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2006年11月

2006/11/29

小林恭二「心中への招待状」

そりゃ、あたしは素人じゃないから、いろんな男に気のある振りはしてみせるよ、そういう稼業だもの。でも、あたしのいい人はおまえだけ。ほんとさ、おまえが店に通ってくれると思うから、こんな暮らしでも、あたしゃ、なんとか耐えているんだよ。間夫は勤めの憂さ晴らしてぇ、云うじゃないか。いいかい、年期(ねん)が明けたら、あたしゃ、きっとおまえのところへ行くよ。ねえ、一生おそばに置いておくれよ・・・

てなわけで、女郎が「あなた以外の男を生涯想うことは決してないと誓います。もしこの誓いを破ったらどのような神罰がくだろうとも甘んじて受けます」という文言を紀州熊野の牛王料紙に記して血判を押したのが起誓文。自分の心の中をすっかり見せてしまう、というのでこれを「心中立て」と呼んだそうであります。

ばかだねえ、そんなのは見えすえた玄人女の手練手管じゃないか、と笑っているのは、他の男の話だからで、いざ実際に自分がそう言われると、これは嘘じゃない、こいつの本当の心中立てだと、ころっと信じてしまうのが男というものであります。

このあたりのことは、落語の三枚起誓にくわしいが、それは男というものが元来、自惚れが強いものだというところに帰着する。たしかにそうには違いないのだが、それだけでもないようだ。どうやら別の原因は、江戸時代の町人の男性の一生に関わっている。
以下は小林恭二の『心中への招待状』(文春新書)からの引用。

普通町人の子弟は奉公に出ます。さまざまな奉公がありますが、商家のケースを考えますと、通常十二、三歳で丁稚になります。もちろん住み込みであり、また無給です。順調にゆくと十七、八歳で手代になりますが、まだ無給。給金が貰えるようになるまでは、おおよそ十年が必要でした。しかも次の一年はお礼奉公といって、給料を返上しなければなりませんから、十三歳で奉公に出たとしても、二十四歳までは無一文だったことになります。これでは所帯など持てません。
ならば二十四歳になったら所帯が持てるかというと、そういうわけにもいかない。まだ商家に住み込まねばならないからです。これが通常十年以上続きます。晴れて外に出ることができるのは、三十六、七歳になって通いの番頭になってからです。
これは十九世紀に入ってからの統計ですが、鴻池の使用人の結婚平均年齢が三十七歳となっており、通い番頭になると同時に結婚していたことがわかります。
(中略)
五十まで生きたらよしとしなければならない時代における、この年齢です。男性は結婚した時点で、おそらく平均余命は十年くらいだったでしょう。

こういう町人のライフサイクルが、あの時代に遊里が必要だった理由であり(もちろんピンからキリまでの女郎がマッチングされた)、この遊里における疑似恋愛、疑似夫婦関係を理解するための鍵になるような気がしますね。そりゃ騙されるのは無理ないわ。ほかにまともな男女関係が築けないんだもの。

さて、この「心中立て」ですが、男客の猜疑心と女郎の手管のいたちごっこになるのは理の当然。起誓なんていくらでも書いて配れるじゃんか、となると、次に登場するのは髪切り。女の命の髪をお前さんのためにバッサリ切って見せるよ、というわけですが、これは男に切らせるのがミソでありまして、男は惚れた女の髪をバッサリなんか切れるわけはないから、ほんのかたちばかり切ってありがたがって押し頂く。女郎は、この手で何人も騙せるし、髪なんてすぐ伸びますからね、この手も効き目が弱くなる。

ならばというので、お次は、なんと爪はぎ。あたしゃ、お前に心中立てするためなら、痛い想いなんかかまいやしない。生爪はいで渡すよ、あたしの誠意を受け取っておくれ。これは、何回もできはしないでしょ、と思うのは堅気衆の甘さでありますね。なんと女郎のみなさんカミソリで爪を薄く二枚におろして上の方をお使いになったのでありますね。痛くも痒くもない。そういう離れ業が流行った。やれやれ。

指切りという心中立ても登場する。小指の先を切断して見せるから、あたしの言葉を信じておくれ、というのであります。これが、指切りげんまんの起源。でも、どう考えたって、やくざじゃあるまいし、自分の女の小指が詰めてあるなんてのは嫌ですから、わかったわかった、どうしてもというなら先っぽのほんのちょこっとでいいから、という話になって、これまた、たいした効き目にはならない。

