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2006/01/31

言論の自由と白髪抜き

基本的人権と安全との間のどのあたりに線を引くかという問題は、なし崩しに安全の側に傾きがちだ、と前回書いた。
しかも、こういう議論になると、いつも出てくるのが、わたしは別に悪いことしてるわけじゃないから、監視カメラも気にならないし、仮に携帯の通話を聞かれたってかまわない、という意見であります。nsa
また『チャター』という本にもあるが、たとえばNSA(National Security Agency)なんかがやっている全情報認知というレベルになると、これはもう三十分ごとに百万件くらいのデータをスキャンするというのですね。(ホンマかね)そのなかで電子フィルターで識別されるのは六千五百件ほど。その六千五百のほとんどは、機関の言う「要転送」ではないので、そこで千件を残してあとは捨てられる。そしてその千件のなかに分析を要する情報がひとつあるかどうかというような世界であるらしい。つまりどう考えても、一般市民の携帯の通話やら、eメールはたしかにスキャンはされるだろうけど、一瞬で捨てられる筈である、ト。つまり、そういう電子的なフィルターに、自分の通話やeメールや、それからクレジット・カード決済なんかかけられることで、プライヴァシーが侵されるなんて心配するのはパラノイドだよ。だれもあんたのしょうもない隠し事なんかに興味は持たないってば、というわけであります。
ま、そうかも知れない。

ところで、話はかわるが、先日ご紹介した「はてなのブクマ」には、タグという機能がついていて、それを使うかどうかは、ユーザーの自由なんですが、使うと面白いので多くのユーザーがこれをオンにしておられる。(わたしも使っております)
このタグは、自分が興味をもってブックマークした記事などに、自由にキーワードをつけて行くという仕掛けです。そうして、自分がいったいどういうタグをつけていったのかが表示されるのですが、実際に見ていただければわかるように、大きさが段階的に変化して、よく使用するタグほど大きく表示されます。事実はどうあれ、その人のこれまでの興味関心がどういうものであったかが、一目瞭然という感じで表される。そうかオレってこういうものに関心があったのか、と根が素直なわたしなどは、あらためて感心したりするが、もしかして多くのユーザーは、このタグ欄からなんとなく見えてくる一種のプロファイルと、従来の自己イメージとが微妙に食い違っていることに違和感を覚えるのではないかという気もする。
で、こういう自分のプロファイル(自己イメージとは違うが、もしかしたら客観的にはより正確な)をせっせと自分で創出して、わざわざお知らせしているというのは、しかし、考えてみれば気楽な話ではあるよなあ。(笑)

たかだか60年前までは、我が国は国家による検閲と監視が当然のとこととされていた。憲兵やら特高やら治安維持法をつねに念頭において本心を不用意に表に出さないのが大人の知恵であった。人権無視の強力な思想統制と検閲による統治は、いまの中国や北朝鮮を軽蔑するときの日本人の拠り所だが、なにあれはもともとこっちが本家なのである。
わたし自身は、いまの日本がすぐにでも戦前のような思想統制をするだろうとは思わないが、たとえば政権交代の可能性があるときなどに、選挙協力の見返りに、政権の座にある人間が巨大政党の母体である宗教団体などに、なにかのリストやら、あるいはその団体の批判派を黙らせるネタをわたすことはある(あるいはあった)だろうな、と思う。

基本的人権と安全との間のどこに線を引くか、やはりどんなささやかなプライヴァシーであっても、安全のためにという理由で、それを気楽に明け渡さないほうがいいんじゃなかろうか。
そのための方法論。白髪抜きの法則。
知り合いの話(わたしではない)です。白髪が目立つようになったその方は、はじめは自分で抜いていたのですが、鏡で見えないところが気になるので、子供を呼んで、一本なにがしかで抜いてくれと言っていた。ところが、ある日、子供がこう叫んだのだそうです。
「お父さん、もうだめ、これ以上抜いていたら、禿げちゃう!」
権力者に目障りな言論は、きりがないほどあるのがよろしい。言論の自由は、自由な言論によってこそ守られる。

