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2006/08/15

蘭亭序(2)

Thumb 長尾雨山の「蘭亭序」の説明を追ってみる。
まずこの蘭亭は地名である。蘭亭の文に「會稽山陰ノ蘭亭ニ會ス」とあるように、王羲之とともに四十二人の詩人が厄払い(禊事ヲ修ス)のためにこの蘭亭という場所に集った。

「會稽山陰」と二つの地名を合わせているが、当時は會稽郡の山陰県という意味であります。(山陰は先日魯迅の正妻の出身地だと紹介した)このあたりは、春秋時代に越王勾践と呉王夫差が争った呉越の大戦争、その越王勾践の居城があった浙江省紹興府の近くであります。勾践さんは、ここら一帯に蘭をたくさん植えたのだそうですね。この紹興府に王羲之は會稽内史(だいし)という官であった時分に住んでおりました。

蘭亭の「亭」というのは、わが獺亭ともまったく無関係の気がしないのでありますが、もともとは宿次の意味なんだそうで、たとえば東海道五十三次といっても、これを五十三亭といっても同じ意味になるようであります。
すなわち山陰道中にある宿次の名称を、そのあたりの名物であった勾践の蘭にちなんで蘭亭と名付けたわけであります。

さて、以上は長尾雨山の蘭亭の説明のおよそ三頁ばかりの、ごくごく一部を紹介したものにすぎませんが、内容を要約しようとして、わたしはもうほとんどお手上げ状態に陥った。いやはや、その説明の微に入り細に入って緊密に構成されていること、これはとても手に負えない。

なので、このあと王羲之たちが行った曲水の宴の模様や、そのときに興にまかせて王羲之が「蘭亭序」を起稿したときに用いた筆や紙についての蘊蓄、「蘭亭序」の伝来についての考証などは、これを紹介するには、ほとんど全部を丸写しにするくらいしか知恵がわかないので断念する。
ただ、ひとつだけ、昨日のエントリーで書いた、王羲之のコレクターだった唐の太宗皇帝がこの王羲之の真筆「蘭亭序」をいかにして手に入れたかのオハナシがなかなか面白いので、ここにメモしておこうと思うのだ。

(この頁、さらに続く)

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コメント

この夏は、10月から粗大ゴミ収集有料化ということで、長年先送りしていた狭い住まいの整理に着手。息子の不要品の整理にも号令をかけたものの、分別チェックをすると、写真や未使用の年賀状、通信簿など捨てる!!には、ちょっとためらわれるものが次々・・その中で、習字の時間に書いたらしい臨書がでてきました。父の初盆に向け、般若心経を写経した経験から、こういう作業には集中力がいるものと感じていたこともありますが、そこは親バカ。非常にヘタな字ながら、よくぞまちがうことなく(と勝手に思いこんでいる)最後まで清書できたものと、思わず裏打ちにして、飾っておこうかなどとうれしがっていました。しかしこれって何を書いたんだろうと調べもせず、そのうちにと思ってましたら、答えがここに。ありがとうございました。(3)の続きが早く読みたいのですが、どこかで聞いた話のような気もしており、非常に楽しみにしてます。

投稿: ミラー | 2006/08/16 20:09

あ、偶然のこととはいえ、拙文がお役に立ったたようで、書いた甲斐がありました。(笑)
蘭亭序の臨書をさせるとは、その学校は本格的な先生がおられたものと見えますね。裏打ちはともかく、取って置かれた方がよろしいかと。

投稿: かわうそ亭 | 2006/08/16 22:33

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