『新興俳人の群像—「京大俳句」の光と影 』
『新興俳人の群像—「京大俳句」の光と影 』田島和生(思文閣出版/2005)は、昨年度の俳人協会評論賞(第20回)を受賞した労作。新興俳句運動や京大俳句事件の概要を知る上で、巻末の資料ともども貴重な一冊となるだろう。
とくにわたしにとって興味深かったのは、たとえば以下のような事実だ。
昭和十九年(1944)に発行された日本文学報国会編の「俳句年鑑」。
参加者は五〇七人、一人五句ずつという構成である。日本文学報国会俳句部会長は虚子だから、普通ならば会長の序文があって然るべきだろうが、虚子は序文を寄せていない。(このあたりはしたたかとも言えるし、虚子のよく見える目、冷徹に身を処する凄さとも言えるかも知れぬ)
冒頭の言は伊東月草で、「自由主義、個人主義の上に立つ、芸術至上主義、乃至享楽的耽美主義を清算し、新しい世界観の樹立と、皇道主義、全体主義の上に立つ新しい文学理念」によって俳句はつくられねばならぬと記している。いまから見れば、見苦しいただのお調子者の阿呆だが、もちろん、その当時にあっては、全員立ち上がって心からの賛同の拍手をしなければならないような雰囲気であっただろう。
この「皇道主義、全体主義の上に立つ新しい文学理念」の俳句として、昭和十六年十二月八日(太平洋戦争の開戦日)の「感激を直接うたひあげた作品」が並ぶ。
大詔煥発桶の山茶花静にも 渡辺水巴
うてとのらすみことに冬日凛々たり 臼田亜浪
かしこみて布子の膝に涙しぬ 富安風生
冬霧にぬかづき祈る勝たせたまへ 水原秋櫻子
これに対して、同じ年鑑には、
花ちるや瑞々しきは出羽の国 石田波郷
ゆく雁の眼に見えずしてとゞまらず 山口誓子
外套の裏は緋なりき明治の雪 山口青邨
などという後年の代表句のひとつにもなるような句もある。とくに石田波郷の句は見事だという外はない。時局に迎合し保身にこれつとめる先輩たちを尻目に、平生とまったくかわらぬ詠いぶり。
この時期、文学報国会を影で操っていたのは、悪評の高い常務理事、小野撫子(ぶし)で、本書のなかにこの撫子が秋櫻子を脅して無理矢理、波郷を馬酔木から除名させた件が出てくる。あれは非国民だ、あんなのを身内においているとあんたの身の保証もできませんぜ、てな調子であったらしい。
中村草田男もまた、撫子に狙われた一人だが、昭和十四年七月の巻頭が「ホトトギス」発表の最後となった。俳壇が右傾化する一方の時代にこんな句をつくっていた。
人あり一と冬吾を鉄片と虐げし 中村草田男
金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り
いうまでもなく、これは虚子の選。虚子という男も剛胆ではある。
この話題、もう少し続ける。
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コメント
いつもながら知的刺激に満ちたブログ、楽しんで読ませてもらいました。
個人的には「外套の・・・」の句に心ひかれました。
最近少しつらい出来事があり、ちょっとへこんでいたのですが、「いやいやまだまだ知らないことがたくさんある。へこんでいる場合ではないなあ。」と気持ち新たにしました。
投稿: MARU | 2006/02/02 23:57
MARU さん
ブログにてご友人のこと拝読しました。わたしも似たようなことがありました。かなしいときはかなしみなさい、という歌がありましたね。ご推察いたします。
投稿: かわうそ亭 | 2006/02/03 21:32