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2006/10/04

今市子の百鬼夜行抄と折口信夫

20061004 今市子さんの「百鬼夜行抄」というシリーズがある。
ご存知の方は同意してくださると思うのだが、漫然と読んでいると途中でわけがわからなくなるので、注意深く意識を集中させて読んでいく必要がある。普通の漫画なら、数十分もあれば一、二冊は読めるものだが、この作品はたった一冊読むにも結構時間がかかったりするのであります。クールである。

主人公は飯嶋律クンという美青年で、かれは怪奇幻想小説家として大家であった祖父の血を引いて、お気の毒にも、見えないでいいものがはっきり見えてしまうたちである。孫の身を憐れんだ祖父は、律が幼いときに一種の守護神として青嵐という妖魔をつけてやるのだが(実は律の父がある事情で死んだのでその躰に入り込んでいるという設定)、こいつが味方なんだか敵なんだかわからんような凶暴でアブナイ奴。一話完結ながら、ほかにもヘンな妖怪の家来ができたり、宿敵ができたりという展開でシリーズ物の面白さも味わえる。
今市子さんという作家がどういう資料をつかっておられるかはよくわからないのだが、民俗学についてはきちんと勉強しておられるようにも思われます。
たとえば、このシリーズの一番はじめのオハナシは律がまだごくごく幼いときの祖父の通夜のエピソードなんですが、ここで律は男の子であるにも関わらず、祖父の命令で女の子の装いで育てられていることが語られています。赤い着物に長い髪。

じつは最近、吉本隆明の『際限のない詩魂—わが出会いの詩人たち』(思潮社)という本を読んでいたら、折口信夫についての文章でこんな詩がとりあげてあった。

 よき衣を 我は常に著
  赤き帯 高く結びて、
 をみな子の如く装ひ ある我を
  子らは嫌ひて
  年おなじ同年輩の輩も
  爪弾きしつゝ より来ず。
              「幼き春」
(注:同年輩は「ヨチコ」、輩は「ドチ」)

これはなにかで読んだような気もするのですが、折口信夫も幼い頃は赤い着物を着せられて女の子のような装いをさせられていたようです。
このあたりは、どうも偶然ではなくて、やっぱり作者は資料の渉猟はやっている様子。
だから面白いのだろう。

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コメント

今市子さんの「百鬼夜行抄」というシリーズ、読みこなせるか心配ですが、挑戦してみたくなりますね。
プラド美術館展での幼女にしか見えないカルロス2世について、日本でもからだの弱い子供はわざと女装をさせて災いを避ける風習があったと教えていただいきましたが、全国的な風習だったんでしょうか。その風習とは思えないのですが、小さい頃、短期間ではあったけど、女の子の服装をさせられた子がおり、そんな子がいたねと母に思い出話をしたとき、子供の成長に悪影響だと、批判的に語っていました。その後ずいぶん経ってから世に異装趣味があると知ったのですが。

恥ずかしながら、知らない言葉、同年輩は「ヨチコ」、輩は「ドチ」勉強になりました。「誰がために鐘は鳴る」のタイトルに引用されたジョン・ダンの詩を調べてほしいと頼まれ、大陸「くが」の読みは印象に残っていたのですが、<汝が友どちや汝れみずからの荘園の失せるなり> 「友だち」でなかったことに、はじめて気づき、あわてて調べたところだったのです。またまたタイムリーでした。ところで訳詩も大久保康雄氏だったのでしょうか?

投稿: ミラー | 2006/10/08 22:41

「どち」はともかく、同年輩と書いて「ヨチコ」はわたしもルビがなければ絶対に読めないですね。上代のことばで、同い年のことらしいので、いまならさしずねタメでしょうか。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2006/10/08 23:46

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