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2006年4月

2006/04/29

聖の青春

『聖の青春』 大崎善生(講談社文庫)はわたしのような将棋にはまったく縁のない人間でも、涙なしには読み通すことができない好著だ。

村山聖(むらやま さとし/1969年 - 1998年)は広島県安芸郡府中町出身のプロ棋士であった。
幼児のときに罹った腎臓ネフローゼで何回も入退院を繰り返しながら、病院のベッドで将棋を独学する。11歳のとき中国地区のこども将棋大会に出場して優勝、以後5回連続優勝を続け子供の部ではもはや聖にかなう相手はいなかった。小学6年生のとき、広島そごうのイベントで森安秀光の指導対局の機会を得る。森安は九段、そのときの棋聖位を保持していたトッププレイヤー。

「何枚落ちにしようか」と森安に聞かれた聖は「飛車落ちでお願いします」と臆することなく答えた。その瞬間、森安は首をひねった。どんな強い子供でも普通は飛車角落ちでもプロにはなかなか勝てない。まして自分はプロのなかでも頂点に立つタイトルホルダーである。
「それでいいの?」と森安はもう一度やさしい声で聖に問いかけた。「飛車落ちでお願いします」と聖は表情を一つも変えずに再び答えた。伸一はそのやりとりをどぎまぎしながら聞いていた。森安の顔が明らかにむっとしているように見えたからだ。

引用中、伸一とあるのは聖の父である。病身の聖の将棋のために父はどこへでも一緒に行ってやった。5面指しの指導対局がはじまると、ほかの将棋では苦もなく勝った森安も聖のところでは小考を繰り返した。

聖は上手の攻めを巧みにかわし、するすると上部への脱出を企てる。プロの九段の鋭くかつ的確な攻めに少しもひるむようすもない。そしてついに聖の王様は安全地帯にまで逃げ延びた。それから一転、聖は森安陣に猛攻を仕掛け、その姿からは想像もつかないようなふてぶてしい手つきであっという間に上手玉を仕留めてしまった。
指導を終え観戦していた大人たちが一斉にため息を漏らした。森安はまるで勝負将棋を負けたように不愉快さを隠そうともしなかった。小学生とはいえ聖の将棋には勝負に対する辛辣さがあり、子供への指導とのんびり構えていたプロを熱くさせる何かがあったのだ。
森安は一言も誉めなかった。ただこうすればどうするつもりだったかと聖に聞き、聖は間髪を入れずにそれに答えるのだった。

見事な文章である。
1982年、奨励会に文句なしに合格しながら将棋界の古い慣習(師匠を選ぶ上での行き違いから、京都の灘蓮照九段が入会にクレームをつけた)により、奨励会入りを認められず、1年後に再受験してやっと入会を許された。
このころにほぼ同年代の10代で奨励会にいたのが、「チャイルドブランド」と呼ばる羽生善治、佐藤康光、森内俊之たちである。


聖の師匠となったのは森信雄であるが、この師匠と弟子の関係こそ本書の白眉だろう。わたしはほとんど泣き通しであったことを告白せねばならない。
ちなみに森信雄さんのブログに行くと、村山聖の未整理の写真が何枚か公表されている。この羽生と並び称された天才棋士の無垢な表情をとらえた写真は一見の価値があります。

⇒読書する聖

憂いの聖

笑顔の聖

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2006/04/26

山辺の道

今日は京都で月例の句会。

  山の辺の廃寺の沼の花筏        獺亭
  菜の花にによつと石欠け地蔵かな

130681488_0f6c13fc3b_2 先週、山辺の道をひとりで半日かけて歩いたのがどうやら一種の吟行になっていたらしい。そのときは別に俳句にまとめようとは思っていなかったのだが、句会の席でなにかつくらねばならなくなって、とっさにこのときの風景を想起して句作をしていたようだ。もちろん見たままとはかなり違うけれど。

「山の辺の廃寺の沼」というのは、内山永久寺跡という場所である。かつての大寺で、後醍醐天皇が吉野へ落ちたときに一時身を寄せていたと伝えられる。いまは、そういう大伽藍がここにあったとは信じがたい、まったくの廃墟である。もちろん俳句として読む時は奈良の「山辺の道」に特定してもらわない方がいい。
たまたま先週行ったときは、沼に向かって吹く風に乗り飛花が目の前の空間を埋めていた。写真ではうまくとらえることが出来ていないのが残念。風下の沼の岸は花筏が流れ寄せられていた。

