雨上がりの回文
『漱石と河上肇』一海知義(藤原書店)を読んでいたらこんな話が。
1967年版の岩波の『漱石全集』第12巻には、漱石作として次のような五言絶句が収録されている。
緑水池光冷 緑水 池光冷やかに
靑苔砌色寒 青苔 砌色(せいしょく)寒し
竹深啼鳥亂 竹深くして 啼鳥乱れ
庭暗落花残 庭暗くして 落花残す
この漢詩はじつは漱石の作ではなく宋代の詩人劉敞(りゅうしょう)のものであることがいまでは広く知られているそうであります。
なんで間違ってしまったかというと、漱石がこの詩を墨書した書幅があり、そこにはただ「漱石書」とのみ記してあったため、てっきり漱石作と思われてきたのだそうな。
ところが、漱石の蔵書を保管している東北大学図書館の漱石文庫のなかに、『箋註宋元明詩選』という書物があって、その中に劉敞の「雨後回文」がみつかった。
「雨後」は雨上がりという意味ですが、これに回文という題がついているからには、これは反対からも読んでみなくてはならない。逆さに読んでみますと——
残花落暗庭 残花 暗き庭に落ち
亂鳥啼深竹 乱鳥 深き竹に啼く
寒色砌苔靑 寒色 砌苔青く
冷光池水緑 冷光 池水緑なり
わたしも以前、回文の短歌もどきを苦心してつくったことがあるが(ここ)、漢詩の場合はなにしろ、平仄というものがあり、脚韻だってちゃんと踏まなければ詩とは言えないのでありますから、回文詩の困難さは想像を絶する。(ここでいう回文詩とはどちらから読んでも意味のとおる詩になっているというかたちのこと)
もちろん、わたしには平仄も脚韻もまるで不案内だけれど、一海先生によれば先の詩では「寒」と「残」、あとの詩では「竹」と「緑」がきちんと押韻しているとのこと。
この劉敞の「雨後回文」などは、あえて「回文」と断ってなければ、おそらくわれわれは気づかずに終わってしまうだろう。
現に漱石全集の編集委員もまさかこれが回文になっているとは、その時は気づいていなかったはずである。もし気づいていれば、あるいはせめて漱石が、これを回文詩とわかるように墨書していれば、いくらなんでもこれはいささか出来過ぎである、なにか出典があるのでは、と疑ったのじゃないかなあ。
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