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2007/01/04

「サー」の問題

ウッドハウスのジーヴスものを、森村たまきさんによる翻訳と岩永正勝・小山太一両氏の共訳とで読んで、すぐに気づくのは「サー」の処理の問題である。

同じ箇所の二種類の訳を並べてみればいいのだが、いまは本が揃ってないので、とりあえず、まず手元にある『でかした、ジーヴス!』(森村たまき訳)の最初のところを引く。

「ジーヴス」僕は言った。「今朝の僕はいつもの陽気な僕じゃないんだ」
「さようでございますか、ご主人様?」
「そうなんだ、ジーヴス。全然まったく陽気な僕じゃない」
「さようにお伺いいたしましてたいそう遺憾と存じます、ご主人様」

つぎにこの原文。

'Jeeves,' I said. 'I am not the old merry self this morning.'
'Indeed, sir?'
'No Jeeves. Far from the old merry self.'
'I am sorry to hear that, sir.'

いかがだろうか。わたしは、最初、このジーヴスの「ご主人様」が気にかかっていた。(いまはそうでもない。あとで説明する)

では、つぎに岩永正勝・小山太一の共訳。毎度おなじみのバーティ・ウースターの服装に対するジーヴスの冷ややかな視線が感じられる場面。『ジーヴスの事件簿』の「ジーヴスの初仕事」から。

「このスーツが気に入らないようだな、ジーヴス?」
「滅相もないことです」
「いったいどこが気に入らない?」
「大変ご立派なスーツで」
「そうじゃないだろう。何が悪いんだ?言ってみろ」
「もし申上げてよろしければ、無地の茶か青、おとなしい綾織か何かの—」
「たわけたことを!」
「よろしゅうございます」
「全くのたわごとだぞ、おまえ!」
「仰せのとおりかと」

原文。

'Don't you like this suit, Jeeves?' I said coldly.
'Oh, yes, sir'
'Well, what don't you like about it?'
'It is a very nice suit, sir'
'Well, what's wrong with it? Out with it, dash it!'
'If I might make the suggestion, sir, a simple brown or blue, with a hint of some quiet twill -'
'What absolute rot!'
'Very good, sir'
'Perfectly blithering, my dear man!'
'As you say, sir'

つまり、森村さんの方は「サー」はすべて「ご主人様」というかたちで訳出する。対して岩永・小山組は「サー」は全部、取っちゃうという大方針を最初に立てたのですね、たぶん。

この二種類の翻訳はほぼ同時に出版されたこともあるし、それぞれが訳者の「あとがき」あるいは「付言」で、別の翻訳についての記述があるので、やはりそれなりに意識をされているように思う。

わたし自身は、どちらも丁寧な翻訳で、どちらもたいへん読みやすいいい出来だと感じている。だから読み比べてどっちが上で、どっちが下だなんて品のない評価じみたことをする気は一切ない。どちらもいい翻訳ですよ、で十分だと思う。

ただし、読後のテーストはやや異なる。あえて言えば森村訳の方がやや古風なとぼけた味わいが強く、岩永・小山訳がモダーンで小粋な感じがよくでているように思う。

20070104 ところで、この「サー」をどう処理するかというのは本当にむつかしい。
わたしもいろいろ考えてみたのだが、これという案は浮ばない。「若」、「殿」、「旦那さま」、「御前」—どれも駄目である。では、全部取った方がいいかというと、ときどきジーヴスは微妙なニュアンスで(たとえば不同意と批判をこめた)'Sir?' なんて発言をやらかすので、ここだけ「ご主人様?」というわけにはいかないから「は?」何て感じで訳すことになると思うのだが、そうすると原文のもつジーヴスの一貫した礼儀正しい、というより慇懃無礼すれすれの尊大さの統一感がくずれるような気もする。

おそらく、こういうのは好き嫌いの範疇で、そして好き嫌いは、どっちを最初に読んだかで決まるのではないか、という気もする。わたしは森村訳から入ったので、いまではジーヴスの言葉尻に「ご主人様」がつかないと、どうも座りが悪いような気がするのであります。ただ、いかにも「ご主人様」というのは卑屈な隷従の響きがあるのも事実。

