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2007/01/24

LONESOME隼人をめぐって

『LONESOME隼人』(幻冬舎 )を読む。

事件より拘置・裁判・判決を経て、服役生活の最初の十年の間、母は一度も僕に手紙を書いてくれなかった。あまりのショックと失望、落胆のために書くことができなかったのだ。

「(アメリカ)郷隼人」という表記を朝日歌壇に見かけると、身内でもないのに、なぜかほっとするという方は多いだろう。わたしもそういう一人で、とくにこの歌人の母がやはりこの紙面を見ているであろうことを想像して、ああよかったな、と思うことが多い。と、同時に20年以上を獄中に過ごして、まだ仮釈放も得られないのだなと同情もする。

 実名のあいつは死んであの日より
      虚名の「郷」が生きて歌を詠む  郷隼人

郷隼人は歌詠みのペンネームなのだろう。
明らかにされた略歴や、その短歌からわかるプロフィールはごく限定されたものだ。

  • 鹿児島県の出身者であること。
  • 博多の町でおそらく青春の一時期を過ごした人であろうこと。〈無気力な「ペタンコ座り」の若者が群れているとか愛しの博多〉という歌がある。
  • 1970年代に3年間、シアトルに住んでいたこと。
  • 1982年の母の日に生まれた娘がいること。
  • 1984年に殺人事件を起こし、終身刑の判決で現在も服役中であること。
  • 朝日歌壇に投稿するようになる前に、ロサンゼルスの短歌会のメンバーであったが、その時代には俳句を六年、川柳を三年ほど学んだこと。
  • イチローに驚くほど似ていること。囚人仲間や看守から「ichiro」と呼ばれるだけでなく、鹿児島の母もイチローを見ては渡米前のお前のことを思い出すと便りをくれた。

こうした、断片的なことのなかで、しかしわたしが一番知りたいと思うのは、やはり犯した殺人事件がどのようなものであったのかということだ。とくに誰を殺したのかということが気にかかる。
本書の解説に島田修二はこのように書いている。

アメリカにおいて無期懲役の服務者として投稿を続けて来る郷氏の作品についての評価に、四人の選者(朝日歌壇の選者のこと:獺亭注)に濃淡の差があることは当然のことであり、私自身は後述するような理由もあって、郷隼人の作品については、強い関心を持ちはじめていった。しかし、私自身が、郷隼人というペンネームで投稿して来る人の実人生について、とりわけどのような事件によって裁判を受け、現在に至っているか、ということに特別の興味を持っているわけではない。事実、知っても仕方がない、と思っているくらいである。

Vol95_gallery_f 公式な意見の表明としてはもっともなものだし、あんたらが知っても仕方がないだろう、と言われればその通りである。しかし、それでもあえて、わたしは知りたいと思う。もしかしてそれは、モーニング・ショーのレポーターが、恥知らずにも悲劇に見舞われた人々に「いまのお気持ちは」とマイクを突きつけて話を引き出そうとする卑しい姿と同じなのだろうか、と自問する。よくわからない。そうかもしれない。

郷が最初に収容されたのはレベル4と呼ばれる最厳重警備の監獄で、凶悪犯罪を犯し有罪となった者が最初に服役する施設である。その後、服務態度が良好であれば次第に警備段階の低いレベルの刑務所に移送されていく。いま、郷が服役しているのはレベルがどの段階かは具体的に書いてないが、「最初の施設に比べれば幼稚園のようなものだ」とあるので、おそらくはレベル1か2といった比較的自由が許される刑務所であると思われる。
服役態度はおそらく良好なのだろう。(毎日のように食堂で刺殺事件が起こり、そのつどM1ライフルの威嚇射撃が鳴り響いたという最厳重警備の刑務所は3年で終え、いまはレベルの低い刑務所にいるというのが事実であれば、そうなのだと思う)
〈事務的に「仮釈放拒否」のスタンプをガシリと捺さる審問会にて〉
映画、「ショーシャンクの空に」でモーガン・フリーマンが、この審問会に何度も出て、その都度「拒否」のスタンプを押されるシーンを思い出す。
だが、刑務所の過密問題はカリフォルニア州でも大きな問題ではなかったか。短歌のイメージで、凶悪な犯罪者とはおよそかけはれたように思える郷が、それでもなかなか仮釈放の認可が得られないというのは、やはり同じ殺人罪でも故殺(manslaughter)のようなものでなく謀殺(murder)であったことを示しているような気がする。
娘がいるが、収監されてから一度も会っていないと本人が書いていること、会いたくてならないが、このまま会わずにいることが彼女のためだと思うと書いていること、などから、なんとなくこのあたりの事情は察することができるような気もするのだが—。

卑しい好奇心だけなのか、自分でもやはりよくわからないのだが、それでもいつかこの人が、誰をなぜ殺めてしまったのか語ってくれる日がくれば、それをじっくり読んでみたいと思う。