刺青というのもありますな。「獺亭さま命」なんてのを肩から少し下がったあたりに彫る。これは永遠の愛の刻印となりそうですが、〈よい施主がついて命を火葬にし〉というように、灸で痕を焼き消してしまうことができる。
で、究極の愛の証明が相対死にの心中に行き着いた、ということになるのでありました。
だから、無理心中だのネット心中だのいう無粋な死に方を、同じ「心中」と呼ぶのはいかがなものかと、小林さんは『心中への招待状』で苦言を呈す。
この本、近松の曾根崎心中のもともとのかたち(後世の上演でいろいろな改訂が加わったために原型とかなり違う演出になっている)を丹念に読み解いてとても面白い本でした。

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2006/11/26

英語類義語活用辞典

20061126_1 『英語類義語活用辞典』最所フミ編著(ちくま学芸文庫/2003)を通読する。
辞典という名前がついており、実際、座右の類義語辞典としても役に立ちそうだが、本書はとりあえず頭から順番に読んでいくのが面白い。

英語はカタカナ言葉として日本語になっているものも多い。インテリジェンスとか、チャーミングなんてのは、英語という意識もなく普段つかっていたりする。
では、マインドという言葉はどうだろう。
たとえば、英語でいうところのマインドは、躰のどこにあるのか、と質問したら、何人の人が、人差し指で頭の横をとんとんと叩くだろうか。多くの人は、「心と言えばここさ」と、胸をどんと叩くのではないかという気がする。

本書には、このマインドは「mind / spirit」という項目立てで登場する。
その一部を紹介してみよう。

つまり日本語の「こころ」は、"spirit"と"heart"を兼用するが、知性の意味はあまり含まないようである。ところが英語の"mind"は理性を司り、情感を司る"heart"とはまったく対照的な存在なのである。
(1) He has a good mind.
と言えば、彼は頭脳明せきだということで、よく間違えられるように善意の人だと意味はない。この"good"は機能的に「よい」の意味であって道徳の含みはない。しかし単に頭脳だけではなく、判断力、健全さすべてが"a good mind"の中に入っているのである。
(2) The world's best minds were there.(世界最高の人知が一堂に会していた)

このマインドが日本語の「こころ」とはまったく異なるということは、わたしもあるときにネイティヴ・スピーカーに指摘されて目からウロコがおちた(そのときまさにかれはにやりと笑って頭をとんとんと叩いていたのだが)ことのひとつである。

最所フミは1908年大阪府生まれ。津田英学塾(現津田塾大学)を出て、ミシガン大学英文科、同大学院を卒業。帰国後は1934年から敗戦の1945年までNHKの海外放送課勤務。戦後はリーダーズ・ダイジェスト社編集局勤務のかたわら「JAPAN TIMES」に英文の映画週間評論を26年間にわたって書き続けた。1990年没。

本書と最所フミのことは、renqingさんの、こちらのエントリーで教えていただいたことがきっかけとなった。そちらにもあるが、このちくま学芸文庫版には加島祥造の解説もついていて、これまた一読の価値がある。ふたりは若いころにベストセラー本の共訳をして、それが結構売れたので、「目黒に小さな土地を購」い「彼女が会社から借金もしてして小さな家をつくり、共に住んだ。」この暮らしは、加島がアメリカ留学するまでの3年間続いたとのこと。その後のことは、加島はなにも書いてないが、加島もそのメンバーであった荒地の鮎川信夫夫人となったことは知る人ぞ知る。
実は先日『幽霊船長—河原晋也遺稿集』(文藝春秋)も読んだのだが、最所と鮎川の最晩年の住まいの様子がうかがえてなかなか面白かった。こちらにもあるが、鮎川という人は、まったく私生活を表に出さない人で有名で、死んだ時も結婚していたことさえ知らないごく近しい友人がいたらしい。

そういう背景を知った上で、最所フミが本書『英語類義語活用辞典』で、stickには「愛着」をあらわす意味合いもあるとして、こんな用例をあげているのを見つけると思わずニヤリとしたくなる。

Two people marry usually because they intend to stick to each other to the end of their lives, and to let the world know about it.
2人の人間が結婚するのはふつう死ぬまで離れるつもりはなく、そしてそのことを世間に知らせるためである。

