冬の飛将軍
池内紀さんの『森の紳士録』(岩波新書/2005)は、山歩きで出会った(あるいは出会いはしなかったがその存在を山中で感じた)動物や植物を、「無口な友人たち」として紹介した二十四編の気持ちのよい随筆。そのなかのモズの項目に、尾崎喜八の詩が紹介されている。
尾崎喜八については池内さんはただ「文人登山家」とだけ書いておられるが、ちょっと調べてみると、これはなかなか面白そうな人だな。【ここ】
とりあえず、この「もず」という詩を池内さんの本から転記してみる。池内さんは、二つにわけて間にご自分の文章を挟んでおられるが、つなぐとこんな詩になる。これ、いいです。
もず
秋の夕日をつんざくもずの高音。
冬の飛将軍、彼は
梢のもつとも高い尖端で光と空気とに酔ひ、
遠方の地平線に
おもひを飛ばして鳴きしきる。
あの国境の山脈を、
其処をいろどる朝日の寒さを、雪を、
いちはやく無心に感じながら、
放胆に、不敵に、
ロバート バアンスのやうに彼は歌ふ。
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コメント
普羅についてコメント有り難うございました。いずれにせよ、文献の探索も含め時間をかけて普羅に寄り添って(弁護するという意味では無論ありません)調べてみたいと思います。
自宅のパソコンでは多くを書けませんが、この尾崎喜八の戦中も――普羅と同様に論じていいかどうかは別として――端的に言えば、時代に迎合し戦争の協力者としての歩んだこと(彼にはロマン・ロランがあったにもかかわらず)を今あらためて据えたいと思っています。
そんなことを書こうと思って書き始めたものの途中半端のままになっているいつもの雑論がありました↓http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051218
投稿: かぐら川 | 2006/02/10 00:53
尾崎喜八という詩人のことは、わたしはまったく知らなかったのですが、すでにかぐら川さんが先回りして「待ち伏せ」しておられようとは。(笑)
宮沢賢治、高村光太郎、ロマン・ロランと並ぶと戦前のよき精神の香りを感じますね。
詩人の戦争責任という議論そのものについてわたし自身は安易な、嵩にかかかった断罪を好まないものですが(戦には勝たねばならないというのは国民にとって当然のことです)一方で今回免訴となった横浜事件のような特高の暴虐があったこともわすれてはならないことでしょうね。
投稿: かわうそ亭 | 2006/02/10 22:15
こんばんは。尾崎喜八の文章は、平凡社ライブラリーの『自然手帖』(上、下)に収められています。
この本では百舌を書いているのは河田楨ですが、次のページには尾崎喜八が、キクイイタダキという鳥の姿を描写した文章があり、その姿を描写する比喩が秀逸です。
投稿: 烏有亭 | 2006/02/10 23:48
こんにちわ。尾崎喜八の情報、どうもありがとうございます。『自然手帖』こんど探してみます。
投稿: かわうそ亭 | 2006/02/11 09:18