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2006/02/14

銭鍾書『宋詩選注』のこと

『宋詩選注 (1)』銭鍾書/宋代詩文研究会・訳注(東洋文庫/平凡社/2004)を読む。
全部で四巻の本で、読み終えたのはまだ一巻だけだが、詩を読み、注を読み、訳を読み、またはじめの詩に戻り、さらにまた注を拾うといったように、頁を前に後ろに、行ったり来たりする本だから、一巻を通読したと言っても、実質的にはまだ十分に読んだとは言えない。とは言うものの、とりあえず、まずは四巻までこれからゆっくり読んで行けるということを考えるだけで心豊かになれるのも事実。いや、すごい本です。

以下は自分用の覚えとして。(内山精也氏の巻末解説による)

銭鍾書(1910ー1998)、字は黙存、号は槐聚。江蘇省無錫の名家の出身。父親も著名な学者であった。
中学をアメリカ系の全寮制ミッションスクール(六年制)に学ぶが、三年のときに閉校となったため同系列の無錫輔仁中学に転校。英語と国語は常に首席。
1929年、最優等で中学を卒業、同年、北京の清華大学外国語言文学系に入学。入試では数学が百点満点中、十五点しかなく規定では不合格であったが、英語と国語がともに抜群の成績で首位であったので、特別裁量で合格とされたという逸話がある。
清華大学時代の銭鍾書は図書館に入り浸り、西洋文学と国文学に兼通し、清華の「三傑」、「人中の龍」とも称される学生であった。大学院への進学を懇請されるも「清華には銭某を指導する資格のある教師は一人もいない」と豪語してこれを断ったという。
1933年清華大学を卒業、上海の光華大学の講師となる。(このとき父の銭基博も同校の国文系主任であった)
1935年清華大学で知り合い婚約していた楊絳(ようこう)と正式に結婚、同年、官費留学生の資格を得て夫婦でオックスフォードへ。1937年までの二年間の大半をボドレイアン図書館で過ごす。「十七、十八世紀英国文学における中国文学」を卒業論文として提出、学士号(B.Litt.)を取得。
1937年パリ大学に留学するが、日中戦争の全面的拡大に帰国を余儀なくされる。このとき二十八歳。

この後の銭鍾書については、日中戦争、国共内戦、文化大革命、開放政策という中国現代史のなかで、翻弄される知識人の典型的な生涯をたどることになるが、それよりも重要なことは、そういう過酷な社会情勢のなかで、超弩級の学問的な著作や文学的な営為を行っていたということであるらしい。

この銭鍾書という人物だけを専門的かつ総合的に研究する「銭学」という学問領域が今日の中国にはあり、それは一部の好事家のみに通用するような特殊な呼称ではなく、ひろく一般化された言葉であるという。
内山氏の「解説」から——

文革世代や改革開放後の若き知識人にとって銭鍾書は、彼らの常識をはるかに越えた知的スケールをもつ巨人であった。現代の貴種流離譚よろしく、同時代の同胞にそういう超級(スーパー)知識人が存在したということが、彼らには驚くべき発見であっただろう。その驚きはすぐさま憧憬と敬慕とに変わり、やがて彼らの知的好奇心が向かう対象となった。銭鍾書という「ブラック・ボックス」はどのようにして作り上げられ、またいったいどのような構造をもつのか、こういう素朴な知的関心が、今日の「銭学」を基盤から支えている。
これが今日21世紀の中国の銭鍾書に対する評価であるが、もちろん文革期には銭鍾書は「反動的学術権威」のレッテルとともに紅衛兵による心身の拷問にさらされた。この時期に紅衛兵の暴力により殺されたり、不具にされたり、自殺に追い込まれた知識人は数知れない。このとき、この銭鍾書の苦境を救ったのは、次のような事情も関係があったらしい。解説の注記より引用する。
『宋詩選注』の初版が刊行されて間もなく、日本では小川環樹氏によって本書の書評が発表されている(京都大学『中国文学報』第一〇冊、一九五九年)。この書評は中国国内にも伝えられ、小川氏が本書に与えた最高級の評価が当時の銭氏に向けられた批判の声を鎮め、彼を苦境から救ったという。(中略)孫氏「銭鍾書京都座談記」参照。
銭鍾書が京大を訪ねたときの座談だから多少は割り引く必要もあるが、日本人の一人として、誇らしく思うエピソードではある。

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コメント

ご紹介の『宋詩選注』大変興味深いです。
さて、せっかくブログピープルに加えていただいたのに、最近アドレス変更をしてつながらなくなってしまっていました。
ライブドアを使っていたのですが、一連の騒ぎでホームページがザワザワしてしまったので上記にアドレス変更しました。
これからもよろしくお願いします。

投稿: MARU | 2006/02/15 17:29

MARUさん こんばんわ。リンクさっそく変更いたしました。exciteのデザインも素敵ですよね。今後ともどうぞよろしく。

投稿: かわうそ亭 | 2006/02/15 18:06

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受信: 2009/01/13 21:38

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