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2006/11/23

句会三題

「俳句研究」の11月号、12月号と連続して、仁平勝氏が「句会」を話題にとりあげておられる。(「おとなの文学」)
句会というものを俳句を推敲する場と考えたらどうか、という話で、これは実感としても納得のいく内容。句会では、とにかく決められた締め切りの時間というものがあるから、当日の会場で決められる「席題」がたくさんあると、一句にそんなに時間はかけられない。場合によっては、ほとんど即吟に近いような、作者としては、はなはだ不本意な句を提出することもあるのだが、むしろその方がよいのである。選を受け、その句にもし光るものがあれば、句会の連衆がああでもない、こうでもないと推敲をする。こうして、ときどきよい句が誕生する。そして、その句は誰の作品であるかと言えば、たとえ推敲をみんなでしたとしても、それは作者のものなのでありますね。こういう句会の性格こそが、俳諧という座の文芸の伝統を受け継いだ俳句の姿であると言われるとなるほどたしかにそうかもしれないなあ、と思う。

この仁平氏の文章がきっかけになったのかどうか知らないが、「俳句朝日」12月号の特集は、「句会のすべて—「ホトトギス」「狩」「萬緑」の句会は・・・・」という題名。そのなかで、とくに印象に残ったのは斉藤美規氏の「句会の心構え」という文章で、氏が句会で出句するとき、また選句するときに心にかけていることとして五つをあげている。これもなるほどと思うことなのでここに書いておく。

  1. 私の句と分かりそうな句は出さない。
  2. 点の入りそうな作品、うまい句、うまそうに見える句、物欲しそうな句、これらはそのまま通り過ぎることにしている。
  3. 多少の欠点があってもすばらしい発見のある句、感動を受けた句、本当によいと思われる句、これらは勿論嬉しく頂戴することにしている。
  4. 添削については自分たちの句会の時は少しの添削はするが、他人さまの句会に参加した時は添削は謹んでいる。こんな時よく添削をする人があるが非礼というものであろう。
  5. 句会には新しい作品を出す。自分の土地は勿論、列車などで出かける時は車中で詠んだ句やできた句。

4の添削はゲストで行ったらさすがにやらないよ、ということだろうが、まあ、それにも多少共感する部分もあるな。

句会と言えば、「俳壇」12月号の瀬戸内寂聴と齊藤愼爾の対談にも、句会の話題があった。瀬戸内寂聴がはじめて句会に出たのは、久保田万太郎主宰の文壇句会だった。木山捷平に連れて行ってもらったのだそうな。以下はお二人の対談。

瀬戸内 そう、そう。新入りは「なぜ、ここへ来たか」という挨拶をさせられるんです。それで私が「木山捷平先生がこの句会にいらっしゃるから、私は木山先生の弟子としてここに来ました」と言ったら、みんなドーッと笑うのね。私はなぜ笑うのか、わからなかった。そうしたら、万太郎さんがその日お作りになった句が<門下にも門下のありし日永かな>で、それが最高点だったんですが、だから木山さんは俳句のその席ではあまり重んじられていなかったのね。だけどわたしは木山さんが好きだったから句会に出たのよ。

齊藤 瀬戸内さんが自分が俳句のモデルなのだから、最高点を取ったその句を書いた短冊をくれと申し出たとき、みんなが青ざめたという話を書いていましたね。

瀬戸内 そう。私は何も知らないから、万太郎さんの書かれた短冊を見て、「先生それください」って言ったの。そうしたら、くれたんです。でも、みんなはびっくり。万太郎さんに「短冊をください」なんて言うのはとんでもないことなんだって。そんなこと、こっちは知らないから言ってしまったら、先生は簡単にくださった。あとで、みんなが「じゃ、わたしもください」「わたしもください」って大変なことになったの。

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2006/11/21

Echo Park / Michael Connelly

マイクル・コナリーの『ECHO PARK』を読む。ハリー・ボッシュものの最新作。
本書の出版は2006年の9月だが、小説の中の「現在」も同じ2006年の9月から始まる。つまり本の中の「現在」と、こちらの「現在」とがきっちり同期していて、アクチュアルな感じを強める仕掛けになっている。まあ、これは新刊が出た直後に本書を読む人だけのお楽しみではありますが。

2006_1121 コナリーがこの作品を書いていたのは、当然2006年の9月より前だから、その執筆の時点では、かれは十数ヶ月先のロスを舞台に小説を書いていたということになる。しかし、本書にはさまざまな法執行機関の人間が関係してくるので、もしこちら(現実)のほうで911のような事件がロスで発生してしまったら、それにまったくふれていないストーリーは不自然なことになりかねない。
もっとも、そんなことを言い出せばきりがない。そうなったら、ま、しゃあないか、ということだろう。別に、テロ対策がテーマの内容でもないことだし。

