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2006/08/10

島は悲しき

「文藝春秋」8月号、「慰霊の旅と失語症回復の真実—美智子皇后と硫黄島奇跡の祈り」は、なんだか女性週刊誌の吊り広告にあるような題名で、はじめはあんまり読む気になれなかったのだが、藤田嗣二の「サイパン島同胞臣節を完うす」の話題から入る導入で、引きこまれて読んでみるとなかなかいい記事だった。
執筆は梯久美子さん。(梯は「かけはし」と読む)
最近本屋で見かける『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』の作者 である。この本の取材のサブストーリーのような記事だが、所々で思わずまぶたが熱くなった。

 皇后御歌
 いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし

この皇后陛下の御歌と藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を完うす」の前で号泣する老人は深いところでつながっている。

両陛下がサイパン島をはじめとする戦没者慰霊の旅に出られたのは昨年のことだった。

硫黄島総指揮官、栗林忠道中将の辞世は最後の総攻撃を前にしてしたためた決別電報に添えられていた。

 国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき

しかし大本営はこの歌の末尾の「悲しき」を「口惜し」と変えて新聞発表した。
「悲しき」と嘆じることは、当時の軍人にとってタブーであったという。
わたしはこの記事を読むまで知らなかったが、この大本営の姑息な改竄は戦史にも必ずといってよいほど記されていることなのだそうだ。
両陛下は当然このエピソードをよくご存知であった。
この旅で、両陛下が硫黄島を読まれた歌は次のようなものだった。

 御製
 精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

 皇后御歌
 銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年眠るみ魂かなしき

ふたつの御歌ともに「悲しき」で終わっていることは、偶然ではないのではないか、と梯さんは控えめに書いている。
たぶんそうだろう。
大本営の参謀たちが握りつぶした「悲しき」をあえて蘇らせて祈りに代えた、これは戦没者達への返歌なのだろう。

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