 一瞬に人を殺めし罪の手と
      うた詠むペンを持つ手は同じ  郷隼人

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コメント

発売されてから、いつかは読みたい思っていた歌集、図書館で思いがけず借りることができた事情もあり、深く心に残ってます。

>誰をなぜ殺めてしまったのか語ってくれる日がくれば、それをじっくり読んでみたいと思う

朝日歌壇で見かけると身内でもないのに、なぜかほっとするし、なぜ殺めなければいけなかったかとも思わせられる歌ですね。
ただ、被害者側からみれば、罪を犯した結果、制約された境遇のなかでの種々の思いが詠まれてはいるけれども、命を奪われた人への思い、謝罪めいたものは希薄ですね。
それゆえ、ますます詳細を知りたくなってしまうのでしょうか?

投稿: ミラー | 2007/01/24 21:48

そうなんですよね。じつはわたしは
〈加害者の己れ以上に何倍も苦渋味わう双方の家族〉
という歌に注目しています。(「家族」には「ファミリー」というルビ)
双方の家族とは、もちろん郷本人の家族が片方にあり、殺された人の家族がもう一方にある。ここで郷は、それぞれの家族に思いをいたしてはいるが被害者そのものに対する思いはなぜかかき消しています。
なぜ「双方の家族」というのか。この表現がもっとも自然に用いられるコンテキストは婚姻関係でしょう。被害者への思いをかき消すのは、それがあまりにプライベートなことだからではないでしょうか。
どんなことだってあり得るというのは、そうですが、ある仮説は立てられるように思う。

投稿: かわうそ亭 | 2007/01/24 23:27

朝日歌壇を見ていないので豪隼人氏のことは知りませんでしたが、受刑者の短歌といえば1960年代の島秋人という死刑囚のことを思い出します。私より亡母が熱心に島の短歌を追っていました。
恵まれない少年期の後に殺人を犯し、死刑確定後5年ほどで処刑。上告中から「毎日歌壇」に投稿していた島を窪田空穂が認めて指導し、窪田の尽力で処刑後『遺愛集』という歌集が出版されました。
処刑前夜の投稿歌、
七年の毎日歌壇の投稿も最後となりて礼(いや)ふかく詠む
は、今でも記憶に残っています。
『遺愛集』には処刑に際しての遺言なども掲載されており、キリスト教と短歌によって心が洗われ、立派な最後だったようです。
島のほかにも死刑囚が処刑の前に信仰や短歌などで心の平安を得て、心静かに死についたという例は幾人もありますが、被害者の遺族にとっては複雑なようで、被害者には心の平安など無かったと訴える人もいるようです。むつかしい話ですね。
受刑者の短歌という話で思い出しました。

投稿: 我善坊 | 2007/01/25 00:08

島秋人という人のことははじめて知りました。
受刑者と短歌というのは、ひとつには刑務所内での矯正活動として指導推奨されるということがあるのかもしれませんが、やはりなにか一本の磁針のような力があるのだと思います。

投稿: かわうそ亭 | 2007/01/25 00:23

偶然ですが、今日(28日)16時から関東圏のフジテレビで放映された
「われに短歌ありきーある死刑囚と空穂」
という番組で、島秋人と窪田空穂の交流が採り上げられていました。関西圏でも同時放映だったでしょうね?ご覧になりましたでしょうか?
「決定!ドキュメンタリー大賞」というタイトルで長野放送制作のこの番組を、多分再放送したのでしょう。
島秋人の本名や殺人事件に至る経緯など、きちんと紹介されていました。
再放送(再々放送?)があればいいのですがーー。

投稿: 我善坊 | 2007/01/28 19:10

こんばんわ。新聞の番組表を見るとたしかに関西圏でも今日やっていたようです。あらかじめ知っていたら録画でもしていたと思うのですが(日曜日は仕事なので)残念です。
こんど『遺愛集』は読んでみようと思っています。

投稿: かわうそ亭 | 2007/01/28 23:42

少し古い年代の画面なので 届くかどうか不安ですが・・
最近2013・1・3よりブログを始めたばかりの
新米です、 実は1984年に起きた「女流俳人殺人事件」に連座する当人から、手紙をもらいました、私は詩を書いていて個人詩誌を不定期に発行しています、
その流れで見知らぬ詩人宛に届いたものと思われます、
そのいきさつや、受刑者の俳句・短歌などを自分のブログに交えて紹介し始めています。
ブログ名  川辺のdiary  風蓮
で検索できます、 ついでの折にでものぞいてみてください・・

投稿: 風蓮 | 2013/01/25 12:36

風蓮さま

古い記事を見つけていただきありがとうございます。ブログの記事を拝見いたしました。いろんなことがあるもんですね。

投稿: かわうそ亭 | 2013/01/25 12:52

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