さて本書、コナリーらしい、ツイストのよくきいたミステリーで、ぐいぐい読ませるのはいつもの通り。
具体的なストーリーにふれるつもりはないが、連続殺人犯が死刑を免れるために司法取引を申し出ることがオハナシのひとつのポイントになっている。未解決のままで行方が分からなくなっていた若い女性を埋めた場所を教えて、被害者の両親に娘の遺体を返してやるかわりに、検察は死刑求刑をしない(終身刑の求刑にする)という取引である。ただ頭の切れるシリアルキラーが申し出た取引が本物かどうか——担当検事がボッシュに状況を説明する。

This coud all be a trick to avoid the needle or it could be the real thing.

「to avoid the needle」という言い回しは、他にも数カ所出て来る。人道的な死刑執行というのもなんか変な表現だが、アメリカの死刑をおこなう州では、この薬物注射による処刑(リーサル・インジェクションと言うらしい)が主流になっている。ざっとみたところでは、ネブラスカ州だけがいまだに電気椅子のようだが、べつにわたしは詳しいわけでもとくに興味があるわけでもないので違っているかも知れない。『IN COLD BLOOD』のペリーとディックは絞首刑だったな。あれは1965年のカンサスだった。いまはどうなんだろう。
いずれにしても、薬物で殺すのが一番苦痛がなく、また失敗の可能性も薄いということだと思う。電気椅子でうまくことが運ばない顛末は「グリーンマイル」にもあったが、たしかにああいう処刑を見せられた方はたまらんだろう。薬物の方が、なんぼか慈悲がある。
死体を埋めた場所の実況見分で、のらりくらりした態度を見せた犯人に刑事が、そんなら、もう取引はやめるぞと声を荒げる場面——

"You take us to the body right now or we go back, go to trial and you get the hot shot of Jesus juice you've got coming. You got that?"

生きのいい現代米語を知るのも、ミステリーを洋書で読むたのしみのひとつだが、それにしても、ジーザス・ジュースとはこれまた罰当たりな。(笑)
この言葉、文脈から具体的な意味は明白だが、ロスの刑事と悪党の悪罵の応酬の背景には、もしかしたらマイケル・ジャクソン裁判のネタが入っているのかもしれない。
ネバーランドで、子供たちに飲ませたワイン入りコーラのことを「ジーザス・ジュース」とマイケルが言っていたとかなんとか。

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2006/11/14

心中天網島

20061113 国立文楽劇場で「心中天網島」を鑑賞。
以下、個人的な覚え。

北新地河庄の段
中 竹本千歳太夫/鶴澤清治
切 竹本住太夫/野澤錦糸

天満紙屋内の段
口 竹本文字久太夫/野澤喜一朗
切 竹本千歳太夫/鶴澤清介

大和屋の段
  豊竹咲太夫/鶴澤燕三

道行名残りの橋づくし
小春  豊竹呂勢太夫
治兵衛 豊竹呂新太夫
    他

人形:吉田和生(紀の国屋小春)、桐竹堪十郎(紙屋治兵衛)、吉田蓑助(女房おさん)、吉田文吾(粉屋孫右衛門)、花車(吉田蓑二郎) 他

(注)「天満紙屋内の段」は、豊竹嶋大夫休演のため竹本千歳大夫が代演。

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俳句を読むということ

アベカン——といっても、「どんとこい超常現象」の上田教授こと阿部寛のことではなくて、なんだかへんてこりんな俳句で、一度読むとクセになる阿部完市という俳人がいる。
たとえばわたしが大好きなのは、こんな句である。 

木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど  阿部完市

どんな意味かと聞かれても困るが、なんだかおかしい。いつも連想するのは、「動物のお医者さん」の漆原教授である。まあ、これは連想が付きすぎかもしれないけれど。
阿部完市は精神科医だそうだ。それが作風となにか関係があるのかどうかよくわからない。なんだか関係があるような気もする。

片山由美子さんの『俳句を読むということ』(角川書店)のなかに、このアベカンが桂信子の俳句を取り上げたときのことが出ていて面白かった。

裏山の窓に迫れり蒸鰈   桂信子

この句の阿部完市による鑑賞。(片山由美子の「切れということ」より孫引き)

