人は名を惜しむ人であって欲しいと思うのは気楽な読者の勝手な願望だろうか。

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2006/01/10

メイド・イン・イタリア

辞書や歳時記の類いにやや近いが、それらともすこし違って、ほぼ毎日のように数行をちびちびと追っていく本がわたしにはある。
たとえば昨日から今日にかけての部分はこんな表記である。

17. a4    Rad7
18. Bf1   Bxf1
19. Kxf1   Nde7

これをみて、ははあ、チェスの棋譜ですか、とすぐわかる方はにやりとされるかもしれない。

『ボビー・フィッシャーの究極のチェス』ブルース・バンドルフィーニ/東公平訳(河出書房新社/1995)は、以前にも紹介したが(ここ)、俵万智さんの推薦文もカバーにある。
この本はフィッシャーの公式トーナメントやマッチ競技などのなかから101の対局を選び、それぞれのゲームの勝敗を決定づけることになった局面を解説したもので、この譜面がついた頁は何度読んでも面白い。何度、読んでもフィッシャーの絶妙の一手に「あ、そうか!」と新鮮にびっくりするのは、当方の笊の如き記憶力の賜物である。将棋でも同じだが、こういう盤上のゲームには向き不向きがあり、プロ棋士のようなフォトグラフィック・メモリーは別格としても、空間的な位置を時系列に想起できる人とできない人があるようだ。わたしは典型的な「できない人」で頭の中だけでは二手先もおぼつかない。
まあ、はっきり言って、へぼなんでありますね。

そんな奴がチェスの本なんか読んで面白いのかと不思議に思われるだろうが、それが案外そうでもない。
たとえば池内紀さんも将棋マニアで、雑誌に観戦記を書かれることもあるほどだが、その実力は、ご謙遜かどうか、これまでほとんど将棋で勝った覚えがないとご本人はおっしゃる。
だから、まあ、へぼであっても(と決めつけては池内さんに礼を失するが)駒を並べるのが大好きという人は世の中に多いのであります。
わたしの場合は、それが将棋ではなくてチェスだということになる。
ただし、頭の中だけでは動いてゆく譜面のポジションを想い描くことができないから、実際のチェスボードはどうしても必需品である。84307786_ab781965b3
いままで使っていたのは数千円のセットだったのだが、まあ、こういうものは気持ちよく使えるものがいいだろうと、ついに買ってしまいました。イタリア製のチェスボードと駒。それほど高価なものではないが、いままでのプラスチック製のものに比べると、荘重とまでは言わないが重厚な感じがする。腕前はおなじなのに上達したような錯覚に陥るのが我ながらご愛嬌というものだ。

上記の『ボビー・フィッシャーの究極のチェス』には、101の対局のすべての棋譜が巻末についているので、毎日二、三手ずつ、ボビー・フィッシャーになったつもりで、「オレだったら、ここはこう打つな」なんて独り言を言いながら、駒を動かしているのであります。
腕前は一向にあがらないけどね。

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2006/01/08

地下鉄のネアンデルタール

「まったく馬鹿げている!」モンフォールがいつものようにアルザス訛りのフランス語でぶっきらぼうに言い放った。「きみたちは典型的なネアンデルタール人に髭を剃らせ、ジョギング・スーツを着せて、ニューヨークの地下鉄に乗せたら、他の乗客がじろじろ見るとでも思っているのか」

アーロン・エルキンズの『洞窟の骨』(青木久恵訳/ハヤカワ文庫)のなかで人類学者がネアンデルタールをめぐって口角泡を飛ばす。エルキンズのスケルトン探偵シリーズは、ミステリーとしてはさして出来がよいとは思わないけれど、いろいろ面白い話が出てくるのが楽しい。今回の議論の焦点となっているのは、ネアンデルタールは現生人類の祖先なのか、それとも現生人類とは別の絶滅した種なのかということだ。これが、殺人の動機にも関係してくるというエルキンズおなじみの趣向である。

このあたりのことは『ネアンデルタール人類のなぞ』奈良貴史(岩波ジュニア新書/2003)にはこんな説明がある。1990年前後、人類学会ではネアンデルタールが絶滅したのかしなかったのかの二大学説の論争が巻き起こった。

一つは、ブレイスらに代表されるネアンデルタールヨーロッパ現代人祖先説。継続説ともいわれるものである。また、アフリカやアジアでも、それぞれの地域のホモ・エレクトゥスが徐々に進化して、現代人になったと考える。これは、多地域進化説ともよばれる。
もう一つは、現代人の祖先はヨーロッパ以外のところで誕生し、ヨーロッパに移住してきてネアンデルタール人類と入れ変わったというネアンデルタール人絶滅説。

