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2006/10/21

ビルマに響くニッポン軍歌

『ビルマ—「発展」のなかの人びと』田辺寿夫(岩波新書/1996)は10年前に出版された本だから、この間に変化した状況もたくさんあると思うが、現在のビルマの成り立ちのあらましを知る上ではコンパクトにまとまって分かり易い内容であると思った。
(ここではわざとミャンマー連邦という我が国の新聞、放送局などが用いる名称を使わない)

本書の出版以降の大きな出来事としては、1997年7月のASEAN加盟やヤンゴン(ラングーン)からピンマナへの首都移転などがあるようだが、基本的な政体(国軍による独裁政権)は実質的に変化していないようだし、アウンサンスーチーの自宅軟禁の状態も一進一退を繰り返すもののこれまた実質的には、本書で説明されていることとあまり大きな変化はないように思える。

先日、読んだ エイミ・タンの『Saving Fish From Drowning』のなかに、カレン族の隠れ里の子供達や村人に手足を失った人々がたくさんいる理由として、SLORC(State Law and Order Restration Council/国家法秩序回復評議会:軍政の最高機関)の軍部隊がかれらを徴発して少数民族との戦闘地域に連行し、銃で脅して地雷原を先導させたからだというような記述があったけれど、『ビルマ—「発展」のなかの人びと』のなかにも、このような事実があったことが記されている。本書ではこのような軍による民間人の徴発を「ポーター狩り」と人々は呼んで恐れていることが書かれている。男の子には地雷原を歩かせ、女の子は従軍慰安婦にする、と聞いて、もちろんわれわれは顔をしかめるわけだが、これはこの地域を支配下においた日本軍がやっていたことを真似ているだけだと言われると、心が重くなる。まったく参謀本部の低能どもはバカな作戦立案で百年国を汚しやがった。

ビルマ国軍の母体となったのは1941年にバンコクで結成されたビルマ独立義勇軍(BIA)である。この中核になったのはアウンサンスーチーの父であるアウンサンをリーダーとする「三十人志士」。この時代の独立運動はイギリス支配からの独立という意味である。そしてこの時期は、もちろん日中戦争のさなかであり、重慶の蒋介石政権への支援ルートがビルマ・ロード(ヤンゴンからビルマを縦断し中国の雲南省昆明を経て重慶にいたる輸送ルート)であったことから、日本の参謀本部はこのBIAと接触し一時的に協力関係に入る。担当したのは鈴木敬司大佐の「南機関」という諜報組織だった。「三十人志士」を密出国させて、海南島や台湾の玉里で軍事訓練してからビルマに送り返した。
まあ、その後、インパール作戦などという大本営のエリート阿呆が立案した軍事作戦が大失敗に終わってから、歴史的にはいくつか曲折はあるのだが、そこは端折って、いずれにしても、ビルマ国軍と大日本帝国陸軍はその出発点から、かなりその精神を同じくしているらしい。軍だけが国のため、国民のために血を流し、国の命運を握っているという自負とエリート意識・・・

てなわけで、キンペイタインという言葉がいまでもビルマ国語辞典には載っている。なにかと思えば「憲兵隊」なんだそうだ。
「愛国行進曲」は歌詞こそビルマ語になっているが、いまでもビルマ国軍の軍歌だそうであります。ビルマに行って、「見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば」のメロディを聞いたらびっくりするのは、しかし、もうわたしたち、父親が日本兵であった世代くらいまでかもしれぬ。

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