130681888_18d0c50617_1 石欠け地蔵は道の辺にあって、おそらくは毎日世話をしてくれる人がいるのだろう、水が湯のみに入れられ花が手向けてあった。菜の花に、にょっと顔を出しているというのは空想の景である。

今日、出句したほかのいくつかの句も、サイドバーの「かわうそ亭の別館」2)時々一句に収録いたしました。いや、別にわざわざ見て頂くほどのものではありませんけれど。
(笑)

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2006/04/25

寺山修司と九條映子

図書館で「俳壇」5月号(本阿弥書店)にぱらぱらと目を通す。
今月の特集は「寺山修司‐われに五月を」である。特集に寄稿しているのは長部日出男、佐藤忠男、佐佐木幸綱、斎藤愼爾、三枝昴之、高柳克彦、大井恒行ほか十五人ばかり。
寺山が肝硬変で亡くなったのは47歳のとき。1983年の5月4日だった。

もっともこちらの特集のほうは斜め読み。どれもたいしたことない。
じつはこの雑誌を手に取ったのは表紙にあった「九條今日子」という名前が目にとまったからで、このインタビュー記事がお目当てであった。こっちはなかなか面白い内容だった。
「聞き書き‐詩歌の潮流/第5回・百年たったら帰っておいで」(聞き手:田中利夫)

たまたま数日前に、この方のお名前(ただし九條「映子」として)を別のところで篠田正浩さんが語っておられるのを目にしていたのである。彼女を寺山に頼まれて引き合わせたのは自分なんだ、という内容の話であった。

「俳壇」のインタビューでも、寺山との出会いのことが語られている。

当時、九條さんはSKD(松竹歌劇団)から松竹映画に引き抜かれ、やがて新興のテレビにも出るようになっていた。

テレビに出るちょっと前に、大船の篠田正浩監督がヌーベルバーグの一連の作品で、「乾いた湖」という映画を正式な監督として初めて撮ることになったんです。(1960年)寺山は作家として台本を書くことになったんだけど、「九條映子を紹介してくれるんだったら書くぞ」なんて偉そうなことを言ったらしく、篠田監督から電話がかかってきて、「いま、神楽坂の旅館で台本を書いているんだけれど、その作家が映子のファンで、会わせてくれ言ってるから陣中見舞いに来ないか」と言うんです。

やがて二人は結婚するが、寺山の母は最後まで反対であったとか。
その後二人は離婚してしまうが、離婚後も劇団の仕事はパートナーで、劇団員は彼女のことを奥さんと呼び続けた。知らない人は、彼女のことを「奥映子」という名前だと思った。

「青森県のせむし男」のとき、ニューヨークにいた寺山から電話が入り、美輪明宏(当時は丸山明宏)さんに出演交渉してくれと言ってきた。SKDのころから映子とは知り合いだったのである。役柄は醜悪な老女の役で、当時は誰より美しかった美輪さんだから駄目に決まっていると思いながら、銀巴里に会いに行った。

そうしたら美輪さんがすぐに台本を読んでくれて「やりたいわ」と言ったの。「あんた、いい人と結婚したわね。あんたは知らないだろうけれど、私は寺山修司の詩のファンなのよ」と言うのね。美輪さんはパラパラと台本を読んだだけで、台本を伏せて台詞を言ったりするのよ。「なんでそんなにすぐ覚えられるの」と尋ねたら、「あんた、わかんないの?寺山さんのこの本は七五調で書かれているから一回読めば頭に入っちゃうのよ」だって。美輪さんも寺山もどっちもすごいでしょ。