なお1987年にミトコンドリアのDNAが、母系だけに遺伝することを利用した解析で現代人の祖先は20万年前にアフリカに住んでいたとするイヴ仮説が登場し、この単一起源説とのからみでネアンデルタール人絶滅説が優勢となった。さらに追い打ちをかけるように1998年、ネアンデルタール渓谷の人骨の上腕骨からDNAの抽出に成功し、この分析結果によって、現生人類とネアンデルタールのDNA配列はかなり異なっていることがわかったため、現在ではネアンデルタール絶滅説できまり、ということになっているらしい。
それでも、ネアンデルタールと現生人類(ホモサピエンス)は生命の歴史というスパンのなかでは、ごく最近まで同じ地域、同じ時代を共存していた可能性が非常に高い。『ネアンデルタール人類のなぞ』は、ジュニア新書ということもあって、わたしのような門外漢にもたいへんわかりやすいいい入門書だと思う。

ところで、冒頭のニューヨーク地下鉄のネアンデルタールというのは、エルキンズの創作じゃなくて、実際にこういう論争があったのですね。これについては丸谷才一さんも『綾とりで天の川』に書いておられましたね。

まず、一九五七年アメリカ人のストロースらが、ブールのネアンデルタール人類の復元は誤りであり、彼らはわたしたちと同様の姿勢をしていたと発表した。その論文を「髪を切り、髭を剃り、帽子をかぶったネアンデルタール人に、ニューヨークの地下鉄内ではだれも気がつかないだろう」と結んだ。「ネアンデルタール人類=野蛮人」という図式の見直しのはじまりである。(『ネアンデルタール人類のなぞ』)

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この論文にそえられた挿絵が写真の頁である。うん、丸谷さんのいうとおり、こりゃ、欧米人によくある顔だよ。(笑)

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2006/01/05

大正の詩人の風景(その2)

きのうの続きのノート。『昭和詩史 運命共同体を読む』大岡信(思潮社/2005)より。

■詩壇のテロリスト
ダダイズムのもつエネルギーをより社会化するかたちで、既成の価値観に対する急進的、破壊的な反逆の叫びとしての詩運動を起こしたのは、大正12年12月創刊の同人誌「赤と黒」に拠った詩人たち。メンバーは、坪井繁治、岡本潤、萩原恭次郎、川崎長太郎、小野十三郎。創刊号の資金を出したのは有島武郎。
坪井らが有島邸を訪ねると、きたないなりをした彼らを立派な応接室に通し、五十円とバーナード・リーチのエッチングを一枚くれた。かれらは有島に紹介状を書いてもらって柳宗悦のところへ赴き、リーチの絵を二十五円で売りつけた。有島武郎の自死はそれからひと月ほどした頃だった。大岡さんのコメント——「このエピソードは、ある時代の断面をあざやかに示しているが、『赤と黒』という題名そのものも、時代を敏感に反映していた。」
「赤と黒」創刊号の表紙に刷り込まれた宣言。「詩とは?詩人とは?我々は過去の一切の概念を放棄して、大胆に宣言する!『詩とは爆弾である!詩人とは牢獄の固き壁と扉とに爆弾を投ずる黒き犯人である!』」

■うわさの南天堂
「赤と黒」が大正13年6月に廃刊されると、これを受け継ぐように刊行されたのが村山知義を中心にした「マヴォ」。
また同年にダダ、アナーキストの詩人を集めた雑誌「ダムダム」が創刊された。萩原恭次郎、岡本潤、小野十三郎、坪井繁治、高橋新吉、中野秀人、野村吉哉、橋爪健たちがここに拠った。この「ダムダム」の発売所は南天堂書店。経営者は松岡虎王麿という。
南天堂書店の二階はレストランになっていた。大岡さんの文章を引く——「『ダムダム』同人をはじめダダイスト、アナーキストの溜まり場になっており、夜はきまって常連の間で喧嘩があり、派手な乱闘もあった。平林たい子、林芙美子、友谷静栄といった女流も常連だったという。学生だった高見順も、ダダイスト気取りで時おり南天堂の階段を昇ったと、『昭和文学盛衰史』の中で語っている。」

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2006/01/04

大正の詩人の風景(その1)

『昭和詩史 運命共同体を読む』大岡信(思潮社/2005)から、大正末期の詩人たちの風景。
以下は私的なノートとして。

■詩壇の動き
この頃、詩壇の中心勢力は台頭著しい民衆詩派の詩話会。詩話会編集の「日本詩人」は大正10年(1921)に創刊、以後大正末年までの詩壇の中心的な雑誌となる。
大正10年(1921)、11年あたりに出た詩集は圧倒的にこの民衆詩派の詩人のもの。白鳥省吾、福田正夫、百田宗治、加藤一夫、富田砕花、千家元麿、山村暮鳥、井上康文、尾崎喜八など。
一方、芸術派と称される既成詩人も充実した活動を見せる。村山槐多『槐多の歌へる』、日夏耿之介(こうのすけ)『黒衣聖母』、佐藤春夫『純情詩集』、堀口大學『水の面に書きて』、野口米次郎『二重国籍者の詩』、高村光太郎訳ヴエルハーラン詩集『明るい時』、有島武郎訳『ホヰットマン詩集』、西条八十『蝋人形』、佐藤惣之助『琉球諸島風物詩集』、室生犀星『忘春詩集』。

