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2007/02/11

『最終講義』木田元

20070210 『最終講義』木田元(作品社)は、著者が1999年に中央大学文学部を定年で退官した際の最終講義「ハイデガーを読む」と、同じく中央大学人文科学研究所で行った「哲学と文学—エルンスト・マッハをめぐって—」という最終講演を収録。
最終講義といい最終講演といい、いずれもかなり儀式めいたところがあり、あとに送別パーティも控えている。あまり長々と講義するようなものでもないので、実際には頭の中に準備した原稿の要点だけを話したにすぎないという。そこでせっかく本にしてくれるのだったら、もともと話したかった、頭の中の原稿の方が最終講義にはふさわしいだろうということで、本書は、当日準備していたメモを元にあらたに書き起こしたものであるそうな。
どちらの「講義」もたいへん魅力に富んで面白い。

「哲学と文学—エルンスト・マッハをめぐって—」から。

「もう十年以上も前のことになりそうですが、『マッハ文朱』という女子プロレスラーのいたことを覚えておられる方は多いと思います。」というマクラから講義は始まる。
このマッハという超音速の速度単位はエルンスト・マッハ(1838-1916)の名前に由来するそうですが、この人は「ハプスブルク家統治下のいわば黄昏のプラーハやウィーンで暮らし、物理学者のくせにピアノやオルガンを弾くのが好きで、作家のシュニッツラーと組んでオペラの作曲をしたこともあるという洒落た人」であった。

物理学以外にもマッハという名前は「マッハ主義」という言葉になって、「トロツキズムと並んで、ひところ正統派マルクス主義者から分派思想、プチブル修正主義、反革命思想」とぼろくそに言われたのだそうですね。マッハ哲学によってマルクス主義の革新をめざす一派が亡命中のロシア社会民主労働党のなかに現れ、これをレーニンが『唯物論と経験批判論』でこっぴどくやっつけた。
またフッサールが1900年に出した『論理学研究』でも、マッハ哲学の批判をした。

かように「世紀の大革命家レーニンと、今世紀もっとも厳密な思索をした哲学者フッサールが口をそろえて批判するくらいだから」マッハなんて一般には見向きもされないというのが1960年代くらいまでの一般的な評価だった。しかるに—という具合に講義は続くのですが、まあ哲学論議はわたしのもはやとろいアタマではついていけないので、以下はマッハをめぐる、別の興味深い人物のゴシップなど。(全部をまるまる引用すると長いので、適当に切り貼りをしていますが、基本的に木田先生の文章の抄録であります)

第二インターナショナルの最も有能な指導者でもあればオーストリア社会民主党の創設者でもあったヴィクトール・アードラーという人物がおりまして、その息子にフリードリッヒ・アードラー(Friedrich Adler /1879-1960)という男がおった。
このフリードリッヒは、きわめて感受性が強く純粋で理想主義的な性格で、少年時代からマルクス主義に心酔していた。労働運動に身を投じようとしたが、父の説得でなんとか大学で物理学を学ぶことになった。そのときチューリヒ連邦工科大学で出会ったのがアルバート・アインシュタイン。ふたりは親友となった。ときに1897年。
二人は、少し前までローザ・ルクセンブルグの住んでいた学生下宿に住み、アードラーはローザの使っていたその同じ部屋を使っていたのだそうです。へえ。

アードラーの理論物理学に関する論文は、アインシュタインの特殊相対性理論に関する論文と同じ1905年に出版されます。これはマッハに推奨された。かれの理論はマルクス主義とマッハの進化論的認識論・科学論との統一を目指したものであった。
フリードリッヒはレーニンとも親交があり、トロツキーとも親しかった。
1909年、自分の権利を譲るかのようにして、当時ベルンの特許局で働いていたアインシュタインをチューリヒ大学の教授のポストにつかせ、自分はウィーンの社会民主党書記として政治運動に専念することにします。

第一次世界大戦中の1916年、ウィーンのカフェでオーストリア首相カール・シュテルク伯爵を暗殺、死刑の判決を受けます。ただしこの死刑の執行は延期され結局は皇帝カールによって恩赦を受けます。この裁判の前後、アインシュタインはアードラーを弁護し続けました。

1919年、ボリシェビキ革命のあとレーニンとトロツキーはアードラーを共産主義インターナショナルの名誉書記に推挙するが辞退されてがっかりしたそうです
第二次大戦のさなかアメリカに亡命、アメリカでアードラーは一度だけアインシュタインを遠くから見かけますが、若い日の夢の破産が声をかけるのをためらわせたようです。
戦後、アードラーは帰国を望んでいたがオーストリア社会民主党によって無視され流謫の地で没した。
(なおWikipediaによれば、アードラーは1960年1月2日、にチューリヒで死んだことになっている)

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