そこで、わたしの折衷案ですが、森村訳をよむときはジーヴスの発言の「ご主人様」のところに「サー」というルビが振ってあるつもりで読む。岩永・小山訳のときは、ジーヴスのパートの句読点の前に「サー」が隠れているつもりで読む、というのがよいのではないかと思うのでありますが、いかがなものでしょう。
そんなメンドクサイことができるかって?
いかにも仰せのとおりかと、サー。

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コメント

sirの響きで最も耳に残っているのは、英国鉄員の使い方です。客商売やら接待業とは違う感じがあるのですね。servantにpublicが付くような一寸公僕に近いような雰囲気です。BAのパーサーなどはすでに違いますね。

ご指摘の'Sir?'やしばしば遭遇する慇懃無礼の使用法ですが、これらを織り込もうとすれば、サーに音調を書き加えるのがよいでしょう。中国語風に数字をいれるか、それとも矢印をいれるかです。

サー、どうでしょうか?

今年も宜しくお願い致します。

投稿: pfaelzerwein | 2007/01/04 18:03

ははは、英国人の「サー」の使い方をマスターするのと、京ことばの「さよですかぁ」の使い方をマスターするのはどっちがむつかしいかなあ、なんて。(笑)
今年もどうぞよろしく。

投稿: かわうそ亭 | 2007/01/04 21:44

最初にこの記事を書いたときはまだ、岩永・小山訳の『ジーヴスの事件簿』の最初のほうしか読んでいなかったので、森村訳と同じ箇所の比較ができないように思っていたけれど、最後のほうで国書刊行会の『でかした』収録と同じ短編があったので、この比較が可能になる。
参考までにその箇所の岩永・小山訳を以下に引いておきます。

「ジーヴス」僕が言った。「今朝はいつもの楽しい気分になれない」
「さようでございますか?」
「そうだ、ジーヴス。いつもの楽しいぼくからは程遠い」
「お気の毒さまでございます」

投稿: かわうそ亭 | 2007/01/05 11:02

翻訳は難しそうな仕事、かわうそさんの此の掲載を読むだけで大仕事なのだろうなあ、面白そうだけれど、、。

私は断然、岩永/小山訳がお気に入り。本を全く読んでいない立場から言う無責任な言及ではありますが。
これは二人だけが部屋などに居る場面で二人だけの会話と想定するので、しかも其の会話文の流れに主人にとっても執事?が日本の昔で言う乳母的なニュアンスが感じ取れ、執事?にとってもご主人と分かっているのは明瞭で、しかも主人は執事?をファースト ネームで呼んでいる事も考慮したとして、会話上で当然に関係意識も感情にあるのは殊更に明記しなくても明瞭で、更に軍隊の環境とは別なのも明白なので「Sir」にこだわる必要は無い。
これが例えば主人が出かけようとしていて背中を執事に向けて立ち去って行く最中で、執事が主人に何か用件があって主人を呼び止めるという場面なら「Sir?」と声をかけてアテンションを向けている、というならSirはピッタリ合う。というのが私の好みで岩永/小山に乾杯。

投稿: でんでん虫 | 2007/01/06 01:38

翻訳については村上春樹がこんなことを言っていますね。
ちょっと意外な翻訳という行為の切り口で、しかし、なんとなく納得できる面白い意見だと思う。
-------------------------
ものを書く読むということについて言えば、実際に足を入れてみないとわからないことって、たくさんあります。自分で実際に物理的に手を動かして書いてみないと理解できないことって、あるんですよね。目で追って頭で考えていても、どうしても理解できない何かがときとしてある。
だから昔、印刷技術のないころには、写経とか、たとえば、『源氏物語』をみんなずっと写してた。これは要するに、現実的な必要に応じて、こっちからこっちに同じものを引き写すだけなんだけど、しかしそうすることを通して結果的に、あるいは半ば意図的にかもしれないけど、人々は物語の魂そのもののようなものを、言うなれば肉体的に自己の中に引き入れていった。魂というのは効率とは関係のないところに成立しているものなんです。翻訳という作業はそれに似ていると僕は思うんですよね。翻訳というのは言い換えれば、「もっとも効率の悪い読書」のことです。でも実際に自分の手を動かしてテキストを置き換えていくことによって、自分の中に染み込んでいくことはすごくあると思うんです。
『翻訳夜話』村上春樹・柴田元幸(文春新書)

投稿: かわうそ亭 | 2007/01/06 21:53

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