大正の詩人の風景(その1)
『昭和詩史 運命共同体を読む』大岡信(思潮社/2005)から、大正末期の詩人たちの風景。
以下は私的なノートとして。
■詩壇の動き
この頃、詩壇の中心勢力は台頭著しい民衆詩派の詩話会。詩話会編集の「日本詩人」は大正10年(1921)に創刊、以後大正末年までの詩壇の中心的な雑誌となる。
大正10年(1921)、11年あたりに出た詩集は圧倒的にこの民衆詩派の詩人のもの。白鳥省吾、福田正夫、百田宗治、加藤一夫、富田砕花、千家元麿、山村暮鳥、井上康文、尾崎喜八など。
一方、芸術派と称される既成詩人も充実した活動を見せる。村山槐多『槐多の歌へる』、日夏耿之介(こうのすけ)『黒衣聖母』、佐藤春夫『純情詩集』、堀口大學『水の面に書きて』、野口米次郎『二重国籍者の詩』、高村光太郎訳ヴエルハーラン詩集『明るい時』、有島武郎訳『ホヰットマン詩集』、西条八十『蝋人形』、佐藤惣之助『琉球諸島風物詩集』、室生犀星『忘春詩集』。
■同人雑誌
しかし、既成詩人の背後には同人誌に拠った新進詩人たちの活動が澎湃としてはじまっていた。
川路柳虹を中心とする「炬火」。大正10年(1921)創刊。ここからは平戸廉吉、村野四郎が出る。
長谷川巳之吉と大藤次郎編集の「詩聖」。同じく大正10年創刊。この投稿欄から田中冬二が出てくる。
名古屋詩話会を中心にした「青騎士」。大正11年創刊。佐藤一英、春山行夫、近藤東、井口蕉花、山中散生らがやがて「詩と詩論」の重要な核を形成する。
■異色の詩人たち
大正12年(1923)9月1日が関東大震災。この前後には、1月、萩原朔太郎『青猫』。2月、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』。7月、金子光晴『こがね虫』。こえて大正13年には岩手の無名詩人・宮沢賢治の生前唯一の詩集『春と修羅』が刊行された。
■断言はダダイスト
ダダイズムが日本にはじめて紹介されたのは大正9年(1920)8月の「萬朝報」紙上。このとき十九歳だった高橋新吉は「異常なショックを受けた」が、「周囲には当時、語るべき友人もなく、その感激を胸に秘めて、遥かに遠い未知のパリの空に想像を馳せ」た。翌年、四国の真言宗の小僧となったが、その秋には上京し平戸廉吉、佐藤春夫、辻潤らと知り合った。
同人誌「シムーン」(創刊大正11年4月第二号より「熱風」に改称)に詩や小説を発表。
大正12年、辻潤が編集した詩集『ダダイスト新吉の詩』には、佐藤春夫の長文の序、辻の跋がある。京都立命館中学生であった中原中也は、同年丸太橋の古本屋でこれを読み「中の数篇に感激」した。
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