裏山が見渡せる窓、そのすぐそばに蒸鰈がぶら下がっているのが見える。裏山と窓と蒸鰈という三者それぞれの位置が明記されている。一見していかにも日常の風景である。しかしこの三者の位置関係は単純ではない。裏山の見える窓に、蒸鰈が「迫って」いるのである。

これを読んで、片山さんは、仰天してしまった、と言うのですね。
もちろん感心したという意味ではない。こんな解釈がどだい成り立つはずがないだろう。こんな読み方は感心できない、というのである。

まず、この句の切れはどこにあるかだ。当然のことながら、「窓に迫れり」ではっきり切れている「窓に迫る」ではないから、「蒸鰈」が窓に迫っているとは絶対に読めない。「迫れり」の主語はもちろん「裏山」である。「裏山の」の「の」は主格の助詞であり、「裏山が」という意味になる。
このように、一句中の切れを見逃すと、句意がまったくおかしくなってくる。この句から浮ぶのは、たとえば山宿の朝食風景だ。食卓に載った蒸鰈を前にして、ふと目を上げると、すでに美しい緑にいろどられた裏の山が窓越しに大きく見える。蒸鰈の白さと山の緑が、春らしいすがすがしさを感じさせる。

アベカン本人にこの疑問をぶつけると「読みとしては、たぶんあなたのいうのが正しいのだろうが、ぼくはいろんな読みの可能性を大事にしたい」という返答だったそうな。(笑)
苦しまぎれの言い訳みたいだが、まあ、そういう誤読の楽しさというのは読者の権利でもある。
この『俳句を読むということ』には、ほかにもいろいろ似たような句意をまったく誤解しているとしか思えない読み方に片山さんが「仰天」する話があるのだが、いわれてみるとなるほどそうだよなあ、とは思うものの、でも、間違った解釈でも結構面白いじゃんと思ったりもする。

たとえば、鷹羽守行の有名な〈摩天楼より新緑がパセリほど〉に対して、これはニューヨークの摩天楼から下を見下ろした視線の先にパセリのようなセントラルパークの新緑が映ったという具合に読む人がほとんどだと思うが、ある人がこれを、路上から摩天楼を見上げると遥か高層階の窓際に観葉植物の新緑がパセリのように目に映ったという風に読んだという話が、『俳句を読むということ』にもでている。まあ、観葉植物の新緑はちょっと無理筋だとは思うが、それでも、この解釈は上から下へ見下ろしていた想像上の視線が、突然逆転したような、面白さがある。

ただし、片山さんは、切れという俳句のルールや文法によって明らかであるはずの作者の句意をうかつに読み誤ることはいかがなものかと言っておられる。
そのとおりだとは思うのだが、しかし、そんな千秋先輩みたいな固いことをいわずに、のだめ方式で演奏するのも結構楽しいよ、という不真面目な気持ちもないではない。そういえば片山さんは、若い頃、クラシック音楽をなさっていたらしい。これはなにか関係があるのか。なんだか関係があるような気もする。

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2006/11/11

北村太郎と田村隆一

現代詩が好きで、とくに戦後の詩人の動向に詳しい方ならば、北村太郎という名前は「荒地」グループの代表的な詩人の一人として想起されるらしい。
だが、たとえば同い年の田村隆一(実はこのふたりは府立三商の同学年)などと比較すると、詩人としての知名度は、本好きの人にとってもさほど高くはないと思う。わたしもこの人を詩人として知ったのは、かなりあとになってからだった。

では詩人として知る以前はどうであったかというと、これはわりとよく親しんだ名前だった。海外ミステリ・ファンならば、北村太郎という名前は、エリック・アンブラーの『あるスパイの墓碑銘』や、ロバート・リテルの『スリーパーにシグナルを送れ』、あるいはジョナサン・ケラーマンの『大きな枝が折れる時』などの訳者として知られていたのであります。
逆に、これが田村隆一になると、なるほどこの人もロアルド・ダールの『あなたに似た人』をはじめクリスティの翻訳もあったはずだが、あくまでこの人は詩人であって、訳者という風にはまったく考えない。

『北村太郎を探して』(北冬舎)という本を読んでいたら(なかなかいい本でした)、この北村太郎と田村隆一の関係について、「え!」というような話があって絶句した。もちろん、これはわたしが無知なだけで、現代詩の世界ではよく知られたことだったのだろう。

上記のように、このふたりは十代の頃から因縁があったわけだが、五十代になってからその因縁がさらに縺れたものになった。
田村の妻、和子と北村が恋愛関係となったのでありますね。

