言論の自由と白髪抜き
基本的人権と安全との間のどのあたりに線を引くかという問題は、なし崩しに安全の側に傾きがちだ、と前回書いた。
しかも、こういう議論になると、いつも出てくるのが、わたしは別に悪いことしてるわけじゃないから、監視カメラも気にならないし、仮に携帯の通話を聞かれたってかまわない、という意見であります。![]()
また『チャター』という本にもあるが、たとえばNSA(National Security Agency)なんかがやっている全情報認知というレベルになると、これはもう三十分ごとに百万件くらいのデータをスキャンするというのですね。(ホンマかね)そのなかで電子フィルターで識別されるのは六千五百件ほど。その六千五百のほとんどは、機関の言う「要転送」ではないので、そこで千件を残してあとは捨てられる。そしてその千件のなかに分析を要する情報がひとつあるかどうかというような世界であるらしい。つまりどう考えても、一般市民の携帯の通話やら、eメールはたしかにスキャンはされるだろうけど、一瞬で捨てられる筈である、ト。つまり、そういう電子的なフィルターに、自分の通話やeメールや、それからクレジット・カード決済なんかかけられることで、プライヴァシーが侵されるなんて心配するのはパラノイドだよ。だれもあんたのしょうもない隠し事なんかに興味は持たないってば、というわけであります。
ま、そうかも知れない。
ところで、話はかわるが、先日ご紹介した「はてなのブクマ」には、タグという機能がついていて、それを使うかどうかは、ユーザーの自由なんですが、使うと面白いので多くのユーザーがこれをオンにしておられる。(わたしも使っております)
このタグは、自分が興味をもってブックマークした記事などに、自由にキーワードをつけて行くという仕掛けです。そうして、自分がいったいどういうタグをつけていったのかが表示されるのですが、実際に見ていただければわかるように、大きさが段階的に変化して、よく使用するタグほど大きく表示されます。事実はどうあれ、その人のこれまでの興味関心がどういうものであったかが、一目瞭然という感じで表される。そうかオレってこういうものに関心があったのか、と根が素直なわたしなどは、あらためて感心したりするが、もしかして多くのユーザーは、このタグ欄からなんとなく見えてくる一種のプロファイルと、従来の自己イメージとが微妙に食い違っていることに違和感を覚えるのではないかという気もする。
で、こういう自分のプロファイル(自己イメージとは違うが、もしかしたら客観的にはより正確な)をせっせと自分で創出して、わざわざお知らせしているというのは、しかし、考えてみれば気楽な話ではあるよなあ。(笑)
たかだか60年前までは、我が国は国家による検閲と監視が当然のとこととされていた。憲兵やら特高やら治安維持法をつねに念頭において本心を不用意に表に出さないのが大人の知恵であった。人権無視の強力な思想統制と検閲による統治は、いまの中国や北朝鮮を軽蔑するときの日本人の拠り所だが、なにあれはもともとこっちが本家なのである。
わたし自身は、いまの日本がすぐにでも戦前のような思想統制をするだろうとは思わないが、たとえば政権交代の可能性があるときなどに、選挙協力の見返りに、政権の座にある人間が巨大政党の母体である宗教団体などに、なにかのリストやら、あるいはその団体の批判派を黙らせるネタをわたすことはある(あるいはあった)だろうな、と思う。
基本的人権と安全との間のどこに線を引くか、やはりどんなささやかなプライヴァシーであっても、安全のためにという理由で、それを気楽に明け渡さないほうがいいんじゃなかろうか。
そのための方法論。白髪抜きの法則。
知り合いの話(わたしではない)です。白髪が目立つようになったその方は、はじめは自分で抜いていたのですが、鏡で見えないところが気になるので、子供を呼んで、一本なにがしかで抜いてくれと言っていた。ところが、ある日、子供がこう叫んだのだそうです。
「お父さん、もうだめ、これ以上抜いていたら、禿げちゃう!」
権力者に目障りな言論は、きりがないほどあるのがよろしい。言論の自由は、自由な言論によってこそ守られる。
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)





















最近のコメント