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2006/08/30

或る最終楽章(1)

「短歌研究」9月号で近藤芳美の追悼座談会を読む。岡井隆、馬場あき子、佐佐木幸綱、篠弘(司会)という構成。
一緒にはじめた「未来」から高安国世が抜けて「塔」をつくったいきさつだとか、近藤が宮中の召人になったのを杉浦明平がかんかんになって怒って「未来」から出て行った話だとか、なかなか面白い話がある。近藤と高安については、以前読んだ 上田三四二の『戦後短歌史』で知っていたが、岡井によれば、「未来」はこの二人と杉浦明平の「三頭立て」で出発したのだという。この当時、杉浦は共産党員だったから、宮中に呼ばれてそれに応じる近藤に裏切られたような感じをもったのだろうな。

それはそれとして、今日書こうと思ったのは、そういう現代短歌史にかかることではない。

 たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき

わたしが諳誦できる近藤芳美の歌は、『早春歌』のこの一首だけだが、これはたぶん短歌にそれほど興味のない人でも、どこかで読んだり聞いたりしたことがあるのではないかなあ。戦後の短歌を代表するもののひとつと言っても過言ではないでしょう。
そして、これはわたし自身が誤解をしていたことなので、あるいは多くの人が同じ間違いをされているのではないかとも思う。
それは、近藤芳美はこの歌をいつ頃詠んだのかということである。

わたしは、てっきりこれは戦後のリリカルな恋愛歌だとばかり思っていたのですね。
ところがそうではないようです。
この歌がつくられたのは戦時のことだった。
近藤は大東亜戦争大詔渙発の日、すなわち昭和十六年十二月八日に二度目の応召をします。この歌はその頃につくられたものであるらしい。
このときに近藤は、同じく『早春歌』にあるこんな歌を詠んだ。

 吾は吾一人の行きつきし解釈にこの戦ひの中に死ぬべし

この戦さがどういうものであれ、その中に自分の身を捧げることは当然であるという「解釈」をしたと同じころ、「或る楽章」の歌もつくられたとすれば、その「解釈」がなんであったかは、誰にも自明ではないでしょうか。

近藤芳美が「君の姿を霧とざし」と詠んだ「君」は、妻の近藤とし子です。
こんな歌もあります。

 あらはなるうなじに流れ雪ふればささやき告ぐる妹の如しと 
  『早春歌』
 すでにして寝ねたる妻よいだくとき少年に似てあはれなるかな
  『静かなる意志』 

この話、もう少し続けることにします。

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