このあたりのことは、さいわい当事者の田村和子さんが書いた文章がネットにあるので、そちらを読んでもらった方がいいだろう。(「タローさんとサブロー」
まあ、所帯持ちの五十男の恋愛、それも相手が古い友人の妻となると、あまり洒落にはならない。和子さんの文章を読むと、さすがにこれは大変だっただろうなあ、とため息が出る。でも、まあ生きるというのは、こういうことを全部ふくめて生きるのだから、立派だなあ、という気もしないではない。

なお、『北村太郎を探して』の中に、北村太郎のこの時期の詩のなかには「暗号」として「かずちゃんきみをあいすかわいいひと」なんてメッセージが隠されているなどという暗号解読の話(宮野一世さんの講演)もある。これだけではなくて、ほかにもいくつも見つかっているらしい。このあたり、スパイ小説の訳者としても知られた北村太郎の面目躍如かも知れない。ちなみに北村は二十一歳のときに海軍にとられ、海軍通信学校で暗号解読の専門教育を受けている。敗戦前年の1944年には聯合艦隊通信本部で、英米の暗号通信を傍受し分析するのが任務だったという。このあたりも、べつに深い意味はないが、なかなか面白いと言えば面白い。

晩年の北村は悪性の血液病で死期が迫っていたが、1988年、田村隆一と和子の離婚が成立すると、鎌倉市稲村ケ崎の和子の家に転居した。死んだのは4年後の1992年。享年六十九歳。
田村隆一が死んだのは、さらにそれから6年後の1998年のことでありました。

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2006/11/08

小さな美術館

20061108_1 学園前方面にちょっと用事があったので、ついでに松柏美術館まで足を伸ばす。
「特別展・余白の美」というのをやっていた。上村松園、松篁、淳之の三代は当然だが、そのほかの出展作の画家を挙げると以下のごとし。(目録順)

  竹内栖鳳  
  横山大観  
  小林古径  
  奥村土牛
  石崎光瑤
  土田麦僊
  榊原紫峰
  福田平八郎
  鏑木清方

この小さな美術館は参観者もあまり多くないので、ゆっくり鑑賞できるのがよい。
展示室のベンチに座ってゆっくり絵を見ることができるのはうれしいものだ。
なかなかよい企画でした。大観の「春秋図」、土牛の「鉄線花」、平八郎の「鮎」などがとくに印象に残った。
上記の特別展は12月3日までだそうです。

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もうジーンズは洗わない

若者はなぜジーンズを洗わないのか、という記事のタイトルを見かけた。
ああ、一人暮らしだとメンドクサイものね、と思ったら、そういうことではないらしい。
せっかく高いお金で買ったジーンズの、お気に入りのしわや色落ちの状態を保つために、わざと洗わない(またはこっちの方が多いかも知れないが、オフクロに洗わせない)のだそうであります。
べつにどうでもいいのだが、「おまえら、洗えよ」と一瞬思ったが、よく考えると、「着たら洗う」文化というのは、そもそも伝統的なものではないだろう。むかしの人は、木綿の普段着をどんな頻度で洗濯していたのかしら。少なくとも、一回着ただけで脱衣籠にポイと入れておくようなことはできなかったはずだ。
とくにジーパンなんかは、「汚れたら洗う」で十分かもしれないなあ。
まあ、いまの若い子のはそういうのともちょっと違って、洗わないジーパンはすでに普段着ではないらしい。数万円のジーパンなんて、わたしには考えが及ばんよ。(笑)

Neil_young ジーパンと言えば、ニール・ヤングの「AFTER THE GOLD RUSH」のアルバムジャケットの裏の写真を思い出す。このパッチワークのカッコよさに憧れて、自分で古い「きれ」を集めて、真似をしてみたことがある。べつに傷んでいるわけでもないジーパンに、いかにも和風の古きれを「本返し縫い」でしこしこ縫い付けてみたら、およそニール・ヤングのジーパンとは似ても似つかぬへんてこなシロモノが出来あがった。穿いて鏡の前に立ってみたら道化師の継ぎ当てズボンにしか見えない。(笑)
そくさくと糸きりばさみをつかってパッチワークもどきを剥がしていったのも懐かしい思い出であります。

