« 購書日記のまねごと | トップページ | 句会 »

2006/06/21

飯島晴子の四S前後論

古本で買った昭和55年2月号の「角川俳句」の表紙には赤のサインペンで大きく「必要」という書き込みがしてあった。
どのご家庭でも雑誌類は適当な時期に処分されるものだが、元の持主がとくにこの号を必要とするなんらかの理由があって、長いこと処分もされず保管されていたのかも知れない。

さて、いまわたしの興味は飯島晴子の「四S前後」論である。
富士見書房から出ている『飯島晴子読本』に収録されていた俳論のなかに、この文章が入っていたかどうか残念ながら記憶がないのだが、例によって歯切れの良い論調。
飯島の立場は、もちろん虚子の「客観写生」を批判的に見るものだ。
四Sが台頭して来た頃の「ホトトギス」の巻頭から数人の句を挙げながら、飯島は虚子の選に疑問を投げかける。たとえば大正8年、9年頃の原月舟や西村泊雲たちの「ホトトギス」巻頭句などは、虚子の「客観写生」の志向を反映したものだと飯島は言う。

 花の白に柄の青薄し鳳仙花     月舟
 欠び猫の歯ぐきに浮ける蚤を見し
 底泥に水縦横や杜若        泊雲
 山影をかぶりて川面花の冷

これらに対する飯島の評。
「志の低い、クソリアリズム」。「リアリズムの手法を超えてその向こうに顕つ時空がない」。いやはや手厳しい。

こういうホトトギスの古株の句を巻頭近くに集めながら、しかし虚子は、秋櫻子や誓子の句もそのなかに混ぜてみせる。

 高嶺星蚕飼の村は寝しずまり    秋櫻子
 むさしのゝ空真青なる落ち葉かな
 流氷や宗谷の門波荒れやまず    誓子
 凍港や旧露の街はありとのみ 

こうした句は、虚子の「客観写生」論からははみ出すもので、自説には少々都合の悪いものであった筈だが、論は論として虚子もこれらを推奨した。飯島曰く「“詩”の何たるかを虚子が理解していなかったわけではないことを思わされる」。ははは、これまた、なんとも手厳しい。

さて、飯島の結論は、四Sは一括りにすべきではなく、俳句史の意義においては秋櫻子・誓子と、青畝・素十のふたつに分けて考えるべきだとする。この結論めいた箇所は長いが引用に値する。

青畝・素十はホトトギスの既成の路線の上に開いた一個の才華である。秋櫻子・誓子は既成の路線から分かれて新しく延長する可能性のある路線をつくつた人たちである。秋櫻子がホトトギスと袂別したとき、俳句の主流は、ホトトギスではなく、青畝・素十ではなく、秋櫻子・誓子を選んだのである。今日の俳句は、秋櫻子・誓子の路線の延長の上に在ると言ってもよい。新興俳句、人間探求派俳句、根源俳句、社会性俳句、前衛俳句、そして現在の衰弱状態——。
俳句が秋櫻子・誓子を選んだとき、その代償として俳句が大きく失つたものがあることは確かである。だが、半世紀を経た現在、結果だけを見てその選択が誤つていたと言うのは間違いである。秋櫻子・誓子の路線には、俳句に五十年間、とにかく次々と別の絵を描かせるエネルギーを含んでいたことは事実である。さまざまの試行錯誤の中から、表現様式をいろいろと異にして後に遺る作品のいくばくかを生産し、何人かの一人一人別の顔をした作家を生んだこともまた事実である。これが仮に五十年前、俳句がホトトギスを主流として選んでいたとしたら、これらの作品や作家が、或いはそれ以上の作品や作家が今日までに在り得たであろうか。青畝・素十はもちろん、他のホトトギス作家の何人かは、今日、近代に飽き、近代への不信を抱く目から見ると、たしかに非常に魅力的である。だがもし五十年前、秋櫻子・誓子ではなく青畝・素十を俳句が選んでいたとしたら、今日の俳句の衰弱は更にひどいことになっていただろう。クソリアリズム、トリビアリズム、日常性、想像力の禁断の中で、俳句は退屈のあまり死んでしまっただろう。青畝・素十、その他同時代のホトトギス直系の有力作家からは、ほとんど一人も次世代の作家らしい作家を出していないことが、このことの何より確かな物的証拠である。

基本的に、その通りと思う。

|

« 購書日記のまねごと | トップページ | 句会 »

d)俳句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/10623086

この記事へのトラックバック一覧です: 飯島晴子の四S前後論:

« 購書日記のまねごと | トップページ | 句会 »