« 冬の飛将軍 | トップページ | 銭鍾書『宋詩選注』のこと »

2006/02/11

草田男って「ちょい悪オヤジ」という俳人

「角川俳句」2月号の「本当に名句なのか?評価の分かれる有名句」という特集のなかに、先日【ここ】、戦前の俳句弾圧事件とのからみで取り上げた中村草田男の句が俎上にあがっていた。

  金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り   草田男

じつはわたしの記事では初め「鉤」の字を「鈎」と間違っていたのだが、メールで誤りを教えていただいた。「彼奴」は「きゃつ」と読む。

さてこの特集、一句について五人の俳句作家が「既存の評価にとらわれずに論評する」という企画である。たいへん結構なことである。
ということで、この句をご担当なさった五人の先生様のお名前と、その御論評のポイントをあげさせていただく。(という書き方でわかるように、わたしはもう、久しぶりにかっか頭にきているよ(笑))

上野一孝氏 「ものを食べるということの原罪を描いた句であろう。」「ある種の功名心めいたものを感じる。」

片山由美子氏 「感情を剥きだしにしたもの」「憎しみもここに極まる」

渡辺誠一郎氏 「花鳥を愛でる世界からは最も遠い世界」「ブラックハイカイ」

如月真菜氏 「このチョイ悪な句」「団塊世代のファンタジー」

高山れおな氏 「この人はお肉の巨匠なのかも」

わたしは、思わず「はあー?」と心の中で叫んでしまった。
既存の評価にとらわれないことはよい。しかしこういう人口に膾炙した作品について、なにか論評することを求められれば、最低限、この句がどの句集に載っているか、いつごろ作られた句なのか、初出はどの句誌であったのか、そのときの作者が置かれていた社会的な状況はどうであったのか、は当然頭に置くべきではないのか。

先日のエントリーを繰り返すことになるが、初出は「ホトトギス」昭和14年、石田波郷、篠原梵、加藤楸邨たちとの座談会がきっかけで人間探求派と称された年である。この動きが、ホトトギスのなかで問題とされ、鶏頭陣の小野撫子が虚子を時局にからめて恫喝、撫子に取り入るもの、草田男の句を非国民呼ばわりして撫子に迎合する者、追い込まれた草田男は虚子に累が及ぶのを恐れてホトトギスを去る。そしてこの句を含む出句が草田男のホトトギスへの最後であり、虚子はこれを巻頭に据えたのだ。
その人物の俳句が無季であったり自由律であったり、あるいは伝統俳句を尊重しなかったりするのは、その人物の思想が赤化している証拠であると特高に検挙されて獄中で死んだ人間が本当にいた時代の話だ。笑い話ではない。

それらを知った上で、あらチョイ悪ぶったオヤジが、カッコつけちゃった句でしょこれ、と言ってのけるなら、ただの阿呆である。

作品をひとつのテクストとして、ほかの情報を一切排除して自由に解釈し味わえばよいという考え方もあるかもしれない。
それはわたしにも理解できる。
しかし、調べれば簡単にわかるのにその手間をかけず、テクスト批評という手法を作品を貶す場合に使うのは、わたしはフェアではないと思う。

上の五人のなかで片山氏と渡辺氏については、その憎しみの源がなんであるかは書かずともある意味ではきちんと受け止めておられる。しかし、いささか冷笑的なニュアンスは五人に共通する。とくにひどいのはいうまでもなく、如月氏である。
先人の俳句を批判的に(本当に名句なのか?)論評してくださいと俳句総合誌に言われて、ほいほい承諾、下調べもせず、よくも平気の平左でこんなお粗末で品のない文章が書けるものだと、その度胸には感心する。
書かせて掲載する俳句総合誌の編集長の見識もご立派なものだと申し添える。

|

« 冬の飛将軍 | トップページ | 銭鍾書『宋詩選注』のこと »

d)俳句」カテゴリの記事

コメント

かわうそ亭さんのお怒りの来ている道筋にうなづける気がする。草田男さんの句はいくつか他の句集で目にしたことがあるだけで、私はあまり詳しくないし、わかったようなことは言えないのだけど、何だかそれぞれ自分の身に響かない安全なところでケナシ弾を撃っている印象に不愉快なものを嗅ぎます。「花鳥」と「食」を分断したがる感性は好きになれないな。詠む題材にブランドはないと思う。

投稿: 屁爆弾 | 2006/02/12 01:08

屁爆弾さん、どうも。
いやぁ、おっさん怒ってますねえ。(笑)しばらくこのキャラで行こうかしら。このおっさん凶暴につき、なんてね。

投稿: かわうそ亭 | 2006/02/12 20:50

私は俳句のことは全く素人です。問題の評者がどんな方かも知りません。でも「既存の評価にとらわれずに」というのは、以前学校教育ではやった「あるがままを素直にとらえましょう」式悪しき直感主義的教育の二番煎じのような印象を持ちます。「感じたままをそのまま文章にしましょう」式作文教室もこの範疇です。ひょっとしたら編集者がそういう教育の哀れな犠牲者ではないのかとふと思いましたので一筆啓上。

投稿: 烏有亭 | 2006/02/14 12:58

烏有亭さん なるほどそれは思いつかなかったけど、納得できるお話ですね。
もともと瞬間湯沸かし器で、怒りもすっかり冷めてしまいましたので、読み返すと、我ながら、おいおいそこまで言うなよ、てなもんではありますが、まあ、そういう記録も含めてこのままエントリーは残しておこうと思います。言論とはそういうものだし。
コメントありがとうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2006/02/14 15:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/8608055

この記事へのトラックバック一覧です: 草田男って「ちょい悪オヤジ」という俳人:

» 俳句安楽椅子探偵の半日 [かわうそ亭]
今年の2月11日に書いた中村草田男の「金魚手向けん」の句に関連するエントリー(こちら)に関して。そのなかで、わたしはこう書いた。そしてこの句を含む出句が草田男のホトトギスへの最後であり、虚子はこれを巻頭に据えたのだ。今日、俳句友だちから、メールをもらって、年譜では昭和18年にホトトギスを去るとあるけ... [続きを読む]

受信: 2006/07/05 20:15

» 名句認定 [俳句的日常 come rain or come shine]
勲章をありがたがる人と、まったく興味のない人と、世の中には二通りの人間がいる。 名句もそれと似ている。『俳句』2月号の特集「本当に名句? 評価の分かれる有名句」について、秀彦さんが「疑問は疑問として良いとしても、それを何人かの俳人に語らせたものを読んでそこから何を得るのか」と、問いそのものに疑義を呈していらっしゃる(週刊俳句」第42号)が、ある句が名句か名句でないかを、重大事と捉える人と、まったく関心のない人と、世の中には二通りの人間がいる。 どっちでもいんじゃね? 後者は、そのひ... [続きを読む]

受信: 2008/02/10 01:18

« 冬の飛将軍 | トップページ | 銭鍾書『宋詩選注』のこと »