« LONESOME隼人をめぐって | トップページ | ユメ十夜 »

2007/01/29

吉野せい『洟をたらした神』

『洟をたらした神』吉野せい(彌生書房)を読む。
初版は1974年だが、わたしは今回始めて読んだ。
1975年の第6回大宅壮一賞受賞作なので、多くの人が読んでおられるだろうし、そういう方は、いまさらわたしがなにか知ったかぶりの紹介めいた記事を書くことを快く思われないだろう。何を書こうと、ちゃらちゃらした内容になってしまうに違いないから。

ということで、わたしがそうであったように、吉野せいという名前だけは知っているが本書は未読であるという方は、杉山武子さんの「土着と反逆―吉野せいの文学について」という力のこもった文章がネットに公開されているので、そちらをお読みいただきたい。(こちら)

本書の内容については、著者自らの「あとがき」を読むに如くはない。そう長いものではないので全文を引用する。

一八九九年という遠い遠い昔、海の眩しかった福島県の小名浜という魚臭い町に生まれました。高等小学校卒だけの学歴。
一九一六(大正五年)以来二年ほど小学校に勤めましたが、その間平町に牧師をしていた山村暮鳥氏を知り、懇切な指導と深い感化をうけました。眼に入るものを秩序もなく読み漁りました。辿々しくも文学の勉強に足を突っ込んで張り切っていたつもりの自分が、一九二〇年(大正九年)頃には文学よりも、社会主義思想の模索に傾いていたことをはっきり認めました。時流に浮かされた若さ、正しさ、弱さだと思います。
一九二一年(大正十年)菊竹山腹の小作開拓農民三野混沌(吉野義也)と結婚。以後一町六反歩を開墾、一町歩の梨畑と自給を目標の穀物作りに渾身の血汗を絞りました。けれど無資本の悲しさと、農村不況大暴れ時代の波にずぶ濡れて、生命をつないだのが不思議のように思い返されます。
一九四六年、敗戦による農地解放の機運が擡頭しその渦に混沌は飛び込み、家業を振り返らぬこと数年、生活の重荷、労働の過重、六人の子女の養育に、満身風雪をもろに浴びました。
ここに収めた十七編のものは、その時々の自分ら及び近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実のみです。口中に渋い後味だけしか残らないような固い木の実そっくりの魅力のないものでも、底辺に生き抜いた人間のしんじつの味、にじみ出ようとしているその微かな酸味の香りが仄かでいい、漂うていてくれたらと思います。
各編の末尾に記した年代は、ちょうどその頃の出来事であることを示したもので、作品を書いたのはここ三年の間のことです。
無知無名の拙い文を、なぜ串田先生が真情をもって拾い上げ、彌生書房主が刊行に踏み切ってくだされたか、日頃奇跡を信じない私は、唯黒い手を胸に組み、頭をたれるばかりでございます。

一九七四年九月

少しだけ、この「あとがき」にふれて感想を付け加える。
わたしが注目するのは、「辿々(たどたど)しくも文学の勉強に足を突っ込んで張り切っていたつもりの自分が、一九二〇年(大正九年)頃には文学よりも、社会主義思想の模索に傾いていたことをはっきり認めました。時流に浮かされた若さ、正しさ、弱さだと思います。」という一節。
吉野せいは19歳の頃にすでに小説を書き、月刊誌にも掲載されていたというから、いまとは時代は違うとは言え、華やかな女流の物書きとしてのキャリアを積む道もあったのではないか。
しかしそれを軽佻浮薄な虚名を追う行為のごとくみなす傾向がおそらく本人にもあり、また大正デモクラシーや社会主義の台頭と言う時流もあったのだろう、結果としては、若いうちから文筆の世界で生きる道を自ら閉ざし、凄絶な労働と生活苦の人生に沈んだ。
だが、どうなのだろう、「あとがき」に自ら記すように、その決意は若さであり、正しさであり、そしてなにより「弱さ」であったというこの削ぎ落とされた峻烈な認識。わたしは、二十歳にもならない女性の正義感や使命感をもちろん美しいと思うが、あえてその世界に飛び込まなくてはと思い詰めた場合には、年長者は「そう思い詰めるものではないよ」と言ってやるべきではなかったのかという思いがあるな。自分は安定した生活を確保している知識人と称する人間が、若者に無謀な人生をあたかもそれが人間性の証明であり義務であるかのごとく誇張して伝えるというきらいが、左翼陣営にはあったのではないだろうか。

|

« LONESOME隼人をめぐって | トップページ | ユメ十夜 »

b)書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/13698536

この記事へのトラックバック一覧です: 吉野せい『洟をたらした神』:

« LONESOME隼人をめぐって | トップページ | ユメ十夜 »