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俳家奇人談

2006_0425 岩波文庫に『俳家奇人談・続俳家奇人談』として合わせて一冊に復刻された二著は、竹内玄玄一(げんげんいち)の遺稿を息子の蓬蘆青青(ほうろ・せいせい)がまとめたものと言われる。
室町期の連歌師宗祗から始まって、荒木田守武、山崎宗鑑と続き、松永貞徳以下の貞門諸家、西山宗因以下の談林諸家を経て、蕉門の人々を詳述し、最後は蕪村、白雄、大島蓼太にまでにおよぶ。正続合わせて152人の俳家の月旦や挿話が集められており、「俳家奇人談」の部には鍬形蕙斎(くわがた・けいさい)の美しい挿絵8点が、また「続俳家奇人談」の部には蕪村描くところの蕉門十哲が再録されており、これらの図版を眺めるのもまた一興である。
著者の竹内玄玄一は、寛保二年(1742)播州高野に生まれ文化元年(1804)に江戸で没している。子供のときに病により失明した。すべて耳で覚えたこれらの俳家の伝をまとめたというからえらいものだ。俳諧の塙保己一といったところか。

本書の内容の一例として蕉門から越人を取り上げる。

越智越人(おち・えつじん)は、名古屋の人、蕉門の老弟。あるとき師の行脚に同行する約束があったが、いつしか発心の志が冷めたのか、若い女の出入りがたえず、芭蕉もこれにはあきれて、のちの行脚の折りにも立ち寄らなかった。なんとなく師弟のつながりが疎くなってしまったのを後悔して、

  羨まし思ひ切る時猫の恋

の句をつくって嘆いた。さかりの間はあれほどあさましい猫どもも、その期間を過ぎればぴたりと思い切って何ごともなかったかのようである。ああわたしは猫の恋が羨ましい、というほどの意味だろうか。
芭蕉もこの慚愧をよしとしたのか、のちの撰集にこれをとった。

ちなみにこの集というのは「猿蓑」ですね。巻四の芭蕉と去来にはさまれるように収められている。
      田家に有て
     麥めしにやつるゝ恋か猫の妻     芭蕉
     うらやましおもひ切時猫の恋     越人
     うき友にかまれてねこの空ながめ   去来

「俳家奇人談」の越人の項は以下のように終わる。

色は君子の慎む所なれど、また玉の巵(さかずき)に底なきもうとまし。さればこの両端を叩きて、その程を知れるこそ、これぞこの人の風流なるベしや。翁没して後、美濃の支考、先師の夢想滑稽の伝など妄言を構へ、その他杜撰の書多く出して古式を廃し、世人を欺きけるとて大いに怒り、不猫蛇(ふみょうじゃ)といふ書を著して、詳かにその非を弁ぜり。じつにわが道に深切なる清潔の士とは、この叟の事なるべし。

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2006/04/19

『陶淵明』一海知義

『陶淵明—虚構の詩人』一海知義(岩波新書/1997)を読む。
これは面白かった。「桃花源記」、「五柳先生伝」、「形影神」、「挽歌詩」など、さほど長いものでないので、原文と試訳を並べ、関連する先人の詩文などにも簡単にふれつつ、ざっくりと読んで行く。
淵明を単に「超俗の詩人」とする伝統的解釈(たとえば漱石の『草枕』)にあきたらず、著者は詩人が虚構の世界に対して強い興味と関心を抱いていた理由はいったい何だろうかという問いをたてた。

陶淵明は「虚構」という手法によって、何を表現し、何を訴えようと企図したのか。
その一つは、理想社会あるいは架空の状況の現出による、現実批判・現実風刺であり、いま一つは、分裂した自己(あるいは人間一般)の提示、または客観化による、統一への模索である。

本書を読むと、なるほどと得心がいく。

ところで、一海知義さんの本書での訳はとても面白い。井伏鱒二の『厄除け詩集』に通じる。
気に入ったものをひとつ紹介する。
淵明の「飲酒」と題する二十首連作の詩の第十八首。漢の文人揚雄(ようゆう)を詠じた部分であります。(揚雄、字は子雲、蜀郡成都の人。前53ー18)

 子雲性嗜酒   子雲は性酒を嗜(この)めども
 家貧無由得   家貧しくして得るに由(よし)無し
 時頼好事人   時に頼(さいわ)いにも好事の人の
 載醪祛所惑   醪(どぶろく)を載せて惑う所を祛(はら)わんとす
 觴来為之尽   觴(さかずき)来れば 之(これ)が為に尽くし
 是諮無不塞   是(こ)れ諮れば 塞(み)たされざる無し
 有時不肯言   時有りて 肯(あえ)て言わざるは
 豈不在伐国   豈に国を伐つに在らずや
 仁者用其心   仁者は其の心を用うるに
 何嘗失顕黙   何ぞ嘗て顕黙(けんもく)を失(あやま)たん

