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2006/02/26

出久根達郎、本の話

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すべて『本の背中 本の顔』出久根達郎(講談社/2001)から、とお断りした上で、いくつか面白い話をメモしておく。読むはしから忘れていって、きれいさっぱり残らないのも悪くはないが、ときには取って置きたいようなものもある。こういう面白話に目がない方には本書はまさにオススメ。

その一「ダルマサンガコロンダ」
かくれんぼのときなどに鬼が唱える言葉。子供のときにわたしもやった。ただの子供の決まりというか、鬼になったとき目を瞑る時間を、「ダルマサンガコロンダを10回ね」という具合にこれで量るだけだと思っていたが、これは「一、二、三、四」と数を律儀に一から十まで数える代わりの数え歌であった。
これはもとをたどると「転読」のひとつだそうで、転読というのは、仏教に関係のある語である。ほら、お坊さんがアコーデオンみたいにお経を両手で伸び縮みさせる所作があるでしょ。あれをたとえば百回くりかえすと百回お経を読んだことになるのと同じことらしい。仏教からきているメソッドなのでダルマサン登場なのであります。
(以下は本書にはないわたしの感想)
むかしわたしたちはこれを「ダールマサンガ、コーロンダッ」と発声していた。いま、歌に合わせて指を折ると、どうしても「ダルマサン」のサンでひとつ、「コロンダ」のロンでひとつと数えてしまって10音ではなく8音のように感じる。つまり、こうして2音は得するので、同じ百まで数える約束でも、鬼の我慢は2割軽減されるということだったんだなあ。そうか、そうだったのか。

その二「挿絵画家・中一弥」
池波正太郎の鬼平シリーズや剣客商売シリーズの挿絵といえば、「ああ、あれか」とすぐ思い浮かぶ。画家の名前は中一弥という。作家、逢坂剛の父なのだそうな。
へえ。

その三「百鬼園先生のアンケート」
某雑誌のアンケート。「問。どんな小説を読みたいか。答。ナンニモ読ミタクナイ。人ノ目ハ字ヲ読ムタメノ物デハナイ。」
あはは。

その四「もし漱石の嫂になっていれば」
漱石の父は明治十四年に警視庁警視属となった。部下のひとりに樋口則義という男がいて親しくなった。樋口には娘がいた。漱石の兄にどうかという話になったが、結局実現しなかった。樋口の娘とは一葉のことなり。
へえ!知らんかった。

その五・・・・いや、もうやめよう。(笑)こういうお話が、出久根達郎さんの書物や作家をめぐるエッセイには満載されている。
さすがに長年の古本屋渡世の本にまつわる知識は底知れない。

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