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2006/09/02

或る最終楽章(3)

今回、近藤とし子さんのことを知りたいと思って、図書館で「短歌研究」のバックナンバーに目を通していくうちに、あることに気づきました。
いや、別にたいしたことではないのですが、「短歌研究」という雑誌は毎年3月号で、「現代代表女流歌人作品集」という特集を定番にしているようなんですね。毎年、お一人につき七首の歌が並んでいます。なんでこの月に女流の特集かと言えば、たぶん雛祭りにちなんでいるのだと思う。

この「現代代表女流歌人作品集」という特集を調べると、2002年、2003年、2004年に近藤とし子さんの詠草があります。(それ以前は調べていません。※補注コメント参照)各年号から、ご夫妻の日常が伺えそうな作品を少し抜いて見ます。

 2002年「小公園」より
 ナンキンハゼ紅色の葉の散り敷ける小公園は君と来る道
 日溜りの椅子に暫しを来て憩うを小さき喜びとする一つ生
 老いの日を微かの希い秘めて来し五十年住み古りし家を離れて
 南より射す日は二人の部屋に満ちひと日そのまま仕合せのごと
 ソウルに逢いて六十五年共に行きし滝つ瀬の音幻に聞く

 2003年「白鷲」より
 病みあとの君を置き来し朝川に白鷲一羽立ちいるしじま
 岩に立つ白鷲の影静かなる小波に揺れている長き時

 2004年「冬の鴨たち」より
 小さく鳴き合い流れを遡りゆく鴨ら夕昏るる光にわが帰るべし
 昏れぐれとなりてゆく道足痛しと君の待ちますマンション灯る
 昏るる光に群れつつ流れを登りゆきし今宵鴨たち何処に眠る

じつは2002年3月号の「短歌研究」には、散文も書かれています。
淡々として味わい深い文章ですが、部分的な引用をすると、かえってお気持ちを損なうような気がいたしますのと、さほど長いものでもないので、全文を転記いたします。いまの世の中は、激しく変わっていくものだけが生き残れるという阿呆丸出しの処世術が溢れていますので、わたしなどはこうした文章を読むとほんとうに心からほっとして、もう少し生きてみるのも悪くないかなと勇気づけられるのです。
また、今回は近藤芳美の追悼からはじまったお話でしたので、これを締めくくるにも、ふさわしい一文だと思います。

変らない私

旧制第八高等学校の正門の前を通り、滝子から吹上に向かって一本の郡道が続いていました。その道に沿う日本家屋に、私達姉妹八人は十五年近く住みました。父が八校に勤めていた為でした。鐘が鳴ってから走って行っても間に合う程近い御器所尋常高等小学校に通い、姉達三人から四番目の私は、すべて姉達に倣うようにして、それを不思議に思わなかったのかも知れません。
卒業と同時に、父が先に移り住んでいました京城(今のソウル)に行き、その京城での五年の間にアララギを知りました。父と同じ京城帝国大学予科のドイツ語教授がアララギ会員で、御紹介いただいた為でした。
京城アララギ会で、土屋文明先生を金剛山にお招きし、安居会のあと外金剛から内金剛への嶮しい山越えを先生と御一緒にしました。この会で初めて夫とも逢いました。父が旧制新潟高等学校長になりました為、私共は結婚式を早めて、京城に残りました。慌しいことに今度は夫の勤めが京城支店から東京本社となり、私共は上京しました。そして私は肋膜炎になり新潟の両親の許に行き、その直後夫に召集令状が来て出征しました。中支で負傷し、紙一重で命拾いをし還ることが出来ました。病後の身を労わりながら住んだ東伏見に空襲が激しくなり、定年後の両親の住む浦和に疎開し、終戦を迎えました。
浦和から東京の千歳船橋に移って七年、その間に「未来」の創刊などがありました。昭和二十八年、山小屋のような家を建てて豊島園に住み、五十年が過ぎました。そして再び世田谷の成城に老後を住み始めました。
今こうして、少女からの日々を振り返る時、ありのままに生きて来たに過ぎない、何一つ変わらない自分に気付きます。そして、何も変わろうとしなかった自分であったように思われます。
きっとそれは、その儘に続くひと生かもしれません。

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コメント

わたしの調べが不徹底で、2005年3月号にも近藤さんは出詠されていることをご教示いただきました。2006年3月にはお名前はないとのこと。2005年の詠草は調べてあらためてここに書こうと思っています。

投稿: かわうそ亭 | 2006/09/03 20:31

2005年3月号「短歌研究」より近藤とし子さんの歌七首すべてをここに転記しておきます。絶唱という言葉が思い浮かびますね。

「春を待つ」

眠れざりしひと夜の明けにかたくりのかそかなる花恋いつつ思う

春を待つただ春を待つかたくりの花咲き揃いし庭を思えば

にりん草かたくり並び咲きし木かげ春を待つ吾はただ春を待つ

水仙の葉ののびてゆくひとところ春を待つ吾はただ春を待つ

なべてのかそけかる芽の萌え出でし庭よ春待つただ春を待つ

菫すみれの花かそかに咲ける庭を恋い春を待つ吾はただ春を待つ

春を待つただ春を待つ見舞い給う手紙の束を日毎抱えて

投稿: かわうそ亭 | 2006/09/06 18:13

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