杉蔵往け!
古川薫さんの訳注と史伝を併わせ収録した『吉田松陰 留魂録』(講談社学術文庫)より。
吉田松陰は、天性、根っからの教師というタイプの人であったらしく、松下村塾を巣立って行く塾生のひとりひとりに、自分との出会い、その弟子の性格、資質のなかのよろしきところ、憂うべき時勢のなかで国事に奔走する志士たるものはいかに身を処すべきかなどを、訣別の言葉として与えていたのだそうです。
これを「送叙」と呼ぶ。
愛弟子の入江杉蔵に宛てた送叙(文末のところだけだが)が面白かったので、ここにメモをしておきます。
ちなみに入江杉蔵は「留魂録」には子遠という字で何度か登場しますね。なんとなく孔子と子路を連想するが、実際、松陰も学問よりその一本気な性格を愛していたらしい。久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿と並んで松下村塾四天王の一人。しかし、この四人とも明治を迎えることなく二十代でこの世を去っている。杉蔵は1864年の蛤御門の変の戦死です。
杉蔵往け、月白く風清し、飄然馬に上りて三百程、十数日、酒も飲むべし、詩も賦すべし。今日の事誠に急なり。然も天下は大物なり。一朝奮激の能く動かす所に非ず。それ唯だ積誠もて之れを動かし、然して後動くあるのみ。
大阪なんぞで長く生きてきたもんだから、ついつい「あんた遊びなはれ、酒も飲みなはれ」の「浪速恋しぐれ」でもってちゃかしたくなるが(笑)、まあ、それではさすがに具合が悪かろう。
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