 揚子雲ハ生マレツキノ酒好キダガ
 家ガ貧シク手ニ入レヨウガナイ
 タマタマ物好キナ人ガイテ
 ドブロク運ンデ疑念ヲタダス
 ササレタ杯 ツギツギ飲ミホシ
 タズネル事ニハ何デモ答エタ
 アエテ答エヌ時ガアッタガ
 他国ヲ侵ス手ダテノ問イカ
 仁者タルモノノ心バエ
 言ウト言ワヌトニ取リチガエナシ

問われもせんのに、やたら言いたがって、しかも言ってることは取り違えばっかし、といういうのが、今日日のブログでありますから、これは耳が痛い。「何嘗失顕黙」とはいかないようで。(笑)

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2006/04/18

ブログ再録の口上

吉川幸次郎は「文章自己的好、老婆人家的好」(文章は自分のがよく見え、女房は他人のがよく見える)という中国のことわざをひいて、ときに仕事に疲れたときには自分の書いた文章を読む話をしている。(「自分の文章」全集20)
まあ、のっけから、吉川博士を引き合いにだすのもどうかと思うが(笑)たまたま、むかし書いた文章を読み返してみたら、結構面白くて読み耽ってしまった。というわけで、そんななかから一編をここに再録させてほしい。
下の文章「正義は目かくしをしている」は2000年2月15日にブログに移る以前の、旧い「かわうそ亭」サイトの雑感に書いたものであります。すこし勘違いのところもあるようですが、あえて訂正はせず、当時の文章をそのまま再録します。いま国が進めようとしている裁判員制度について、このあたりのことを押さえておく方がいいんじゃないかなという基本的な考え方は変わっていないのであります。(進歩がないなあ)
なお、写真は今回つけたものです。Goddess of Justice のイメージは建築、絵画、ロゴなど、厖大なリンク集がありました。興味のある方はどうぞ調べてみてください。→こちら

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再録「正義は目かくしをしている」

冤罪事件の報道などで、たとえば最高裁の玄関を、「無罪」なんてのぼりを抱えて走り出てくる映像はある意味では定番といってもいい図柄です。ただし、ぼくはあれがあまり好きではない。もちろん冤罪は許しがたく、それを許した風土は憎んであまりあるものですが、それにしてもなんとなくあの光景は居心地が悪いのですね。

欧米の法廷が出てくるミステリを読んだり、映画を見ていると、裁判というもののイメージがぼくらの感覚とずいぶん違うことに戸惑う。
その最大の原因は陪審員制度というものにあると思うのですが、考えてみるとこれはとても面白い制度ですね。
なにしろ、場合によっては人の生死を分けるような重大な決定を、無作為に選ばれたフツーのおじさんやおばさんが下すわけです。まことに入り組んだ経済、金融、医療、航空工学、なんであれ検察、弁護側双方が繰り出す一級の専門家の意見も聞いた上で、有罪か、あるいは有罪ではないかを最終的に判断するのは、超難関の司法試験をパスできる生来の記憶力と根気に恵まれた裁判官ではなく、くたびれたサラリーマンであるこのぼくや、マクドナルドでポテトを揚げている近所のパートのおばちゃんなのね。
だから、欧米の裁判はあてにならないよね、ほらO.J.シンプソンだって刑事裁判は「無罪」にしちゃったでしょ、などと言う人もいるけれど、ぼくはそうは思わないのね。
それは裁判というものをどう見るかということにかかっている。というのは、ぼくの見るところでは、彼らの裁判は、実はあれは「真実」を明らかにするところではないのですね。では、何をするところか。
勝ち負けをとりあえず決める場である、というのがぼくの見解。同じことでしょ?いいえ、不謹慎ながら、あれは、一種のスポーツだと見た方がいい。
Easteregg
すこし話が変わりますが、映画などを注意深く見ると、裁判所の正面に秤をもった女神がいることに気付きます。記憶に間違いがなければ、その女神は目かくしをしています。
目かくしの方は、いささか怪しいけれど、秤を持った女神は、これは「正義」の象徴で、必ずといっていいほど、古い裁判所の建物にはつきものなのですね。
秤は天秤のかたちをしています。つまり左右に錘(おもり)を載せる皿がぶら下がっている。
英米の裁判というものは、ちょうどこの秤のイメージなんですね。いま検察側が証拠という錘を一方の秤に載せようとします。その錘を使っていいかどうかを決定するのが、裁判官の役割です。たとえば法的な手順に問題があれば、いかにそれが決定的な証拠であれ法廷という「秤」に載せることは認められません。「陪審員の皆さんはいまの発言を判断の材料にしてはなりません。いいですね」などとよく判事が言いますね。彼らは裁判という仕組みとそれを成り立たせている法そのものの専門家であって、裁判というゲームを厳格なルールで進行させるための人なわけです。すなわちスポーツにおける審判そのもの。
さて検察側が証拠や証人の証言という錘を載せて秤が、ぐぐっと沈み込むと、今度は弁護側の反対訊問が始まります。
「ところで証人は普段は眼鏡をしているのではありませんか?」
「異議あり!判事閣下、本件とは無関係の質問です」
「異議を却下します。証人は質問に答えるように」
なんてやりとりで、証人の目撃証言が実はあやふやであることが明らかにされて、秤はまたバランスを取り戻す。
まあ、ざっとこんなやりとりですね。
さてここでもっとも大事なのは、弁護側は、この秤のバランスを取り戻しさえすればいいという点。反対に検察は、秤が検察側に傾いていることを「合理的な疑いの余地なく」陪審員たちに理解させなければならないということです。 そして、こういう仕組みであれば、純粋な秤を頭の中に描いてこの秤が検察に側に傾いている場合にのみ有罪と機械的に判断することは、これは東京大学法学部を出ている必要はまったくない。司法試験を受かる必要はさらさらない、ということはあきらかではないでしょうか。むしろ、純粋に秤の傾きを感じるためには普通の人が目かくしをしているくらいの方がいい。法廷の正義のシンボルが目かくしをしている理由はここにあるようです。