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2006/11/05

ワーズワースの庭で

最近、拾い読みをした雑誌類の中で、なぜか心に残って、おりにふれて反芻している話。
岩波「図書」11月号に掲載された河野裕子さんの「羊の時間—イギリス湖水地方短歌の旅」。河野さんが、今年の6月に、総勢24名でNHK学園の短歌の旅をなさったときの軽いエッセイである。

バスのなかで昨日ワーズワースの家の庭で大門さんと長いあいだ話したことを考えていた。ご主人は経済学者、大門一樹氏。「一〇年前に夫が死んだときなんだけど。死ぬまえに昏睡からさめて、紙にやっと字を書いた。もう目が見えていなかったのね。字のうえに字が重なって。そしてまた昏睡して一日して死んだの。死んでから、毎日まいにち紙の字を一週間見つめていてやっと読めたわ。アリガトウ、モウ、ワガママハ、イワナイって書いてあってね。それを、わたし額に入れてあるの。三ヶ月ほど夫が死んだのが信じられなくて、三、四年たって、人は死ぬんだってやっと腑におちた。骨は海に散骨したの。」

旅の最終日はロンドンの宿で歌会だった。
河野さんがとった大門さんの歌。 

丘の上に一頭の馬立つをみぬ青草の野と空のはざまに  大門恵美子

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2006/11/03

In cold blood

286735190_eb0e0921e9 ペンギンのPBで『In cold blood』を読んだ。カポーティを読むのは本書がはじめて。
すでにマスターピースとして評価の定まった作品なので、いまさらあんたごときがなにを言う必要があるんですか、てなもんではあるが、これはちょっとすごい。

まずその文章。
特徴的なのは、客観的に記述できる事実(言動)のほかは切り捨てるというおそろしくクールな文体だ。誰がどう感じたとか、どう思ったかとか、どんな意味があったのか、といった主観的な解釈は地の文章には一切ない。意味の曖昧さや多義性をゆるさない、法律や医学といった世界の人々と同じようなプロフェッショナルな言葉の運用でありながら、これらを読んでいて、読むこと自体が快感になるような素晴らしい効果を生んでいる。天性の言語感覚なんだろうな。
スピーディに切れ味のよい短いセンテンスで畳み掛けるように語られる部分もあれば、長い構文で情景が流れて行くような部分もある。その間合いが、絶妙である。そして驚くのは、たとえ長い文章であっても、読んで行くはしから、その意味がクリアにわかるということだ。ふつう、わたし程度の英語の読解力だと、あまり長いセンテンスが続くと、息が続かないような感じで、途中で意味が追えなくなることが多いのだが、本書の場合は、そういう感じがあまりなかった。例を挙げよう。殺害されたナンシーの親友であるスーザン・キドウェルという少女と、ナンシーのボーイフレンドのボビー・ラップが、クラッター一家の四つの棺を見る場面。以下の文章は、すべて、長い会話のカッコの中で語られているという構造。語っているのはキドウェルである。

The four coffins, which quite filled the small, flower-crowded parlour, were to be sealed at the funeral services - very understandably, for despite the care taken with the appearance of the victims, the effect achieved was disquieting. Nancy wore her dress of cherry-red velvet, her brother a bright plaid shirt; the parents were more sedately attired, Mr Clutter in navy-blue flannel, his wife in navy-blue crêpe; and - and it was this, especially, that lent the scene an awful aura - the head of each was completely encased in cotton, a swollen cocoon twice the size of an ordinary blown-up balloon, and the cotton, because it had been sprayed with a glossy substance, twinkled like Christmas-tree snow.

映画「capote」では、この印象的な場面は、カポーティ自身の目で見た情景として語られていたな。

映画と言えば、わたしのように映画「capote」をみてから本書を読むと、しばらく奇異に感じることがある。それは、この文芸作品には、作家カポーティがまるでどこにも存在していないかのように見えることだ。
いろいろな証言や手紙などによってクラッター一家の惨殺事件はさまざまな角度から再構成される。またペリーとディックというふたりの犯人たちの生い立ちも同じようにいろいろな証言や手紙などによって次第に明らかになっていく。過去だけではない。事件の進行形のようなかたちで、ペリーとディックの逃亡や、アルヴィン・デューイを始めとする捜査官の追跡や尋問もいろいろな視点から多面的に描かれる。しかし、作者は、それらの証言を(あとで本人から)直接に聞き、手紙や日記を直接に見たようには決して描かない。
このあたりがじつに面白い。

ただし、最後の最後になって、わたしたちはようやく作家をつかまえることができる。

のこり10頁ほどのところで、先に収監されていた別の事件の死刑囚が処刑された夜のことを、犯人のひとりディックが語るのだが、その語る相手は、あるジャーナリストである。原文では——

"That was a cold night," Hicock said, talking to a journalist with whom he corresponded and who was periodically allowed to visit him.

