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2006/07/07

草田男の守護天使

中村草田男が小野撫子(おの・ぶし)につけねらわれていたというのは、草田男の全集別巻の年譜などにもそういう意味の記述があることから確かなことだと思う。

では、なぜ小野は草田男を執拗に狙ったのか。

草田男の句がいわゆる花鳥諷詠の枠に収まらない、かなり自由主義の匂いのするものだったからだとかなんとか、そういうことはもちろんあるだろうが、わたしは小野は草田男を梃にして虚子を追い落とそうとしていたのだと考えている。

小野撫子という人物はほとんど学歴のようなものがないにも関わらず、大阪毎日新聞社、東京日々新聞社、さらに東京放送局(のちのNHK)に入り文芸部長をつとめたような人物である。
ただの刻苦勉励型の立志伝中の人物なのだろうか。
出典は忘れたが、小野の主宰誌「鶏頭陣」の門下であった永田耕衣が若い頃、おまえは主宰の不興を買っているようだと言われて、あわてて夜行で小野のもとに駆けつけ平身低頭して許しを乞うたというエピソードがある。
陰湿で機嫌を損ねるとなにをされるかわからないので、とりあえず自分はあなたの子分ですと、言わざるを得ないような小ボス。こういう人物、どの世界にもいますね。人を威圧して上にのし上がっていくタイプ。

あるいは時代劇でおなじみの、御用風を吹かす岡っ引きに擬してみる。

おう、ホトトギス屋の。お前ぇんとこの手代で草田男てぇ若いのがいるそうだな。最近なんでも御上の御威光を馬鹿にして、けしからんあてこすりを言ってるそうじゃねえか。

たとえば昭和15年の京大俳句事件がホトトギス本体に及んでいたら、どうだろう。
特高が動いて、草田男を検挙したら、おそらく虚子はただではすまなかっただろう。なぜなら、草田男の問題となるような花鳥諷詠(はいいんだ、と特高は京大俳句事件の検挙者に語っている)から外れた句を採って、あまつさえ巻頭に据えたのは他ならぬ虚子である。

だから、小野の狙いは、草田男を血祭りに上げてその責任追求で虚子を俳壇から引退させ、かわりに自分が虚子の椅子を奪う、というクーデタではなかったかとわたしは空想するのである。
しかし、実際は俳句弾圧事件は草田男の上を通り過ぎて行った。小野が付け狙っていたとすれば、これはかなり注目に値するのではないか。なぜだろう。

じつは今回、いろいろ調べものをしているうちに、井本農一の「志の高かった人——中村さんと私のことなど」という比較的短い文章に出会ったのでありますね。(『中村草田男:人と作品』愛媛新聞社収録)ちなみに井本農一は国文学者で俳文学についての権威です。

こういう内容です。
井本が中村に初めて会ったのは昭和8年、井本は旧制成蹊高校を卒業して東京帝大国文科の合格が決まったとき、中村は逆に東大からこの成蹊高校への就職で赴任したときだった。だからほんとうはこのふたりはすれ違っているはずなのですが、井本は中村の消息をよく耳にしたというのですね。なぜかというと、成蹊高校の尋常科で中村は梅地慎三という物理の先生に大変かわいがられるのですが、この梅地先生と井本の父親が同郷の古い友人で、ふた月に一回くらいは井本の家にきては中村の噂をしていたからである、ト。
さて、以下は重要な証言なので、原文を引きます。

俳句に限って言えば、第二次世界大戦の激化に伴い、周知の俳句弾圧事件が起こり、中村さんにも、私的にではあるが警告が発せられ、弾圧が及ぼうとしたとき、当時の安倍源基警保局長に会い、その非なることを力説したのは梅地先生である。梅地先生は安倍警保局長とも同郷の友人であったので、気楽に話のできる立場であった。梅地先生は私の家に来て、安倍が大丈夫だと言ったから大丈夫だと思うと語っておられた。

ああ、警察関係の上の方とコネがあったのね、と気楽に読まれたかもしれない。だが、ここで安倍源基という名前が出たことにぎょっとする人もあるだろう。ただのコネじゃないんだな、これが。

少し解説する。
その1)
井本農一の父とは、作家の青木健作。(1883-1964)山口県出身で旧制山口高校から東大哲学科に進み、明治43年に発表した「虻」という小説で漱石の絶賛を浴びる。「名声ある大家の作と比べて遜色のないもの、あるいはある意味から言って、それより優れているもの」という評であった。なお、この「虻」の発表誌は「ホトトギス」だった。

その2)
この井本農一の父君と友人だった梅地慎三については、ググると数件ヒットするがどういう人だったかはよくわからない。なおその検索結果が正しければ生没年は1885-1968である。

その3)
その梅地先生の同郷(山口県)の友人という安倍源基(1894-1989)は、これはインターネットでぜひ検索していただきたい。一番、注目をひくのはもちろん小林多喜二虐殺に関わる件だろう。特高がもっとも先鋭な思想警察の牙を国民に剥いた時代の特高部長、警保局長のちに警視総監、敗戦時の(最後の)内務大臣で閣議で一億玉砕を主張したとかいういわくつきの人物である。

ここから読み取れること。
上のたとえで小野撫子が「御用聞き」だとすれば、安倍源基は「町奉行」クラスでありますね。これでは、お話にならない。まして、この安倍というのは、特高を直接指揮して思想犯の署内での拷問を行った人物であり、多くの虐殺に対して責任者の立場であった。
上記で、井本が「安倍が大丈夫だと言ったから大丈夫だと思う」と聞いたのは、つまりはそういうことでありました。

なんだかんだ言っても、命も結局はコネかよ、という嘆息が聞こえてきそうではありますね。

なお、山口県で安倍とくれば、やや、もしかして安倍晋三の岸信介じゃないほうのじいさんかいなと早とちりするする方がいてはいけないので一言。安倍晋三の祖父は安倍寛(1894-1946)といいまして、この特高部長ー内務大臣の安倍源基と同時代人ですが、まったく別人です。

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