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2006/02/15

詞華集『宋詩選注 』

『宋詩選注 』は題名のとおり宋詩の詞華集(アンソロジー)である。
詞華集はしばしば花束にたとえられる。どの詩を採りどの詩を採らないかが、この花束の値打ちを決める。銭鍾書は「序」においてこう語る。

韻を踏んだだけの「文書」は選ばなかった。学問のひけらかしや、典故・成語の曲芸も選ばなかった。尊大不遜に前人を真似た、えせ骨董品も選ばなかった。前人の表現・内容をうわべを変えただけで、少しの新しさも加えず、古い品物をさも新しいものであるかのように仕立てあげた作品も選ばなかった。(中略)
佳句はあっても、一篇を通してあまりに釣り合いのとれていないものは選ばなかった。これが本当の割愛である。
当時ひろく伝えられ人口に膾炙したものでも、いま現在、好さを見出せないものも選ばなかった。この種の作品は、さながら漏電した電池のようである。読者の心の電線がそれらとたしかに接触したかに見えても、もはや往時の光芒を放つことを不可能にさせている。
自分がした少しばかりの発掘の努力を示すために、頑なに見慣れない作品を選んだり、文学の骨董を古典文学の中に混ぜこぜにしたりはしなかった。もし見慣れない作品がすでに血が通わなくなって虫の息も漏れぬほどであれば、静かに永遠の眠りについていただくのが一番好い。(中略)
選択の過程で心づもりが砕け、目がくもった時もあった。その結果、これらの基準に背いて、きっと採るべきものを欠いたり、不必要なものを採ったりという誤りを犯したに相違ない。
とりわけ、大作家に対しては、公平とはいえぬところが必ずやあるに違いない。どんな詩の選集においても、マイナー・ポエットが常に得をする。全部で数首しか残存しないマイナー・ポエットであればなおのことである。なぜならば、彼らには好作品ばかりが少数あるだけで、いっしょくたにしてショーウィンドウに陳列できるので、それを見れば読者は必ずやうっとりするに相違なく、その見本の品が彼らの全財産であることがわからないであろうから。
この中で自分の立てた基準に背いて、自分の目がくもったために選択を誤ったことがきっとあるに違いない、という言葉には少し注意が必要だ。銭鍾書がこの仕事をした1950年代は、いわゆる反右派闘争が過酷に繰り広げられた時期にあたる。本書はシリーズものの叢書の一冊であり、どの詩を選ぶかは当時所属していた北京大学文学研究所の会議によって決定された。当然、この状況のもとで、党の方針(文学や芸術は政治の指導により無産階級労働者に奉仕するものでなければならない)を遵守しながらこの『宋詩選注 』というアンソロジーは編纂された。銭鍾書の純粋な美意識だけで執筆されたわけではなかった。だから、本書には農民の苦しみを訴える社会批判詩の比重が高い。
にもかかわらず、この本の初版が出版されるや、真っ先に投げつけられた評価は「資産階級(ブルジョワ)的考え方の研究者による唯心主義的選集」というものであり、当時の政治状況の中ではむろん最悪のものだった。

しかし、わたしは面白いと思うのだが、半世紀前に共産党によって強調するように指導された古典のなかの社会批判という側面が、いま現在では、そのまま現政権の体制批判として読めるということだ。
『宋詩選注 』の一巻だけでも、農民や貧民の塗炭の苦しみ、これに対する富商や王侯貴族の無関心と奢侈、また税や兵役を通してあらわれる小官吏の苛斂誅求などが繰り返し語られる。しかし小官吏は地方の党員、王侯貴族は中央の政治家、富商は沿海部の資本家に変わっただけであろう。
文芸はときに皮肉な働き方をする。

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コメント

お久しぶりです。こちらの記事からヒントを受け、思い出したついでに記事にしてみました。あいかわらず、よい御趣味。敬服の至り。

投稿: renqing | 2006/03/04 01:26

どうも、どうも。
テレサ・テンのCDはぜひ探してみます。中国語は、しばらくごぶさたしていますが、5年ほど前にNHKのラジオ中国語講座をかなり熱をいれて聴いていました。当時の初級編の講師は、陳真さんとおっしゃる方で、中国語って、こんなに音楽的できれいな言葉なのかと思いましたね。
この中国語講座は、月曜日から木曜日までが基礎編、金曜日と土曜日が上級編にわかれていて、わたしが聴いていた時は、この上級編が藤井省三さんでした。莫言の短編を読んでいくんですが、梁月軍さんとおっしゃる女優さんが朗読を担当されていました。これがまた絶品でした。

投稿: かわうそ亭 | 2006/03/04 23:21

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