■同人雑誌
しかし、既成詩人の背後には同人誌に拠った新進詩人たちの活動が澎湃としてはじまっていた。
川路柳虹を中心とする「炬火」。大正10年(1921)創刊。ここからは平戸廉吉、村野四郎が出る。
長谷川巳之吉と大藤次郎編集の「詩聖」。同じく大正10年創刊。この投稿欄から田中冬二が出てくる。
名古屋詩話会を中心にした「青騎士」。大正11年創刊。佐藤一英、春山行夫、近藤東、井口蕉花、山中散生らがやがて「詩と詩論」の重要な核を形成する。

■異色の詩人たち
大正12年(1923)9月1日が関東大震災。この前後には、1月、萩原朔太郎『青猫』。2月、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』。7月、金子光晴『こがね虫』。こえて大正13年には岩手の無名詩人・宮沢賢治の生前唯一の詩集『春と修羅』が刊行された。

■断言はダダイスト
ダダイズムが日本にはじめて紹介されたのは大正9年(1920)8月の「萬朝報」紙上。このとき十九歳だった高橋新吉は「異常なショックを受けた」が、「周囲には当時、語るべき友人もなく、その感激を胸に秘めて、遥かに遠い未知のパリの空に想像を馳せ」た。翌年、四国の真言宗の小僧となったが、その秋には上京し平戸廉吉、佐藤春夫、辻潤らと知り合った。
同人誌「シムーン」(創刊大正11年4月第二号より「熱風」に改称)に詩や小説を発表。
大正12年、辻潤が編集した詩集『ダダイスト新吉の詩』には、佐藤春夫の長文の序、辻の跋がある。京都立命館中学生であった中原中也は、同年丸太橋の古本屋でこれを読み「中の数篇に感激」した。

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2006/01/03

芭蕉の「大予言」

『日本文学と漢詩 外国文学の受容について』中西進(岩波セミナーブックス/2004)を読んでいたらこんな話がありました。

芭蕉に「歌仙の讃」という俳文がある。書かれた年代ははっきりしないが、天和三年(1683)頃ではないかと言われているらしい。とりあえずこの前後の芭蕉の年譜——

 延宝八年(1680) 深川の草庵に移る
 延宝九年(1681) 門人の李下より一株の芭蕉を贈られ芭蕉庵と名づく。天和改元。
 天和二年(1682) 談林の宗匠西山宗因没、同年末に芭蕉庵焼失
 天和三年(1683) 門弟、友人の寄進で芭蕉庵を再建
 貞亨元年(1684) 野ざらし紀行に出立 

すなわち、この時期、まだ蕉風は確立されたとはいいがたいのでありますが、伊予松山の井海(せいかい)という人物が、芭蕉を慕って自分たち連衆の歌仙三十六句を送ってきたというのですね。
これに芭蕉が讃を書いたのが「歌仙の讃」。
歌仙の発句はこういうものだった。

 雪しやれて翁(さび)けん芭蕉洞

脇、第三以下がどう展開していたのかは分からないが、これに芭蕉が讃をつけました。その俳文のなかにこういう一節があるのだそうです。

 芭蕉は破れて風飄々

中西さんの本は漢詩と国文がテーマですから、この風飄々に陶淵明の「帰去来辞」の詩句(風飄飄而吹衣)が敷かれているかどうかなどいろいろ考察があるのですが、とりあえずいまはそのことは置いておいて・・・

この伊予松山から芭蕉を慕って届けられた歌仙の発句は「雪は瀟酒に降っていて、芭蕉庵にいるあなたも老人らしくしているのでしょうね」というほどの意味だが、これに対して芭蕉の方は、「いえいえ、あなたがたはそうおっしゃいますけれども、芭蕉庵に植えた例の芭蕉は風が吹いたために破れて痛ましいことです。わたくしももうぼろぼろでございますよ」というような返事となっている。
この「歌仙の讃」の原文は残念ながらネット上では見当たらないようなので、今度、図書館あたりで探してみようと思うのだが、俳文自体はどうやらこういう内容であるらしい。以下中西さんの本から。

この文章を冒頭からみると、いましも伊予の松山の方から嵐が起こってきた。それが吹きあがってきて芭蕉はボロボロですよ、そういう言い方をしています。ですから、松山から嵐が起こりましたというのは、この井海に対するほめことばといえます。あなた方の新しい運動が嵐のようにいま江戸に上がってきておりますと、そういう疾風怒濤のような文芸の興隆が松山にありますと、お世辞を言っているのです。
これは、なかなか面白いことで、この芭蕉の言は、はからずも(同時代の井海ではなく)二百年後に正岡子規という伊予松山の男によって実現されることになるのでありますね。
まさか芭蕉の「大予言」とは言いませんけれど。

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