となっている。もちろん、読者にはこれが、作者その人であることは明らかだろう。このジャーナリト氏が、ふたりの死刑執行にも立ち会う場面がちゃんとある。

非情な文体で書かれた、残虐で無意味としか思えない死の物語でありながら、最後のセンテンスを読んだあとで、不思議な情感がわき上がってくるのはなぜだろう。
デューイ捜査官が共同墓地で、見違えるような美しい大学生となったスーザン・キドウェルに出会う。例のボビーが結婚した話を互いがして、こんな風に物語は終わるのだ。

'Good for Bobby.' And to tease her, Dewey added, 'But how about you? You must have a lot of beaux.'
'Well. Nothing serious. But that reminds me. Do you have the time? Oh,' she cried, when he told her it was past four, 'I've got to run! But it was nice to have seen you, Mr Dewey.'
'And nice to have seen you, Sue. Good luck,' he called after her as she disappeared down the path, a pretty girl in a hurry, her smooth hair swinging, shining - just such a young woman as Nancy might have been. Then, starting home, he walked towards the trees, and under them, leaving behind him the big sky, the whisper of wind voices in the wind-bent wheat.

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2006/11/01

10月に読んだ本

『乱交の生物学—精子競争と性的葛藤の進化史』ティム・バークヘッド/小田亮;松本晶子訳( 新思索社 /2003)
『際限のない詩魂—わが出会いの詩人たち』吉本隆明(思潮社 /2004)
『鈴木英子集    セレクション歌人 (16)』(邑書林/2005)
『人生のちょっとした煩い』グレイス・ペイリー/村上春樹訳(文藝春秋 /2005)
『詩人たちの世紀—西脇順三郎とエズラ・パウンド』新倉俊一(みすず書房/2003)
『口福紀行—六十余州うまいもの探し』朝倉圭介(山と溪谷社 /2000)
『宮崎アニメの暗号』青井汎(新潮新書/2004)
『贖罪』イアン・マキューアン/小山太一訳(新潮社/2003)
『生命の形式—同一性と時間』池田清彦(哲学書房/2002)
『詩的自叙伝—行為としての詩学』寺山修司(思潮社/2006)
『一海知義の漢詩道場』(岩波書店 /2004)
『ビルマ—「発展」のなかの人びと』田辺寿夫(岩波新書/1996)
『現代詩との出合い—わが名詩選』鮎川信夫・黒田三郎・菅原克己・山本太郎・田村隆一・中桐雅夫・吉野弘(思潮社/2006)
『変身のためのオピウム』多和田葉子(講談社 /2001)
『月光—松本清張初文庫化作品集〈4〉』(双葉文庫/2006)
『家守綺譚』梨木香歩(新潮文庫/2006)

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10月に見た映画

妹の恋人(1993/アメリカ)
監督:ジェレマイア・チェチック
出演:ジョニー・デップ、メアリー・スチュアート・マスターソン、エイダン・クイン、ジュリアン・ムーア

カポーティ(2005/アメリカ)
監督:ベネット・ミラー
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、クリフトン・コリンズ・Jr、クリス・クーパー

キル・ビル(2003/アメリカ)
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:ユマ・サーマン、ルーシー・リュー、ダリル・ハンナ、ジュリー・ドレフュス、栗山千明

イーオン・フラックス(2005/アメリカ)
監督:カリン・クサマ
出演:シャーリーズ・セロン 、マートン・ソーカス 、ジョニー・リー・ミラー 、アメリア・ワーナー 、ソフィー・オコネドー 、フランシス・マクドーマンド

ナショナル・トレジャー(2004/アメリカ)
監督:ジョン・タートルトーブ
出演:ニコラス・ケイジ 、ダイアン・クルーガー 、ハーヴェイ・カイテル 、ジョン・ヴォイト

サマータイムマシン・ブルース(2005)
監督:本広克行
出演:瑛太 、上野樹里 、与座嘉秋 、川岡大次郎 、ムロツヨシ 、永野宗典

奇人たちの晩餐会(1999/フランス)
監督:フランシス・ヴェベール
出演:ジャック・ヴィルレ、ティエリー・レルミット、フランシス・ユステール

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