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2006/04/25

俳家奇人談

2006_0425 岩波文庫に『俳家奇人談・続俳家奇人談』として合わせて一冊に復刻された二著は、竹内玄玄一(げんげんいち)の遺稿を息子の蓬蘆青青(ほうろ・せいせい)がまとめたものと言われる。
室町期の連歌師宗祗から始まって、荒木田守武、山崎宗鑑と続き、松永貞徳以下の貞門諸家、西山宗因以下の談林諸家を経て、蕉門の人々を詳述し、最後は蕪村、白雄、大島蓼太にまでにおよぶ。正続合わせて152人の俳家の月旦や挿話が集められており、「俳家奇人談」の部には鍬形蕙斎(くわがた・けいさい)の美しい挿絵8点が、また「続俳家奇人談」の部には蕪村描くところの蕉門十哲が再録されており、これらの図版を眺めるのもまた一興である。
著者の竹内玄玄一は、寛保二年(1742)播州高野に生まれ文化元年(1804)に江戸で没している。子供のときに病により失明した。すべて耳で覚えたこれらの俳家の伝をまとめたというからえらいものだ。俳諧の塙保己一といったところか。

本書の内容の一例として蕉門から越人を取り上げる。

越智越人(おち・えつじん)は、名古屋の人、蕉門の老弟。あるとき師の行脚に同行する約束があったが、いつしか発心の志が冷めたのか、若い女の出入りがたえず、芭蕉もこれにはあきれて、のちの行脚の折りにも立ち寄らなかった。なんとなく師弟のつながりが疎くなってしまったのを後悔して、

  羨まし思ひ切る時猫の恋

の句をつくって嘆いた。さかりの間はあれほどあさましい猫どもも、その期間を過ぎればぴたりと思い切って何ごともなかったかのようである。ああわたしは猫の恋が羨ましい、というほどの意味だろうか。
芭蕉もこの慚愧をよしとしたのか、のちの撰集にこれをとった。

ちなみにこの集というのは「猿蓑」ですね。巻四の芭蕉と去来にはさまれるように収められている。
      田家に有て
     麥めしにやつるゝ恋か猫の妻     芭蕉
     うらやましおもひ切時猫の恋     越人
     うき友にかまれてねこの空ながめ   去来

「俳家奇人談」の越人の項は以下のように終わる。

色は君子の慎む所なれど、また玉の巵(さかずき)に底なきもうとまし。さればこの両端を叩きて、その程を知れるこそ、これぞこの人の風流なるベしや。翁没して後、美濃の支考、先師の夢想滑稽の伝など妄言を構へ、その他杜撰の書多く出して古式を廃し、世人を欺きけるとて大いに怒り、不猫蛇(ふみょうじゃ)といふ書を著して、詳かにその非を弁ぜり。じつにわが道に深切なる清潔の士とは、この叟の事なるべし。

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