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2006/12/24

河上肇の読書万巻

 万巻の書を読み終えし花野かな  獺亭

拙句、先々月の句会に出したもの。ちなみに「万巻」は「まんがん」と読みます。
この万巻の書には以下のような典故がある――なあんて言えるとカッコいいのだが、そいつは嘘っぱちで、今回はじめて知ったこと。やはり『漱石と河上肇』一海知義(藤原書店)より。

Kawakami_hajime 河上肇(1879—1946/山口県岩国生)は日本のマルクス経済学の草分けともいうべき人。1932年から共産党の地下運動に参加、治安維持法違反によって1933年逮捕、小菅監獄に収監されますが、獄中で漢詩をはじめました
初期の作品に次のようなものがある。

 年少夙欽慕松蔭
 後学馬克思礼忍
 読書万巻竟何事
 老来徒為獄裏人

一海先生の読み下し。

 年少 夙に松蔭を欽(うやま)い慕い
 後に学ぶ 馬克思・礼忍(マルクス・レーニン)
 読書万巻 竟に何事ぞ
 老来 徒に為る 獄裏の人

一海先生には『河上肇詩註』(岩波新書)という河上肇の漢詩の注釈本があり、そこでもこの初期の作品の鑑賞を書いたのですが、それを読んだ読者から、第三句の「読書万巻」は、吉田松陰の松下村塾の塾聯から来ているのではないかという手紙をもらったのだそうです。そこで一海先生が萩の松下村塾跡に行って確かめたところ、たしかに床の間の両側に、その読者が知らせた通りの塾聯が掛けてあった。

 自非読万巻書、寧得為千秋人。
 自非軽一己労、寧得致兆民安。

 万巻の書を読むに非ざる自(よ)りは、寧(なん)ぞ千秋の人と為るを得ん。
 一己の労を軽んずるに非ざる自りは、寧ぞ兆民を安きに致すを得ん。

以下一海先生の文章をそのまま引きます。

そして第一句で松蔭のことをうたった河上さんの詩の第三句「読書万巻」は、右の塾聯をふまえているにちがいありません。だとすれば、「万巻の書」は単に塾聯の「万巻の書」だけでなく後半の「一己の労」以下の意味をもふくみ、河上さんは「兆民を安きに致す」ことをも人生の目標として来たが。今はむなしく獄中の人と成り果てた、と嘆いていることになります。
漢詩の「典故」というものは、そこまでの意味をふくむことになります。

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