北村太郎と田村隆一
現代詩が好きで、とくに戦後の詩人の動向に詳しい方ならば、北村太郎という名前は「荒地」グループの代表的な詩人の一人として想起されるらしい。
だが、たとえば同い年の田村隆一(実はこのふたりは府立三商の同学年)などと比較すると、詩人としての知名度は、本好きの人にとってもさほど高くはないと思う。わたしもこの人を詩人として知ったのは、かなりあとになってからだった。
では詩人として知る以前はどうであったかというと、これはわりとよく親しんだ名前だった。海外ミステリ・ファンならば、北村太郎という名前は、エリック・アンブラーの『あるスパイの墓碑銘』や、ロバート・リテルの『スリーパーにシグナルを送れ』、あるいはジョナサン・ケラーマンの『大きな枝が折れる時』などの訳者として知られていたのであります。
逆に、これが田村隆一になると、なるほどこの人もロアルド・ダールの『あなたに似た人』をはじめクリスティの翻訳もあったはずだが、あくまでこの人は詩人であって、訳者という風にはまったく考えない。
『北村太郎を探して』(北冬舎)という本を読んでいたら(なかなかいい本でした)、この北村太郎と田村隆一の関係について、「え!」というような話があって絶句した。もちろん、これはわたしが無知なだけで、現代詩の世界ではよく知られたことだったのだろう。
上記のように、このふたりは十代の頃から因縁があったわけだが、五十代になってからその因縁がさらに縺れたものになった。
田村の妻、和子と北村が恋愛関係となったのでありますね。
このあたりのことは、さいわい当事者の田村和子さんが書いた文章がネットにあるので、そちらを読んでもらった方がいいだろう。(「タローさんとサブロー」)
まあ、所帯持ちの五十男の恋愛、それも相手が古い友人の妻となると、あまり洒落にはならない。和子さんの文章を読むと、さすがにこれは大変だっただろうなあ、とため息が出る。でも、まあ生きるというのは、こういうことを全部ふくめて生きるのだから、立派だなあ、という気もしないではない。
なお、『北村太郎を探して』の中に、北村太郎のこの時期の詩のなかには「暗号」として「かずちゃんきみをあいすかわいいひと」なんてメッセージが隠されているなどという暗号解読の話(宮野一世さんの講演)もある。これだけではなくて、ほかにもいくつも見つかっているらしい。このあたり、スパイ小説の訳者としても知られた北村太郎の面目躍如かも知れない。ちなみに北村は二十一歳のときに海軍にとられ、海軍通信学校で暗号解読の専門教育を受けている。敗戦前年の1944年には聯合艦隊通信本部で、英米の暗号通信を傍受し分析するのが任務だったという。このあたりも、べつに深い意味はないが、なかなか面白いと言えば面白い。
晩年の北村は悪性の血液病で死期が迫っていたが、1988年、田村隆一と和子の離婚が成立すると、鎌倉市稲村ケ崎の和子の家に転居した。死んだのは4年後の1992年。享年六十九歳。
田村隆一が死んだのは、さらにそれから6年後の1998年のことでありました。
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コメント
「タローさんとサブロー」
www.minatonohito.jp/minatonohito/002_06.html
こちらに移っているようです。
投稿: とし兵衛 | 2015/08/04 23:22
とし兵衛さま
ありがとうございました。リンク張り直しをいたしました。久々のメンテ。(笑)
投稿: かわうそ亭 | 2015/08/05 20:36