« ブログ再録の口上 | トップページ | 俳家奇人談 »

2006/04/19

『陶淵明』一海知義

『陶淵明—虚構の詩人』一海知義(岩波新書/1997)を読む。
これは面白かった。「桃花源記」、「五柳先生伝」、「形影神」、「挽歌詩」など、さほど長いものでないので、原文と試訳を並べ、関連する先人の詩文などにも簡単にふれつつ、ざっくりと読んで行く。
淵明を単に「超俗の詩人」とする伝統的解釈(たとえば漱石の『草枕』)にあきたらず、著者は詩人が虚構の世界に対して強い興味と関心を抱いていた理由はいったい何だろうかという問いをたてた。

陶淵明は「虚構」という手法によって、何を表現し、何を訴えようと企図したのか。
その一つは、理想社会あるいは架空の状況の現出による、現実批判・現実風刺であり、いま一つは、分裂した自己(あるいは人間一般)の提示、または客観化による、統一への模索である。

本書を読むと、なるほどと得心がいく。

ところで、一海知義さんの本書での訳はとても面白い。井伏鱒二の『厄除け詩集』に通じる。
気に入ったものをひとつ紹介する。
淵明の「飲酒」と題する二十首連作の詩の第十八首。漢の文人揚雄(ようゆう)を詠じた部分であります。(揚雄、字は子雲、蜀郡成都の人。前53ー18)

 子雲性嗜酒   子雲は性酒を嗜(この)めども
 家貧無由得   家貧しくして得るに由(よし)無し
 時頼好事人   時に頼(さいわ)いにも好事の人の
 載醪祛所惑   醪(どぶろく)を載せて惑う所を祛(はら)わんとす
 觴来為之尽   觴(さかずき)来れば 之(これ)が為に尽くし
 是諮無不塞   是(こ)れ諮れば 塞(み)たされざる無し
 有時不肯言   時有りて 肯(あえ)て言わざるは
 豈不在伐国   豈に国を伐つに在らずや
 仁者用其心   仁者は其の心を用うるに
 何嘗失顕黙   何ぞ嘗て顕黙(けんもく)を失(あやま)たん

 揚子雲ハ生マレツキノ酒好キダガ
 家ガ貧シク手ニ入レヨウガナイ
 タマタマ物好キナ人ガイテ
 ドブロク運ンデ疑念ヲタダス
 ササレタ杯 ツギツギ飲ミホシ
 タズネル事ニハ何デモ答エタ
 アエテ答エヌ時ガアッタガ
 他国ヲ侵ス手ダテノ問イカ
 仁者タルモノノ心バエ
 言ウト言ワヌトニ取リチガエナシ

問われもせんのに、やたら言いたがって、しかも言ってることは取り違えばっかし、といういうのが、今日日のブログでありますから、これは耳が痛い。「何嘗失顕黙」とはいかないようで。(笑)

|

« ブログ再録の口上 | トップページ | 俳家奇人談 »

b)書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/9666402

この記事へのトラックバック一覧です: 『陶淵明』一海知義:

« ブログ再録の口上 | トップページ | 俳家奇人談 »