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2006/01/03

芭蕉の「大予言」

『日本文学と漢詩 外国文学の受容について』中西進(岩波セミナーブックス/2004)を読んでいたらこんな話がありました。

芭蕉に「歌仙の讃」という俳文がある。書かれた年代ははっきりしないが、天和三年(1683)頃ではないかと言われているらしい。とりあえずこの前後の芭蕉の年譜——

 延宝八年(1680) 深川の草庵に移る
 延宝九年(1681) 門人の李下より一株の芭蕉を贈られ芭蕉庵と名づく。天和改元。
 天和二年(1682) 談林の宗匠西山宗因没、同年末に芭蕉庵焼失
 天和三年(1683) 門弟、友人の寄進で芭蕉庵を再建
 貞亨元年(1684) 野ざらし紀行に出立 

すなわち、この時期、まだ蕉風は確立されたとはいいがたいのでありますが、伊予松山の井海(せいかい)という人物が、芭蕉を慕って自分たち連衆の歌仙三十六句を送ってきたというのですね。
これに芭蕉が讃を書いたのが「歌仙の讃」。
歌仙の発句はこういうものだった。

 雪しやれて翁(さび)けん芭蕉洞

脇、第三以下がどう展開していたのかは分からないが、これに芭蕉が讃をつけました。その俳文のなかにこういう一節があるのだそうです。

 芭蕉は破れて風飄々

中西さんの本は漢詩と国文がテーマですから、この風飄々に陶淵明の「帰去来辞」の詩句(風飄飄而吹衣)が敷かれているかどうかなどいろいろ考察があるのですが、とりあえずいまはそのことは置いておいて・・・

この伊予松山から芭蕉を慕って届けられた歌仙の発句は「雪は瀟酒に降っていて、芭蕉庵にいるあなたも老人らしくしているのでしょうね」というほどの意味だが、これに対して芭蕉の方は、「いえいえ、あなたがたはそうおっしゃいますけれども、芭蕉庵に植えた例の芭蕉は風が吹いたために破れて痛ましいことです。わたくしももうぼろぼろでございますよ」というような返事となっている。
この「歌仙の讃」の原文は残念ながらネット上では見当たらないようなので、今度、図書館あたりで探してみようと思うのだが、俳文自体はどうやらこういう内容であるらしい。以下中西さんの本から。

この文章を冒頭からみると、いましも伊予の松山の方から嵐が起こってきた。それが吹きあがってきて芭蕉はボロボロですよ、そういう言い方をしています。ですから、松山から嵐が起こりましたというのは、この井海に対するほめことばといえます。あなた方の新しい運動が嵐のようにいま江戸に上がってきておりますと、そういう疾風怒濤のような文芸の興隆が松山にありますと、お世辞を言っているのです。
これは、なかなか面白いことで、この芭蕉の言は、はからずも(同時代の井海ではなく)二百年後に正岡子規という伊予松山の男によって実現されることになるのでありますね。
まさか芭蕉の「大予言」とは言いませんけれど。

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