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2006/03/18

雨の日は漢詩でも

仲春三月の雨である。

仕事場からは西に六甲山、東に生駒連山が望まれる。
ふだんから見晴らしだけはいいのだが、この時期になると山肌の色が日一日と明るいパステル調に変わっていくのがわかる。木々の芽がほころび始めているのだ。山笑うという季語を思いついた人は誰だろうか。

今日たまたま、読みかけの『宋詩選注(2)』銭鍾書(東洋文庫)に見つけた詩。
よく知られたものなのかどうか、不勉強にして知らない。
文字を眺めて中国の山や湖を想う。漢詩もいいものだ。
宋代詩文研究会による訳もつけておく。
丸写しになって多少気が引けるが、詩の愉しみを分かち合いたいという一心。どうか諒とせられよ。

唐庚(とうこう)
(1071-1121)

栖禅暮帰書所見  栖禅(せいぜん)より暮れに帰り見る所を書す

其の一
雨在時時黒    雨 在りて 時時 黒く
春帰処処青    春 帰りて 処処 青し
山深失小寺    山 深くして 小寺を失うも
湖尽得孤亭    湖 尽きて 孤亭を得たり

其の二
春着湖煙膩    春は湖煙に着きて膩(こま)やかに
晴揺野水光    晴れは野水に揺れて光る
草青仍過雨    草は青くして 仍(しき)りに過雨あり
山紫更斜陽    山は紫にして 更に斜陽あり


其の一
雨がなお降り続き、いつまでも暗いが、
春が戻り、いたる所、草木が青々としている。
山は奥深くなり、小さな寺はどこだか分からなくなったが、
湖が尽きたところで、ぽつんと建つ四阿(あずまや)を見つけた。

其の二
春になり、湖面のもやはしっとりと細やかになり、
空は晴れ、日差しは野を流れる小川の水面に輝き揺れる。
緑の草は、ひとしきり降った雨で青さを一層増し、
紫の山は、夕日を浴びて一段と紫に染まる

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コメント

ああ、美しい…いいですねぇ

投稿: mimo | 2006/03/19 14:18

どうもです。きれいな詩ですよね、これ。

投稿: かわうそ亭 | 2006/03/19 21:42

これはとても美しい詩ですね。
心洗われるというのは月並みな表現ですが、
本当に心がしっとりと濡れて、清浄になるような詩ですね。

投稿: maru | 2006/03/20 12:50

椎の実の降る夜少年倶楽部かな   変哲
の句ににつづき 唐庚の美しい漢詩のご紹介。
少年倶楽部を手にしたわけでも、大陸の春の風景をこの目でみたわけでもないのに、しみじみと郷愁を感じるのはなぜと思うほどです。
喜寿には数年ありますが、独居の母への便りに、思わず書き写しました。

投稿: ミラー | 2006/03/20 22:13

maruさん
どうもありがとうございます。唐庚という人は宋代最大の文人とされる蘇軾(1038-1101)を心から尊敬していたけれど、蘇軾が詩文をつくることが楽しくて仕方がないと思っていたのとは反対に、この唐庚ときたら、詩文をつくるのが辛くて悲壮な思いで苦吟を重ねていたのだそうです。しかし900年後の日本でこの詩いいねえ、なんて言われるとは想像だにしていなかったでしょうねえ。

ミラーさん
ほんと不思議ですよね。漢詩を読むと日本人でも郷愁を覚えるのは何故なんでしょう。漢詩を中国の方に読んでもらうと、また音楽的にとても美しくうっとりする。これまた不思議な懐かしさです。モノやお金は人に分けてしまうと、手元からなくなってしまいますが、詩はいくら分けてもなくならない。むしろ人と分かち合うことで豊かになるのが嬉しいです。お母様へのお手紙にも書き写してくださってありがとうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2006/03/20 23:45

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