大塚久雄と中野正剛(承前)
自分と同じように左足を切断された男がいると知った中野正剛は、さっそく大塚久雄に手紙を書く。以下『大塚久雄 人と学問—付 大塚久雄「資本論講義」』より。
数日後、大きな封書が大塚の許に届いた。中野正剛からのものだった。開いてみると、あなたは隻脚とのことだが、じつはわたしも片足がない。しかし義足で普通に歩いている。そういうわけで義足屋を世話しようと思う、と書いてあった。
大塚は中野正剛なんぞと関わりたくないと思って、そのまま放っておいた。
大塚の体調はほぼ順調になり、久しぶりに快適な気分の日であった。しかし戦争はおもしろくない。彼は自宅のピアノでマーチを弾いて子どもたちを遊ばせていた。
すると子どもが
「お父さん、うちの前に旗を立てた車が止まったよ」
といった。
見ると、中野の組織した東方会の旗を立てた車が止まっていた。やがて中野正剛が入ってきた。
中野は突然の来訪をまず詫びた。それから部屋の中を歩いて見せて「義足でもこんなに歩けるのだ」といった。
このあたり、中野正剛という男の、思い立ったら一直線の性格がよく出ているような気がするな。
これがきっかけとなって大塚は中野の紹介してくれた義足屋で左足の義足をつくり、その後もこの義足屋で中野と二、三回遭ったことがある、という。
こうして1943年の春、二人が義足の縁で知り合ったころ、中野正剛は『戦時宰相論』という本で東条英機を痛烈に批判したため東条の激しい怒りを買っていた。
この年、10月のはじめ、大塚は中野から自宅まで来ては貰えぬかという連絡を受けた。義足で世話になったこともあり、大塚は何ごとかと思いながら中野の家まで出向いた。
中野正剛は二十畳敷の座敷の真中に座っていた。床の間には日本刀が飾ってあった。中野は声を落として、しかし悠然としていった。
「自分はもう長くはありません。これだけ東条に狙われていては、もうどうしようもないのです。右翼の御用経済学者は自分も何人か知っていますが、あんな連中はまったく頼りになりません。だからといって大塚さん、わたしはあなたに何も頼もうとは思いませんが、たった一つだけ願い事を聞いて下さい。それは子どものことです。わたしには二人の息子がいます。その将来について相談に乗ってやって下さい」
中野の意外な依頼に、大塚は「どこまで出来るかわかりませんが……」といいながら了承した。
10月21日、中野正剛は倒閣工作容疑で逮捕、憲兵からの拷問をうける。
10月26日釈放。同日夜、床の間の日本刀にて、古式通りに十字に割腹してから頸動脈を切り自害して果てた。
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コメント
石崎氏の本から中野正剛と大塚久雄との交流についての逸話、懐かしく拝見しました。(生前の大塚先生を存じ上げておりましたので)
中野正剛の思い出話も、先生から直接伺ったことがありましたが、『大塚久雄著作集』第13巻(岩波書店。岩波でこの著作集を担当されたのが石崎氏です)には、「政治家中野正剛にみる深い人間的真実」という一文が載っています。
大塚は中野に教えられて中目黒の義肢研究所に通うようになり、そこでのつれづれに中野との間で話が弾んだといいます。対話を通じて大塚は、中野が①「当時世間に流布されていたイメージとはかなり異質」で、それに驚くことで「思想史研究への興味をかきたてられ」「その難しさをも痛感させられた」、②「政治家としての責任倫理に生き抜こうとする中野正剛の姿勢の背後に、深く人間的な心情倫理の裏づけが厳存しているのを垣間見た」と言い、「政治家とは何かということについて、類ない示唆」を受けたと述べています。
このときの中野の「二人の男の子」の一人が中野泰雄氏(亜細亜大学名誉教授)で、マックス・ヴェーバーの社会学を研究して大塚の専門分野とも重なっていました。
中野泰雄氏は後に父親の伝記『政治家中野正剛』(1971年)を出版しますが、大塚がそれに推薦の筆を執ったのが著作集の一文です。
戦後の手痛い経験から個別政治家の評価に関わるようなことにはきわめて慎重であった大塚にしては、珍しい文章だったと思います。
投稿: 我善坊 | 2007/01/10 13:04
我善坊さん
大塚久雄と中野正剛との交流について詳しいご説明ありがとうございました。わたしは社会科学の専門的な学問についてはまったく無知な人間ですが、こういう人と人の意外な接点のような逸話にはとても心をひかれます。
それにつけても、この本の口絵に収められている大塚久雄のポートレイト(写真/濱谷浩)を前回の記事に添付しましたが、何度見てもほれぼれするようなよさがありますね。こういう方の謦咳に接せられたというのはなんと素晴らしいことかと思います。
投稿: かわうそ亭 | 2007/01/10 17:33
我善坊さん有り難うございます。おかげで久しぶりに大塚氏の著作集に手をのばしました。
(久しぶりに開いたこの第13巻〔著作集の最終巻〕に、著作集未収録のいくつかの短文や談話のコピーがはさみこんであって、なつかしい気持ちにさせてくれました。)
私などある偶然から大塚氏の著書――それもある程度一般向けに書かれた本よりは『共同体の基礎理論』や『西洋経済史講座』の理論的なもの――で、氏の社会科学にふれた者にとって、著作集(とりわけ九巻までの第一期の)は、何度も読んだものでした。
昨年末に2007年が大塚久雄氏の生誕100年になることに気付いたのですが、数日前美術評論家の嘉門安雄氏が亡くなられて、何度読み返したかわからないほどの「レンブラント対談」から大塚久雄氏のことをまた思い出していたところに、かわうそ亭さんが石崎氏の本を紹介されたという次第です。
「政治家中野正剛にみる深い人間的真実」の収められている著作集の第13巻は「意味喪失の文化と現代」という恐ろしい題が付されていますが、先日の特高の件については同巻の内田義彦氏との対談に“ボディ・ガード”の話として語られていることが示唆的ですし、歌人高安国世の当時の評価も大塚理論の「本質的な日本資本資本主義への鋭い牙」(内田)である由縁を語ってくれているように思います。
