« 暗号名「Wild Fire」は現実か(2) | トップページ | 根岸の里のゆびずもう »

2006/12/10

暗号名「Wild Fire」は現実か(3)

〈スポイル・アラート〉
この記事はネルソン・デミルの新作『Wild Fire』の導入部分の内容に触れています。まったく白紙の状態でこの作品をお読みになりたい方はご注意ください。

前回は旧ソ連のスーツケース型の核爆弾(suitcase nuke)が67個行方不明で、たぶん大半がイスラームの「聖戦」組織の手に渡り、いくつかの大都市にひっそりと配置されているであろうというオハナシを書きました。もちろんこれは最悪のシナリオですが、安全保障とは最悪のシナリオを想定してつくられるものであります。

余談ですが、旧ソ連の核技術というのは、世界でも最高のものであった、なんて話が『Wild Fire』のなかに出てきます。冷戦当時、アメリカの将軍たちは、ソ連のスーツケース型核爆弾について聞かれると、こんなきわどいジョークを飛ばしていた。
スーツケース・ニュークだって?そんなもん心配いらん。やつらにスーツケースをつくるテクノロジーはない。
ははは、笑えないですね。

閑話休題、War on Terrorism の時代には冷戦時のような核の抑止力という戦略(MAD)はとれないのかという話。これは無理でしょ、とわたしなどは考える。だって、かりにいくつかの都市で核によるテロがあり、数千万人が虐殺され、その攻撃にアルカイーダの「指紋」がべたべたついていたとして、一体どこを報復すればいいのか。
ビン・ラーディン氏に、「お前がこっちに隠した核をつかってみろ。ただちにアフガンとパキスタンの国境地帯に報復攻撃を仕掛けるぞ」なんて言って、はたしてどれほど効果があるか。まあ、かれらがどの程度ためらうか、あまり期待はできないだろうなあ。

だが、もし、こう言ったらどうだろう。
「核をつかってみろ。報復にイスラーム世界を根絶やしにしてやる」

イスラームの一部(シーア派であれスンニ派であれ、なんであれ)が聖戦として核を使用した場合、冷戦時代のMADとまったく同じように、瞬時に機械的に全面的にすべてのイスラーム世界に向けて核攻撃が報復として行われる。西はアフリカ西岸から中東、中央アジアを通ってインドネシア、フィリッピンの北部まで、イスラム世界は「連帯責任」として核の業火を浴びる運命になると脅したら。イスラームのテロ組織が核の「引き金」を引くことは、イコール、全イスラーム世界に向けて核を使うことを意味する。そしてこの報復が、ただのブラフではなく、アメリカ合衆国の国防システムとしてオートマチックに動き、絶対に疑いようのないものだとイスラームの「聖戦」組織側も確信しているとしたらどうだろうか。

ここで、第一回目のエントリーに書いたMAD(Mutually Assured Destruction )のキモをもう一度思い出していただきたい。MADが機能したのは(あるいはより正確には機能したと核戦略の立案者たちが思い込んだのは)この全面的な報復が必ず実行されることが先制攻撃を考えるときに「確証」されているということでありました。大統領が誰であれ、そいつがキンタマがあろうがなかろうが、何億という人間を殺すことの道徳的な逡巡やら良心の呵責などの入り込む余地はまったくない。ただ、機械的に手を出したら絶対に殺されるという状況を、お互いがクリスタルクリアーに理解しているから、逆に安全であるという論理です。
同じことが、イスラームの「聖戦」を信じておられるみなさんにも通用するのではないか、というのが、作戦名「Wild Fire」であります。すなわち、「Wild Fire」は現代版のMADであり。核テロが起こっていないのはこれが機能しているからである、ト。

ここで、急いで先まで言っておきますが、この「Wild Fire」後の世界(イスラム世界の消滅した地球)はなかなか快適ではないかと考える一部のアメリカの紳士諸君が、ならばいっそ、この「Wild Fire」を発動させるために、自分たちで行方不明のスーツケース・ニュークの4個ばかりをアメリカの二つの都市で使っちゃおうぜと考えるのでありますね。この謀略(まるで日本の関東軍なみの杜撰さですが)のコード・ネームは「プロジェクト・グリーン」。この作戦によってアメリカの安全レベルは永遠にグリーンになるだろう、という意味じゃないかな。

この謀略をジョン・コーリーとケイト・メイフィールドご夫妻がいかに防ぐかというのが今回のオハナシ。

さて以上で、なぜわたしが本書のことを不謹慎なヨタ話であると言ったかは、ご理解いただけたのではないかと思う。(くどいようですが、ここまでの設定は本書の起承転結の「起」の部分に過ぎません)中国の皇帝暗殺の九族誅殺じゃあるまいし、まったく罪のない者でも、お前の係累とこっちがみなす者は全部殺し尽くすというのがこの「Wild Fire」のロジックですから、この「戦略」がプラクティカルに効くかどうか以前の問題である。

さて今回のエントリーの最後のまとめ。
わたしは「プロジェクト・グリーン」(イスラーム世界殲滅を導くための自国への核使用)は、まったくのジェームズ・ボンド・ストーリーとして「ブルシット」と言ってはばかりませんが、「Wild Fire」のほうは、そう言い切るには多少留保をおきます。
実際、ネルソン・デミルは、アメリカ政府が「Wild Fire」と同じようなコンセプトの極秘プロトコールを(もちろん別のコードネームで)持っているという噂にはかなりの信憑性があるし、もし持っていないのだったら、安全保障のためには持つべきであると、前書きで言い切っておりますね。

わたしは、思わずへなへなとなりました。

|

« 暗号名「Wild Fire」は現実か(2) | トップページ | 根岸の里のゆびずもう »

c)本の頁から」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/13012314

この記事へのトラックバック一覧です: 暗号名「Wild Fire」は現実か(3):

« 暗号名「Wild Fire」は現実か(2) | トップページ | 根岸の里のゆびずもう »