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2006/11/08

小さな美術館

20061108_1 学園前方面にちょっと用事があったので、ついでに松柏美術館まで足を伸ばす。
「特別展・余白の美」というのをやっていた。上村松園、松篁、淳之の三代は当然だが、そのほかの出展作の画家を挙げると以下のごとし。(目録順)

  竹内栖鳳  
  横山大観  
  小林古径  
  奥村土牛
  石崎光瑤
  土田麦僊
  榊原紫峰
  福田平八郎
  鏑木清方

この小さな美術館は参観者もあまり多くないので、ゆっくり鑑賞できるのがよい。
展示室のベンチに座ってゆっくり絵を見ることができるのはうれしいものだ。
なかなかよい企画でした。大観の「春秋図」、土牛の「鉄線花」、平八郎の「鮎」などがとくに印象に残った。
上記の特別展は12月3日までだそうです。

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コメント

日本画の方は(とりわけ派だとか人間関係とかは)暗いのですが、そんなわけで“石崎光瑤”というのは、富山県は福光町のローカルな人だと思っていました。
福光町に福光美術館というのがあって――いけねぇ、平成の大合併で南砺市福光美術館になっていました――、棟方志功の作品とともに常設展示されています、名前だけはよく知っているのですが、中央画壇?にも知られたひとなのですね。不思議な作家小熊秀雄さんの文章を見つけました。
http://gaku2003.hp.infoseek.co.jp/CHIHEI/OGUMA/GARON/GARON-14.html

むしろ私は、日本山岳会員でもありヒマラヤにも足を運んだ登山家・山岳写真家としての方に興味があって、光瑤の足跡をたどったことがありました。
明治42年には、光瑤を中心とする民間人グループで初めて立山連峰の剱岳の登頂に成功しています。(「民間人として」という変な但し書きがつくのは、参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らの一行が、2年前の明治40年7月に先に登頂しているからです。新田次郎さんの『劔岳〈点の記〉』(文春文庫)は、おすすめです。)
この時の光瑤隊の登頂写真が残っていて、かつてnet上で見つけて私の日記で――“柴崎芳太郎隊の剱登頂のときのもの!!??”と誤った説明をつけて――紹介したことがあるのですが(2006.2.4)、現在リンクが切れていて所在が不明です。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=200602
なお、柴崎芳太郎のときにも、石崎光瑤のときにも、山を知り尽くした地元?の案内人“宇治長次郎”の助力があったことは蛇足でなくて、しっかり書いておくべきと思いますが。

これを書いている今日、なんの巡り合わせか、剱岳のふもとの町上市町に雑用で出かけました。2000メートル以上の山々には一昨日――立冬のあの嵐の日です――、初冠雪があったようで、見事なくらい澄み渡って富山平野から眺めることのできた立山連峰にまぶしい白雪がありました。

*石崎光瑤 1884(明17).04.11~1947(昭22)03.25

すみません、かぐら川日記のアウェイ版になってしまいました・・・。

投稿: かぐら川 | 2006/11/09 22:40

石崎光瑤って、富山の人だったんですね。じつは、わたしはこの人と榊原紫峰の二人の名前がなじみがなくて(って、他の画家も名前くらいしか知りませんでしたが)あまり気に留めていなかった。でも、こうして立派な「脚注」がつくと、このエントリーも、後々どなたかの参考になるかもしれません。どうもありがとうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2006/11/10 22:45

お久し振りです。富山にいる間に、福光美術館に行きたいと思います。

投稿: maru | 2006/11/12 20:14

やあ、どうもお久しぶりです。今日あたりから急に関西も冷え込みがきつくなりました。富山の方はいかがでしょうか。

投稿: かわうそ亭 | 2006/11/12 21:59

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