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2006/08/22

掃苔録・入江杉蔵

京都で簡単に片付く用事が二つばかりあったので、さっさと済ませて、ちょうどいいやと霊山護国神社の官修墳墓まで足をのばしました。
掃苔というほどのことでもないのですが、昨日紹介した入江杉蔵の墓がここにもあるのです。
霊山護国神社というのは、靖国神社の母体みたいなものですから、維新の殉難志士の霊を祭りここに招魂してあります。入江は蛤御門の変で討ち死にしていますので、当然ここに墓があるわけ。

蛤御門の変は元治元年(1864)七月十九日の出来事ですが、この日付は旧暦ですから、新暦でいうとちょうど今時分、八月の下旬の事件であったことになります。
京都は今日も猛暑。140年ばかり昔のこのいくさの日も暑かったのでしょうか。

さて汗だくになって、うろうろ杉蔵の墓を探していると、これはいかに、一天にわかにかき曇り、猛烈な雷雨に見舞われました。
さいわい、山の中腹に屋根付きのしっかりした休憩所があったので、小一時間ばかり雨宿りして無事に過ごしましたが、いやものすごい雷だった。

雨があがって、もう一度、杉蔵の墓を探し始めると、なんのことはない、休憩所の上のあたりの場所がそうであった。

2006_0822 写真は左から二番目が入江杉蔵の墓であります。碑銘は表が「入江九市弘毅之墓」、右側面に「長州」、裏は摩耗して読み取りにくかったが「元治元年◯七月十九日戦死」となっておりました。
美しいバラが捧げられているのは久坂玄瑞の墓。久坂も蛤御門の変で戦死していますので、ちょうど今日あたりが命日になります。どなたかファンの、おそらくはうら若き乙女がお参りになったのでありましょう。
そんなん、わからへんやないの、オバハンやったらあかんの、と言われても困る。ここは、ぜひ、うら若き乙女にしておいていただきたい。(笑)
いや、冗談ではなく、この写真を撮っているときに十代とおぼしき少女二人が熱心にこの場所で、それぞれの墓に手を合わせていたのであります。花は、この子達のものではなかったが、なんにせよ感心なことである。志士のみなさんんも、おっさんやオバハンに拝まれるよりは乙女の祈りのほうがよいに違いない。
ちなみに写真、一番右が高杉晋作の墓です。松下村塾四天王の三人がここに祭られていることになりますね。

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