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コメント

「白髪抜きの法則」、秀逸ですね。
今後ことあるごとに引用させていただきます。
それにしても日本のマスメディアは、それなりの分別が必要な年頃なのに、頭髪は黒々として白髪が少なすぎますね。孫に抜かせても2,3分で終わってしまって、その後ひと月ももちそう。故司馬遼太郎さんとは言わなくても、ロマンスグレーになるのは何時のことでしょう。

我善坊

投稿: 我善坊 | 2006/02/01 19:53

そういえば本題とは関係ないけど、井伏鱒二の短編にたしか『白毛』というのがありましたね。
わたしもロマンスグレーのシブいオヤジになるつもりだったんですが…(以下略)

投稿: かわうそ亭 | 2006/02/01 21:29

1)はてなのブクマはまだ利用しておりませんが、書籍を購入する時に、思わず手を出してしまう(条件反射か)キーワードは確かにありますね。自分が反応してしまうキーワードがあり、かつ信頼する出版社や著者だと即買いです。
2)アメリカの保守化はますます進んでいます。彼らは自分たちの理想とする「民主主義」を広めるのが使命だと公言していますが、テロの戦いを口実に通信が傍聴される世界がどうして彼らの理想とする民主主義なのかよくわかりません。
3)白髪理論は、すなわち砂山から砂を一粒ずつ取り去っていったときにいつ砂山は山でなくなるかということですね。彼らはその境界があると信じているのでしょう。禿げてしまっても山は山だしなんて・・。

投稿: 烏有亭 | 2006/02/01 21:34

烏有亭さん こんばんわ。アメリカのネオコンというのは、たぶん自分たちのセルフイメージを「革命の父」(ジェファーソンとか)たちと重ね合わせているのじゃないかなあ。
まあ、ブッシュやチェイニーはそんなんじゃないだろうけど、もともと左翼だった連中ですから、宗教と非理性の支配下におかれた旧世界から人類を解放する革命家としての筋は通ってる、と少なくとも自分たちは思っているのじゃないか。
いや、迷惑なハナシなんですが、よその国の人間から見ると。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2006/02/01 23:19

はてなのブックマークに関する記事エントリ全3話、興味深く拝読しました。用語の説明をしてくれたり、サンプルとしてブックマーク画面まで案内してくれるところにはこれまでお目にかかれなかったので「いったい何が何だか・・・」と疑問ばかりふくらんでいたんですが、かわうそ亭さんのエントリのおかげでまぬけ頭の私にも少しだけ理解できました(^^)。記事の中の特定のキーワードにアンダーラインが引かれているエントリをよく見かけますが、あれがタグなのかしら。かわうそ亭さんの記事にはアンダーラインが出ないよ?あのアンダーラインがあんまり多過ぎるとそれだけで読み疲れを感じたりすることも・・・。書き手の趣味と都合によって文章の意図とは無関係に読み手がそのつど注意を促されてしまうような気がするんですよね。それとは関係ないけどブログのスキンが変わりましたね。個人的にはこちらのほうがスッキリして文字を読みやすく感じます。

投稿: 屁爆弾 | 2006/02/02 05:25

「はてな」は、屁爆弾さんもお使いになっている「あんてな」の他に、「ダイアリー」、「ブクマ」、「RSS」、「フォト」、「グラフ」などがひとつづきになったサービスです。「ダイアリー」がいわゆるブログにあたりまして、わたしはこれを「ときどき一句」に使っています。いまお読みいただいている「かわうそ亭」というブログはココログというニフティのサービスであります。
はてなダイアリーに記事を書くと、屁爆弾さんがおっしゃるように、いろんな言葉に自動的にアンダーラインが引かれて「キーワード」というリンクが貼られることになります。じつは、わたしもこれが嫌いで(理由は屁爆弾さんと同じ)「ときどき一句」では、この自動的にキーワードになる機能をわざわざ抑制しています。
はてなのキーワードと、今回のエントリーでご紹介したタグは違う概念です。くわしい話は退屈なので、これくらいで。(笑)
小声で言うと、「はてな」の世界は、ちょっと独特でわたしはあんまり好きではないのですが、いろいろ新しい試みが出てくる面白さはあります。

投稿: かわうそ亭 | 2006/02/02 09:57

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