なかば私的な長文の書き込みになりましたが、お許しを。
投稿: かぐら川 | 2007/01/11 01:15
かぐら川様
「かわうそ」亭さんのブログでかねがねお名前は存じており、コメントも興味深く拝見しておりました。
たまたま大塚久雄の『共同態の基礎理論』に触れておられたので、一層関心を惹かれました。
大塚の著作から、多くの人は『近代欧州経済史序説』や『社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス』を挙げるのですが、『共同態―』におよぶ人は学者でもあまり多くないようです。私も大塚の論文では(大学院の講義草稿ですが)、これに最も感動しました。学問とはかかるものかと思ったのも、この薄い一冊でした。
大塚のレンブラントの絵画やバッハ「マタイ受難曲」への傾倒は、傍で見ていて好もしいものでした。レンブラントはご自身の学問から興味を惹かれたのでしょう。私もアムステルダムの国立美術館で「夜警」をはじめとするレンブラントを見て、大塚の思想の映像化を見たように思いました。
大塚の生い立ちや人柄については石崎氏がまとめてくれましたが、学問の目指したところについては、若い頃大塚の助手を勤めていたK氏によって、早ければ今年中に出版されると期待しています。著作集最終巻の「意味喪失の文化と現代」というサブタイトルに目を向けられたのは流石で、晩年の大塚の学問の方向を示唆していたように思います。
思わず話が深みに嵌ってしまい、かわうそ亭さんにも失礼しました。
これからもよろしくお願いします。
我善坊
投稿: 我善坊 | 2007/01/12 23:20
我善坊さん、かぐら川さんの対話をここに収めることができ、結果的におふたりを正式にお引き合わせしたような形になって(といいながら実際の面識はないのですからネットの世界も面白い)、お気楽ブログの運営人として、たいへん光栄に存じます。(笑)
ありがとうございました。
投稿: かわうそ亭 | 2007/01/12 23:40
かわうそ亭さん、みなさん。どーも。
「右翼」ということで思い出したことが一つ。
かつて働いたことがある古書店T書店。そこのもう亡くなった先代の主人が、大川周明と1950年代、古書の引き取りの際、懇ろに話したことがあったそうです。この主人、丁稚からのたたき上げの一代で店を構えた苦労人で、実は代々木系シンパ。随分、献金もしたそうですが、その彼がいうには、「大川周明って人は、右翼っていうけど、立派な人だったよ。」とのことでしたね。彼はインテリ信奉者でありましたから、その部分に惹かれたのかもしれませんが。
私は大塚久雄の良き読者とは言えませんが、M.Weberがらみで、何冊か読ませてもらいました。Weber理解に関しては、随分お世話にもなりました。ただ、大塚をはじめ、日本におけるWeber紹介者は、マルクス経由で経済・経済史関連で触れるパターンが多いため、「法学者」としてのWeber理解が不十分だったことは否めないと思っています。この部分は、東北大の世良晃四郎や、京大の上山安敏あたりによって補われてきましたが、それでもまだまだ、Weberにおける「法」の側面は周知されていない気がします。脱線しました。
投稿: renqing | 2007/01/14 03:42
Renqing様
またまた刺激的なコメントで、口を出したくなりました。
昨年、野口雅弘という若い研究者(といっても30台後半)の『闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(みすず書房)という、大変意欲的な本が出版されましたが、ご覧になりましたか?
この中では自然法に対するヴェーバーの態度など、かなり具体的に言及されています。
野口氏は若い世代だけあって、我々のようにヴェーバーに至る既定の「関門」は必ずしも通過せず、いきなりヴェーバーにぶつかり、かつ日本ではこれまであまり引用されなかった欧州の同時代人についても勉強されて、大いに啓発されました。勿論私には同意できない部分もありましたが、大塚、丸山などのヴェーバーに寄りつつそれを乗り越えようとして失敗した諸先輩たちとは、全く違う進め方が面白かった。
決して取り組みやすい本ではありませんが、未だでしたらご一読お奨めします。
戦後のヴェーバー研究が、マルクスを経由して、あるいはマルクスと並行して読まれてきたことは慥かですが、私など古い世代かもしれませんが、およそ社会科学に取り組む以上、この二人の提起した問題を素通りして先に進むことは、不可能であろうと思っています。近代の学問がすべて、何らかの意味でデカルト、パスカル、カント、ヘーゲルを無視し得ないように。
どんどん深みに嵌ってしまいますね。
投稿: 我善坊 | 2007/01/14 11:09
我善坊さん、どうも。
残念ながら、本そのものを知らず、『闘争と文化』は未読です。ネットでざっと見たところ、大変面白そうです。図書新聞(12月16日号)紙上でも、北大の橋本努の書評があるようなので、時間を見つけて読ませて戴くことにします。
Weberは20世紀最高の学者の1人ですが、彼の新カント派という認識論的立場は、今の私には受け入れがたい。この立場にある限り、自然法を肯定できなくなります(ケルゼンしかり)。ということで、自然法思想の破壊者として、カント親分も糾弾せねばならないのですが、こんな大仰な事を他所様の品のいい庭先で開陳するのも、野暮というものですから、自ブログで、大風呂敷を広げることと致しましょう。この件、興味がおありなら、
自然法と日本の憲法学
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2005/05/post_ae0a.html
を一瞥して戴けると幸甚です。
投稿: renqing | 2007/01/15 01:54