『お茶をどうぞ』楊絳
『お茶をどうぞ—楊絳エッセイ集』中島みどり訳(平凡社)は、1992年、著者八十歳のときに、北京・社会科学出版社が出版した『楊絳作品集』全三巻の第二巻「散文」から、訳者の中島氏が選んで編んだもの。タイトルにもなった『お茶をどうぞ』は、原文では「将飲茶」——「さあお茶にしましょう」というほどの意味だが、本書、軽い気持ちで読み始めると、意外に硬質な文体や内容に居ずまいを正されることになるだろう。
著者の楊絳(ようこう)については『宋詩選注』に関するエントリーで簡単に触れた。(【ここ】)銭鍾書の妻であり、中国では『ドンキホーテ』などの訳で知られる高名な文学者である。
ところで『お茶をどうぞ』という本書の題名はどうやら、翻訳の底本とは異なる単行本のエッセイ集のタイトルらしく、このエッセイ集には「孟婆の茶——思いつくままに、序に代えて」という前書があるという。ややこしいが、本書はあくまで『作品集』が底本なので、この「序に代えて」という短文も後ろの方に収録してある。
わたしは屋根のない列車に乗った。が、車ではなかった。地上を走るのではないからである。筏のようでもあったが、といって水上を行くのでもない。飛行機のようでもあったが機体もない。しかも長く連なっている。どうやら自動化されたコンベア・ベルトのようだ。長く長く、両側には手すりがあり、満員の乗客を乗せて、雲海の中を疾走している。という風にこの文は始まる。そうか、あの世への旅に出たところなのか。大勢の人々の中には、ぽつん、ぽつんと見知った顔もある。乗り換えのアナウンスがあって、みなさん茶館で「お茶をどうぞ」という。供されるのは孟婆茶である。これを飲むとこの世の記憶が全部消えてなくなるのである。
わたしはあわてて手すりを乗り越え、下をめがけてパッと跳んだ。頭が重く足下が軽いという気がしたが、跳んだ瞬間、頭は枕の上に落ち、目を開けると、何ごともなくベッドに横たわっていた。耳もとではまだ「私物を持っていると関門が越せない」と言うのが聞こえていた。この世に戻って、片づけておかねばならぬ私物とはなんだろう。記憶の中にあり、どうしても書きのこしてておきたい人たちのことだろうか。
なるほど、わたしは私物をたんと持っているのだ、早めに片づけておかなくては。
それはどうやら、著者と同じような知識人のことばかりではないようだ。
むしろ、著者の筆が力を得て、生き生きと躍動するのは、陋巷にあり、目に一丁字もなく、旧社会に踏みつけにされ、しかしそれでも善意を失わない人々との交遊を描くときである。
文革期、楊絳は反革命分子を意味する「牛鬼蛇神」とされ、頭半分をバリカン刈りにされた。「陰陽頭」という私刑である。文学研究所の地位は女子便所掃除係に降格されたが、そんなときにも銭鍾書と楊絳夫妻をこっそりと守り、不慣れな仕事の失敗を取り繕ってくれる市井の人々がいないわけではなかった。
そうだろう。人の世はそうでなくてはならないだろう。
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