亡びたる「女房コック論」
全国亭主関白協会の「亭主関白道」段位認定基準(ここ)によれば、女房がつくった料理に「もうちょっとだな」とダメ出しができる人は、亭主関白3級に認定してもらえるそうであります。
「なあんだ、それっぱかし」と馬鹿にするか、わたしのように「そ、そんな大それたことを」と想像するだけで足が震えるかは人によるでしょうが、「なにゆうとんの。つくってもらえるだけでも有難いとお思い!」というのが、昨今の、みなさまのご家庭におかれましても、大半の奥様のご見解ではないかと愚考いたす次第。
ところがですね、ここに吉田健一の「女房コック論」というとんでもないエッセイがありまして、書かれたのは昭和32年ですが、現在これを読むと不肖わたくしなど深い感慨に浸るのであります。
家でおいしいものが食べたいと思うなら、なんにせよ、女房がたよりである、と吉田健一は言います。もちろん、サラリーマンであれば、たいてい昼飯は外で食べますし、それなりの地位になれば、夕食も社用でカネのかかったものをいただくという機会も少なくない。
しかしですな、だいたい接待なんてものは、するほうもされるほうも気疲ればかりして、あんまり楽しいものではない。(いや、オレは大好きだぞ、楽しいぞ、と主張される方がいても別にかまわないが、友達になりたい人ではない)
したがって、あらまほしくは、家でごろちゃらしていて、美味しいものが食べられるというのがよろしい、ト。
ならば、どうするか。女房を教育するのである、と吉田健一は言うのでありますね。(わたしが言うのではないよ、念のため)
そのためには、まず嫁さんが食いしん坊であるのが望ましい。さらにそういう食いしん坊の嫁さんと一緒に美味い店に行けと言う。それも高級なフランス料理なんかではなくて、安くて美味いおでんやとかてんぷらやとかに連れて行け、ト。
「そうでしょ。そうでなきゃ、やってられないわよ」という女房族の声が聞こえそうである。「吉田健一、けっこういいこと言ってるじゃない」
ちょっとお待ち願いたい。エッセイのキモはここからである。これから先を読まれた奥様方が、怒りをわたしにぶつけられても困る。くれぐれもこれは、あの吉田健一がもう半世紀近くむかしに書いた文章であることをお忘れなく。
女房に味の學問をさせても、その深さの程を示す機會を與へなければ意味をなさない。
ではどうするか。
我々は偶に家にゐる時は一日六食主義を採用すべきである。
まず朝飯は早めに。これで一食。すると10時頃には、もう腹が減るので、なにかちょちょっと手早くつくらせましょう。なに、たいしたものでなくてかまわないんです。たとえば――
牛の肝を少し入れたマカロニ・グラタンでも、前の晩の煮染めかおでんが冷えたのに番茶が一杯でも、要するに、何かさういふものを作らせるのである。
これで、二食ね。つぎ昼食。
晝飯は言ふまでもない。
ここすごいですね。「言うまでもない」。いったいなにをつくらせるんだろう。(笑)以下めんどくさいので解説抜きで、最後の六食めまで通して引用します。
それからお八つであるが、このお八つに番茶と鹽煎餅などといふのは、假に食慾の面でそれで我慢が出来ても、女房の教育の為にそれでは甚だ心細い。それに午後といふのは、一日を區切る時間の中でも比較的に長い方に屬してゐて、お八つから晩飯までにはまだまだあり、この大事な時に少しは腹の足しになるものを食べて置かなくては體が持つ譯がない。
地方出の女なら、富山の鱒鮨、金澤の鰯鮨、吉野の鮎鮨の作り方位は知つてゐる筈であり、かういふものはお八つに絶好である。或はローストビーフを二切ればかり、西洋山葵を薄く削つたのを添へて出すのもいいし、或はおこはでも、ロシア風の肉饅頭でも、榮螺の壷焼きでも、少しもたれるやうで、それだけ食べれば大したことはないものならば足りる。
そしてそのうち晩飯になり、折角、一日家にゐるのであるから、そのまま寝てしまふことはない。従つて夜食がどうしても必要になり、これは一日で最後の食事であるから、もつと腕を振ふ餘地がある筈であつて、かういふ場合に方々での見學がものを言ふ。そして我々は満足する。
うん、そんな女房コックがいれば、そりゃ、我々は満足だが――(笑)
「女房コック論」は『舌鼓ところどころ』吉田健一(文藝春秋/1958)に収録。
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コメント
え~っと、察するに吉田健一さんは糖尿か、糖尿予備軍だったんじゃないかと(笑)。
10時にグラタン、おやつに鱒寿司、そのうえ夜食となると、一日3000カロリーは軽く超えるでしょうし、早晩成人病になるのは間違いないと思います~。
あら~?もしかして奥様は、糖尿で早死に、の線を狙っておられたんじゃ?・・・・まさか、私じゃあるまいし・・・・おほほほほ。
投稿: なぎ | 2006/04/08 01:25
はじめまして。
固い印象の強かった吉田健一氏が、何というのか妙に身近になりました(超封建的なのかもしれませんが、読み手からみたらただ笑うしかありませんよね)。
しかしこちらは三十路に突入するや一日二食か三食でさほど食べなくともウエストラインが気になるというのに、何とも羨ましい生活・体質です・・・・・・。
投稿: canary-london | 2006/04/08 05:40
いやあ、一日6食ね。
私など10代のときから貧血気味なので朝食抜きの一日2食。それが朝もゆっくり出来る身分になって、ようやく3食がもたれ気味です。
子供のころ親の実家へ行くと、町中ではまだ食料不足というのに一日4食なので、百姓家はそれが当たり前なんだと思ったら、正月に出かけたときは3食しか出ない。
夏の農作業は一日が長いので、休憩をかねて昼を2度取っていたのですね。それでも一日が長いという理由で4食というのには驚いたものですが。
投稿: 我善坊 | 2006/04/08 11:19
なぎさん
ははは、このエントリー、たぶんなぎさんあたりから「つっこみ」があるのではないかと思っておりましたが、やっぱり。10時の間食とお八つだけやたら具体的に書いて、朝昼晩になにをつくらせるかはわざと書かない。当然、これ以上に手のかかるものが出てくるんだよと言ってるわけで、ほんと食えないおっさんですねえ。(笑)
そうか、我が家の粗食は、夫の健康を願う妻の愛情であったのか。ほんまか?
canary-londonさん
はじめまして。コメントありがとうございます。いや、ホント笑うしかありません。写真で見るかぎり、吉田健一はほっそりした体型の印象なんですが、この『舌鼓ところどころ』という本を読むかぎりでは、話半分としても、とんでもない大食漢であります。この本のもとになったのは文藝春秋の企画で、金沢や酒田や長崎に行って食べまくるという「食いしん坊万歳」の元祖みたいな仕事だったようですが、いや、その食べる回数が半端ではない。わたしはほとんど呆然となってしまいました。
今後ともどうぞよろしく。
我善坊さん
わたしは結構食べるほうなんですが、さすがに、一日家にいるときでも四食プラスお菓子くらいで十分に満足です。それよりなにより、六食主義で行きたいなんどと言おうものなら、帰ってくんな、と言われること必定です。いやはや。むかしのおとうさんは強かった。(笑)
投稿: かわうそ亭 | 2006/04/08 20:23