苺どろぼう、夏蜜柑どろぼう
角川「短歌」10月号の特集「永田和宏を探検する」に馬場あき子さんが「素顔でつきあえる人」という一文を寄稿しておられる。
むかし馬場さんが多摩丘陵の端っこに引っ越したとき、若き永田和宏、河野裕子夫婦や大和書房の佐野和恵、講談社の鷲尾賢也、下村道子、教え子の田村広志などが手伝いにきてくれた。とりあえず半片付けのリビングに車座になって楽しく酒を飲んだ。
家は多摩丘陵の末端の丘にたった二軒建っていたわけで、あたりはほぼ草の原。五月の闇はとても濃く、一同がやがやと帰って行った後姿はたちまち見えなくなってしまった。あとでわかったことだが、山を下ると苺畑がある。微醺を帯びた連中はそこにもぐりこんで苺を食べたという噂である。その中にあの長身の永田さんがいたかと思うとじつに愉快だ。どうせみんな面白がって一つか二つつまんだくらいだろうが、若いというのはいいもので、今からは想像できないその姿を想像するのは何とも楽しい。
同じような話は、俳句の方にもあって、こっちの意外なドロボーの一人はこともあろうに橋本多佳子である。西東三鬼が昭和34年5月号の「天狼」に書いた「どろぼう」というエッセイから。ことはやはり五月のことである。横山白虹、岡部麦山子両名に招かれて三鬼と多佳子は九州に赴き、小倉、博多、田川で講演や句会に出た。その慰労会と称して、こんどは海峡を渡って山口県の川棚温泉で歓待を受けた。宴もたけなわ、話は麦山子のえんどう豆どろぼう、鶏どろぼうの武勇伝になって一同、げらげら笑い転げているうちに、麦山子が緊急動議を出した。きみらに少し真の反俗精神を教えてやらにゃならん、この近くの禅寺に手頃な夏蜜柑があった。あれをこれから採集に出かけよう。
先ずその時のいでたちは、男はゆかたの尻つぱしより、頬かむり。女(すなわち橋本さん)は、手拭で伊達な吹き流し。まんまと寺苑に忍び入り、ましらのごとく木に登る。手あたり次第に捻り取るは、夜目にも黄金の夏蜜柑。垣の外ではをんな賊、ドンゴロス袋に詰め込んで、ソレ引揚げろと親分の下知を合図に逃げ出した。甚だ薄気味悪かった。
その翌朝、麦さん平然として、昨夜の夏蜜柑をお住持に土産に持つてゆくという。これにはびつくりしたが、実は戦時中、麦さんはその寺に疎開していて、坊さんとは親交がある由。それを伏せての昨夜のいたづらであつた。
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