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2006/08/15

蘭亭序(1)

わたしは情けないことに、まるで字が書けない。しかし、だから余計に書の世界には強い憧れがある。若いときにもう少しきちんと習っておけばよかったと今になってつくづく思う。
一度、社会人になってからのことだが、職場の仲間で、たまたま仕事場におられた書の専門家に習う機会があったのだが、その頃はみんな時間的な余裕もなく、二、三回でなしくずしにその会は解散してしまった。
そのとき先生をつとめてくださった方がテキストとして指定されたのが楮遂良による「雁塔聖教序」だったように記憶している。
書を学ぶ人が楷書をやろうと思えば、まず必修の教本はこの「雁塔聖教序」や「蘭亭序」ということになるようだ。
そういえば、数年前に石川九楊の編集した『一日一書』(ニ玄社)という本に河東碧梧桐筆の「蘭亭序」があって、これがやたら面白かった。

『中國書畫話』長尾雨山(筑摩叢書)という本を読んでいたら、この「蘭亭序」について詳しく一章を設けて解説がしてあった。
長尾雨山という人は、同書の吉川幸次郎の解説によれば、これまた、ものすごい人物のようだが、長くなるのでいまはおく。興味のある方は、松岡正剛さんのこちらの「千夜千冊」をお読みください。わたしがこの本を手に取ったのも、松岡さんのこの文章がきっかけでした。

さて「蘭亭序」である。
長尾雨山は、まず蘭亭についてその起源からはじめています。ただし、これは昭和十二年にかれが平安書道會において行った講演の筆記録でありますから、聴衆は「蘭亭序」が何かは予め知っている。一方わたしは何にも知らなかったので、まず基本的なことを書いておきます。
「蘭亭序」は書聖・王羲之が永和九年(353)——東晋は穆宗の時代——に作った詩集の序文の草稿のことであります。あくまで草稿として書いたのだが、あとで清書してみたが、どれもこの草稿を超えるものがなかった。東晋の後の南北朝、隋、唐と伝わり、王羲之の書を愛しこれを蒐集した唐の太宗皇帝が入手して、最後にはこれを自分の昭陵に副葬して現物はこの世から失われたと言われています。しかし太宗が唐代の能筆に臨書させたものが、碑文の拓本やら集帖のかたちで現代にまで伝わっているのでありますね。

というところで、この頁続く。

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