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2006/06/30

石田波郷の俳句

「俳句研究」7月号の有馬朗人・長谷川櫂の対談は「切れ」がテーマ。
そのなかに石田波郷に関するやりとりがあるのだが、少し違和感を覚えたので書いてみる。
ことは戦時中、波郷が戦争をどう見ていたかということにかかわる。

今年の2月2日のエントリーで、わたしは『新興俳人の群像「京大俳句」の光と影』田島和生(思文閣出版/2005)という本を紹介した。 (こちら)
そのなかで、石田波郷の戦時中の作句の態度について以下のように書いている。

この「皇道主義、全体主義の上に立つ新しい文学理念」の俳句として、昭和十六年十二月八日(太平洋戦争の開戦日)の「感激を直接うたひあげた作品」が並ぶ。
 
 大詔煥発桶の山茶花静にも      渡辺水巴
 うてとのらすみことに冬日凛々たり  臼田亜浪
 かしこみて布子の膝に涙しぬ     富安風生
 冬霧にぬかづき祈る勝たせたまへ   水原秋櫻子

これに対して、同じ年鑑には、
 
 花ちるや瑞々しきは出羽の国     石田波郷
 ゆく雁の眼に見えずしてとゞまらず  山口誓子
 外套の裏は緋なりき明治の雪     山口青邨

などという後年の代表句のひとつにもなるような句もある。とくに石田波郷の句は見事だという外はない。時局に迎合し保身にこれつとめる先輩たちを尻目に、平生とまったくかわらぬ詠いぶり。

つまり、わたしは石田波郷はどちらかといえば時局、すなわち戦争遂行に対して醒めた目をもっていたのだろうと考えていたのである。批判的な考えをもっていたという意味ではない。戦には勝たねばならない、というのは当たり前のことである。しかし、そこに過剰な思い入れや熱情や感激をいだくようなタイプの人ではないだろうというのがわたしの理解であった。静かに戦争という現実を受け入れ、国土や人々を愛惜するというのがこの時期の波郷の作句態度だと思っていた。

ところが、今回、長谷川櫂と有馬朗人は、波郷が戦時の「時代精神」のなかにあったという意見で共通する。
その根拠として、長谷川櫂は、戦時中の波郷が「切れ」のことをしきりに言ったとして、以下のような句を取り上げる。

 鮎打つや天城に近くなりにけり
 松籟や秋刀魚の秋も了りけり
 大詔や寒屋を急ぎ出づ

俳句の実作をなさる方はよくご承知のように、切れ字の「や」と「かな」を一句の中に両方ともつかうことはまずない。同じように「や」と「けり」の併用も初心者はかならず先輩に戒められる。「降る雪や明治は遠くなりにけり」など、「や」「けり」併用の名句はたくさんあるが、これは素人が安易に真似をしてはいけないのであります。理由は、このまま読み進んでくだされば説明があります。

以下、長谷川櫂の発言。まず「大詔や寒屋を急ぎ出づ」について。(ちなみにこれは575のリズムからみて「おおみことのりや」と読むのかな。上記、昭和16年12月8日、大東亜戦争開戦の大詔煥発でありますね)

「や」で切った場合、終わりはふつうは弱い連用形になるのです。「出で」とか。でも、ここも強い終止形で言う。この句集(獺亭注:『風切』昭18)で象徴的なのは<霜柱俳句は切字ひびきけり>です。その次の句集が『病雁』(昭21)です。<雁やのこるものみな美しき>は「や」で切って連体形で終っている。ふつうは「雁やのこるものみな美しく」と連用形で終ります。つまり「や」という強い切字を使ったときは下は弱くする。これは原則ですが、そこを波郷は気迫で、両方ともつよい「切れ」を使っている。これは一体何か。彼の戦争に対する高揚心が「切れ」を重要視させていたところがあるのではないかと思うのですが。

これを受けての有馬の発言は以下の通り。

私の解釈は時代だと思う。まさにおっしゃったように時代精神。それともう一つは、波郷さんの作品は、そこまで深く見てないのだが保田与重郎たちの「コギト派」、ああいう時代の雰囲気がなかったかなという気がするのだがどうだろう。

うーん、日本浪漫派のことは詳しくないのだが、波郷の句と共通する雰囲気ってあるだろうか。

さらにこれを受けて長谷川櫂。

僕もそう思います。これはちゃんと調べなくちゃいけないんですが、<大詔や寒屋を急ぎ出づ>という句を見ていると、彼の戦争に対する燃える思い、それと俳句は古典と競い立たなくてはいけないというのが一体になっているのです。僕は波郷がすごく好きなのですが、このあたりはよく見ておかないといけないと思うんです。つまり、これは波郷にとって不幸であったと同時に俳句にとっても不幸だった。というのは、戦争に負けた後、戦争に対する高揚した思いで作っていた波郷の俳句がエネルギーを失っていくわけです。

わたしは有馬朗人も長谷川櫂も俳句に対する誠実ということでは信用できると思っている。
だからここで二人が語っていることには十分敬意を払う用意がある。しかし、波郷の戦前の俳句のエネルギーは戦争に対する高揚した思いからだったのですよ、と言われても、素直に「ああそうなんだ」とは納得しがたい。
波郷ファンのみなさんのご意見はどうだろうか。

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『俳句研究』の7月号で、有馬朗人と長谷川櫂の対談を読む。 正直なところ、腑に落ちない対談だった。 いずれ、まとめて書いてみたいとも思うのだが、すでにいくつか指摘しているブログもあるみたい。 あるいは、書くということ 有馬朗人と長谷川櫂を批判する。(1) かわうそ亭 石田波郷の俳句 僕とは、ツッコミ観点がちょっと違うのですが、とにかく違和感を感じる対談です。なんで、こんなに違和感を感じるのだろう。 「あるいは、〜」の方は、「(1)」ということなので、第二弾があるかも。 *****... [続きを読む]

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