では、「真実」はどうなるのだ、と言われるかもしれない。
これに対するぼくの答えは、真実はおそらく神によってしか裁かれない。または、最後には神によって「真実」の裁きが下される以上、人間にできることはこの世の勝ち負けを決めるくらいなんだよ、という暗黙の考え方が根底にあるのだと思うのであります。
しかし、そりゃ、キリスト教的な価値観でしょうが、とまた言われるかもしれない。そうかも知れない。しかし、日本だってたとえば、山本夏彦さんは、昔は法の裁きなんぞ必要なかったとエッセイで喝破していましたね。
いわく、昔は化けて出れたからそれでよかったのである。

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2006/04/16

『グールド魚類画帖』

Gouldfish 『グールド魚類画帖』リチャード・フラナガン/渡辺佐智江訳(白水社/2005)を読む。
かならずしも読みやすい本ではないけれども、全体にちょっとした仕掛けがあるので、最後まで読み通した上で、最初からあらためて読み直すと(たぶんもう一回全部読み直す気力は残ってないでしょうが)「ああ、なるほどそういう小説だったのか」と納得できるようになっている。いわば螺旋のような構造ですな。

19世紀のファン・ディーメンズ・ランド(現在のタスマニア)の流刑地を舞台にしたブラック・ユーモアともマジック・リアリズムともポスト・モダンとも呼ぶべき奇怪な作品でありまして、よく意味がわからないところが多いにもかかわらず読んでいる間は悪夢にも似た濃密な力に囚われる。まあ囚人の物語だから、囚われるも道理か。

主人公の名前はウィリアム・ビューロー・グールド(William Buelow Gould)。タスマニア公文書館の記録にもある実在の人物だそうだが、本書は伝記でも歴史小説でもなく、あくまで作家の想像力で(それもかなり破格の想像力でありますね)こね上げられた力作であります。
全部で十二の章に分かれており、各章の扉に魚類や甲殻類の絵が置かれている。ひどく人間くさい表情の動物たちで、愛嬌があると見えなくもない。
見ていると楽しいのですが、オハナシの方は、鉄の足枷、鞭打ち、満潮時に天上近くまで浸水する牢獄、血膿、淋病と梅毒、虱、人食い豚の大量の糞から突き出した人骨、大量殺人、樽にびっしり詰められた黒人たちの首、逃亡奴隷、反乱の業火——と野蛮と暴力と残虐のてんこ盛り。ただし、ここまで醜悪なものが徹底するとむしろこれも愛嬌があると言えなくもない。
まあ、万人にオススメとは言えませんが、ちょっと風変わりで小説の力技を味わいたい向きはお試しあれ、でございます。
わたしは、結構気に入りました。

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2006/04/12

近江の蔵書日本一

「週刊東洋経済」4月8日号に図書館蔵書数ランキングが出ていました。
全国47都道府県ごとに住民1000人あたりの公立図書館の蔵書数を並べてみたものだとのこと。出所は日本図書館協会「日本の図書館」。(データは05年3月末時点)
みなさんの地元はいかがでしょうか。

 1 滋賀   5608冊
 2 福井   4558
 3 徳島   4218
 4 山梨   3904
 5 富山   3830   
 6 鳥取   3738
 7 石川   3656
 8 栃木   3585
 9 東京   3524
10 長野   3493

11 島根   3371
12 佐賀   3142
13 山口   3136
14 群馬   3110
15 香川   3036
16 岡山   2942
17 静岡   2941
18 岩手   2928
19 埼玉   2896
20 奈良   2844

21 高知   2833
22 岐阜   2767
23 千葉   2693
24 秋田   2655
25 北海道  2652
26 茨城   2611
27 三重   2580
28 愛媛   2527
29 沖縄   2508
30 長崎   2482

31 山形   2460
32 大分   2451
33 愛知   2446
34 鹿児島  2440
35 大阪   2416
36 福島   2336
37 青森   2322
38 新潟   2309
39 宮崎   2252
40 広島   2220

41 京都   2210
42 福岡   2117
43 宮城   2074
44 兵庫   2062
45 熊本   2030
46 和歌山  2025
47 神奈川  1826

たぶん北陸の各県が上位にくるような気はしていましたが、福井、富山、石川はいずれもベスト10に入っていますね。
滋賀がトップというのは意外でした。しかし滋賀以外の関西勢はあまりよくないようです。神奈川と滋賀の間には三倍以上の差があります。
まあ、県単位で比較することにはあまり意味はないような気はしますけれど。

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2006/04/07

亡びたる「女房コック論」

全国亭主関白協会の「亭主関白道」段位認定基準(ここ)によれば、女房がつくった料理に「もうちょっとだな」とダメ出しができる人は、亭主関白3級に認定してもらえるそうであります。

「なあんだ、それっぱかし」と馬鹿にするか、わたしのように「そ、そんな大それたことを」と想像するだけで足が震えるかは人によるでしょうが、「なにゆうとんの。つくってもらえるだけでも有難いとお思い!」というのが、昨今の、みなさまのご家庭におかれましても、大半の奥様のご見解ではないかと愚考いたす次第。

ところがですね、ここに吉田健一の「女房コック論」というとんでもないエッセイがありまして、書かれたのは昭和32年ですが、現在これを読むと不肖わたくしなど深い感慨に浸るのであります。

家でおいしいものが食べたいと思うなら、なんにせよ、女房がたよりである、と吉田健一は言います。もちろん、サラリーマンであれば、たいてい昼飯は外で食べますし、それなりの地位になれば、夕食も社用でカネのかかったものをいただくという機会も少なくない。

しかしですな、だいたい接待なんてものは、するほうもされるほうも気疲ればかりして、あんまり楽しいものではない。(いや、オレは大好きだぞ、楽しいぞ、と主張される方がいても別にかまわないが、友達になりたい人ではない)

したがって、あらまほしくは、家でごろちゃらしていて、美味しいものが食べられるというのがよろしい、ト。

ならば、どうするか。女房を教育するのである、と吉田健一は言うのでありますね。(わたしが言うのではないよ、念のため)

そのためには、まず嫁さんが食いしん坊であるのが望ましい。さらにそういう食いしん坊の嫁さんと一緒に美味い店に行けと言う。それも高級なフランス料理なんかではなくて、安くて美味いおでんやとかてんぷらやとかに連れて行け、ト。

「そうでしょ。そうでなきゃ、やってられないわよ」という女房族の声が聞こえそうである。「吉田健一、けっこういいこと言ってるじゃない」

ちょっとお待ち願いたい。エッセイのキモはここからである。これから先を読まれた奥様方が、怒りをわたしにぶつけられても困る。くれぐれもこれは、あの吉田健一がもう半世紀近くむかしに書いた文章であることをお忘れなく。

女房に味の學問をさせても、その深さの程を示す機會を與へなければ意味をなさない。

ではどうするか。

我々は偶に家にゐる時は一日六食主義を採用すべきである。

まず朝飯は早めに。これで一食。すると10時頃には、もう腹が減るので、なにかちょちょっと手早くつくらせましょう。なに、たいしたものでなくてかまわないんです。たとえば――

牛の肝を少し入れたマカロニ・グラタンでも、前の晩の煮染めかおでんが冷えたのに番茶が一杯でも、要するに、何かさういふものを作らせるのである。

これで、二食ね。つぎ昼食。

 晝飯は言ふまでもない。 

ここすごいですね。「言うまでもない」。いったいなにをつくらせるんだろう。(笑)以下めんどくさいので解説抜きで、最後の六食めまで通して引用します。

それからお八つであるが、このお八つに番茶と鹽煎餅などといふのは、假に食慾の面でそれで我慢が出来ても、女房の教育の為にそれでは甚だ心細い。それに午後といふのは、一日を區切る時間の中でも比較的に長い方に屬してゐて、お八つから晩飯までにはまだまだあり、この大事な時に少しは腹の足しになるものを食べて置かなくては體が持つ譯がない。

地方出の女なら、富山の鱒鮨、金澤の鰯鮨、吉野の鮎鮨の作り方位は知つてゐる筈であり、かういふものはお八つに絶好である。或はローストビーフを二切ればかり、西洋山葵を薄く削つたのを添へて出すのもいいし、或はおこはでも、ロシア風の肉饅頭でも、榮螺の壷焼きでも、少しもたれるやうで、それだけ食べれば大したことはないものならば足りる。

そしてそのうち晩飯になり、折角、一日家にゐるのであるから、そのまま寝てしまふことはない。従つて夜食がどうしても必要になり、これは一日で最後の食事であるから、もつと腕を振ふ餘地がある筈であつて、かういふ場合に方々での見學がものを言ふ。そして我々は満足する。

うん、そんな女房コックがいれば、そりゃ、我々は満足だが――(笑)

「女房コック論」は『舌鼓ところどころ』吉田健一(文藝春秋/1958)に収録。

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2006/04/05

淡淡幽情

「本に溺れたい」のrenqingさんに教えていただいた、鄧麗君の「淡淡幽情」をiPodに入れて通勤などでときどき聴いている。美しい歌声である。そのうちに、ライナー・ノーツに記されている詞を目で追いながら聴きたいと念じながら、なかなか時間がとれなかった。今日、ようやく、ひとつひとつ言葉を確かめながら聴くことができた。もちろん、わたしの中国語はごくごく初級レベル(にも達していないけど)だから、あるいは間違っているかもしれないが、ここで鄧麗君は意図的に、普通話(標準語)を用いるという方針をとっているようだ。中国では地域によって、同じ文字でも発音はまったく異なる。音だけではほとんどコミュニケーションができないために、この普通話を使うことは、国家の統一ということから非常に重要なこととされる。鄧麗君も広東語でも福建語でもなく、普通話で宋詞を歌った。つまり、すべての中国人に向けて、わたしは歌うということなのだろう。歌手テレサ・テンが台湾や香港で、どの発音をつかっていたのかは、わたしはまったく知らない。だが、この普通話の音は彼女の普段使うものではないのではないかという気がしている。

さてこのCD「淡淡幽情」、詞もこまやかな抒情や涙に満ちたものだが、独特の漢語の音と相まって嫋々たる気分がせつせつと伝わってくる。素晴らしい作品である。

日本人であっても、歌詞カードがあれば、歌を聴きながら、一語一語、詞をたどることはたぶんそれほど難しくないと思う。とりあえず、漢語の初級クラスの人なら、何回か聴けば唱和できそうだ。蘇軾の「但願人長久」を転載する。

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但願人長久  蘇軾

明月幾時有
把酒問晴天
不知天上宮闕
今夕是何年

我欲乗風帰去
唯恐瓊樓玉宇
高處不勝寒
起舞弄清影
何似在人間
轉朱閣
低綺戸
照無眠
不應有恨
何事長向別時圓

人有悲歓離合
月有陰晴圓缺
此事古難全

但願人長久
千里共嬋娟

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2006/04/01

3月に読んだ本

『サトラップの息子』アンリ・トロワイヤ/小笠原豊樹訳(草思社/2004)
『半七捕物帳(1)新装版』岡本綺堂(光文社時代小説文庫/2001)
『挿絵画家・中一弥—日本の時代小説を描いた男』中 一弥/構成・末国 善己(集英社新書/2003)
『かわうその祭り』出久根達郎(朝日新聞社/2005)
『明治俳壇史』村山古郷(角川書店/1985)
『お茶をどうぞ—楊絳エッセイ集』楊絳/中島みどり訳(平凡社/1998)
『河伯洞余滴—我が父、火野葦平その語られざる波瀾万丈の人生』玉井史太郎(小学館/2000)
『贅沢な読書』福田和也(光文社/2003)
『宋詩選注 (2)』銭鍾書/宋代詩文研究会・訳注(東洋文庫/平凡社/2004)
『丸谷才一批評集・第一巻 日本文学史の試み』(文藝春秋/1996)
『句あれば楽あり』小沢昭一(朝日新聞社/1997)
『半七捕物帳(2)新装版』岡本綺堂(光文社時代小説文庫/2001)
『多民族国家 中国』王柯(岩波新書/2005)
『花のうた紀行』馬場あき子(新書館/2004)

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3月に見た映画

少女の髪どめ(イラン/2001)
監督:マジッド・マジディ
出演:ホセイン・アベディニ、モハマド・アミル・ナジ

パリのレストラン(フランス/1995)
監督・脚本:    ローラン・ベネギ
出演:    ミシェル・オーモン、ステファーヌ・オードラン 

WATARIDORI(フランス/2003)
総監督: ジャック・ペラン

ザ・インタープリーター(アメリカ/2005)
監督: シドニー・ポラック
出演: ニコール・キッドマン、ショーン・ペン、キャサリン・キーナー

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嘆きのリトル・マーメイド

今月のはじめ、何者かがコペンハーゲンの人魚姫の像に緑色のペンキをぶっかけて、ディルドーを飾り立てるという悪行をなしたことは日本でも報じられておりました。
当日が国際女性デー(3月8日)であったことと、ディルドー(性具のペニス)をこれ見よがしに飾っていたことから、過激なフェミニスト達の示威行動ではなかろうかとか、いやなにしろデンマークだから例の漫画の意趣返しではとか、いろいろ憶測を呼んでおりましたね。

今日のBBCのサイトでは、管理当局が、人魚姫の位置を数メートル沖に移すことを検討していると書かれています。

Denmark may move Little Mermaid

人の手が届かなければ、悪さもできないだろうというわけですが、もともとあんまり大きな作品でもないので、位置が遠くなると、ますます観光客の失望を買うということで、痛し痒しのようであります。

野外のモニュメントに対する破壊行為ということでは、このリトル・マーメイドは可哀想に執拗に狙われているのだそうで、二回ほど首を斬られ、片腕を切断され、ペンキを塗られたのは少なくとも七回はあるのだとか。イスラムの女性のする黒いブルカをかぶせられたり、おっぱいにブラジャーされたりなんてのもあるらしい。首を斬られてもちゃんと復元されているのは、原型の彫刻が保管されているからだと思われます。

この人魚姫はビール会社カールスバークの二代目が制作を依頼して寄付したものらしい。1910年頃に王立劇場で上演していたバレエの「人魚姫」のプリマドンナをモデルにして、エドワード・エリクセン(Edvard Eriksen:1876-1959)という彫刻家がつくったものだとか。プリマドンナの名前はエレン・プライス(Ellen Price:1878-1968)といいまして、当時の人気絶頂のバレリーナであった。
もっとも、このモデル説には、いささか無粋な解説もありまして、頭部はたしかにエレン・プライスなんだそうですが、彼女はヌードでポーズをとるのを拒んだので、躰の方は作者のエリクセンの妻かもしれないんだそうな。いいじゃないの、妻のだって。(笑)
(詳しくはここを参照してください)

ところで、これは「Wikipedia」に載っていることなので、たぶん裏付けはあるのだと思うが、このリトル・マーメイド像のモデルとされるエレン・プライスは、岡田真澄の叔母さんなんだって、へえ。

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