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2007/02/14

『遺愛集』島秋人

2006_0214 先日教えていただいた、島秋人の『遺愛集』(東京美術)を読む。
大阪中央図書館の蔵書は昭和42年の初版本だが、糸綴じ本の頁がいまにもばらばらになりそうになるまで読み込まれた本だった。いかに多くの人が手にした本であるかが想像できる。
写真を見ていただくとかなり傷んだ本の様子がわかるだろう。題簽は窪田空穂、カバーの絵(桔梗の花)は吉田好道。
この吉田好道氏というのは、島秋人の中学時代の図工の教師である。
以下は『死刑囚島秋人—獄窓の歌人の生と死』海原卓(日本経済評論社)から。
死刑判決を受け、控訴して東京高裁での審理を受けるため東京拘置所に収監中だった島秋人は、昭和35年にこの先生のことを思い出して、先生の絵を頂戴できないかという手紙を書いた。それは開高健の芥川賞受賞作『裸の王様』を図書室から借りて読んだことがきっかけだった。この小説は子どもの絵画が重要なテーマになっているが、この小説で島秋人は自分の絵を褒めてくれた吉田先生のことを思い出すのである。近所の禅宗の寺、香積寺の六地蔵を描いたものを「絵は下手だが、構図がおもしろい」と言ってくれた、その言葉は、島秋人にとって学校生活で生まれてはじめて、たった一度だけ教師に褒められたというなつかしい思い出であった。

その手紙は、「昔、先生に教えていただいた生徒です」という書き出しで始まっていた。昭和三十五年(1960)秋の彼岸に届いた手紙だった。(中略)好道の妻絢子は、そのときの模様を次のように語る。
「主人は書斎で手紙を読んでいました。お茶を持って部屋に入りかけて、私は敷居際で立ちつくしてしまったのです。なにか躊躇する雰囲気が足を停めさせたのですね。すると、主人の背中がだんだん丸くなっていくのです。主人は泣いているように思いました。わたしは心配になって、『お父さん、何のお手紙ですか』と尋ねたのです。すると、黙って肩越しにその手紙を私に渡してくれたのです。ほんとうに驚きました。そこには、僕は今、人を殺め死刑囚となって東京拘置所にいます。とあったんですから‥‥」

吉田夫妻はただちに島秋人に返事を書き、それに所望された吉田の絵の他に吉田家の子どもたちの描いた絵と絢子の香積寺の六地蔵を詠んだ短歌を同封した。そして、この絢子の短歌が島秋人の心をとらえ、絢子に導かれてこの死刑囚は短歌の習作を始めたのである。
島秋人のペンネームを与えてくれたのも、のちに毎日歌壇の窪田空穂選に投稿するように助言をしたのも絢子であった。人の出会いや運命というのは不思議なはたらきかたをする。

ところで、いまにも分解しそうな本を慎重に扱いながら読むはめになったが、この『遺愛集』は40年近く版を重ね、2004年にも愛蔵版が出ていたことをあとで知った。また『死刑囚島秋人—獄窓の歌人の生と死』の著者の海原卓氏の舞台台本で、ポール牧が一人芝居を演じ、のちに演劇上の意見の相違から袂を分かつと、そのあとを、そのまんま東(いまや東国原英雄の名前の方が有名だが)があとを継いだらしい。そういう意味では、この島秋人という歌人は、(わたしは知らなかったけれど)いまでも多くの人のこころをとらえる力があるということなのだろう。
島秋人の虚像と実像をめぐるいくつかの疑問について海原卓氏の本は示唆に富むものだったが、あえてそのことにはここではふれないことにする。

最後に「遺愛集」から。

 肩冷えて深夜の床に覚めて聴く遠き汽笛の何か親しき
 洩るる陽を優しと思ひ掌に温むちいさき冬日愛ほしみたり
 やはらかく土に浸みつつ春の雨細く降り継ぎひと日昏れたり
 この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し(処刑前夜)

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コメント

島のことは知っていましたが、「遺愛集」読んでみます。よき本をご紹介戴き感謝です。

投稿: 齋藤百鬼 | 2007/02/14 19:48

齋藤百鬼さま
健筆をふるっていらっしゃるブログ俳句閑日、共感する視点が多くたいへん参考になります。
勝手にリンクをさせていただきましたが(そちらからのリンクもいただきありがとうございます)、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
『遺愛集』は、いくつか気になる負の部分もあるのですが、それを上回るよき人間の行為が証しされていると思いました。

投稿: かわうそ亭 | 2007/02/14 21:32

島秋人が舞台脚本になっているとは知りませんでした。
境遇を背景にした短歌は人の心に迫るものがありますが、本人の遺志を考えると、あまり光に晒すのもどんなものかという気がします。
(TV番組には当時の担当弁護士が登場して、「弁護士として未だ若く未熟だったので、減刑を勝ち取れなかった」と率直に語っていましたが、今なら情状酌量で死刑にはならなかったでしょうね)

斎藤百鬼様、
偶々「(新)緑陰漫筆」から「斎藤百鬼の俳句閑日」に辿りつき、毎回拝見しています。虚子批判や漱石の修善寺大患前後の句についてなど、大いに共感いたしました。
人さまのブログのコメント欄をお借りしてのご挨拶など、「かわうそ亭」さんにも大変失礼なことですが、今後ともご健筆のほど楽しみにさせていただきます。

投稿: 我善坊 | 2007/02/15 08:12

我善坊さん こんばんわ。
テレビ番組は残念ながら見逃したのでさだかではありませんが、新潟地裁の死刑判決に対する控訴後の東京高裁の審理のときの弁護士であれば、どうも土屋公献氏らしく思われます。1994年〜1996年の日弁連会長。土屋氏は1923年生まれですから、1960年の東京高裁の審理のときは37歳でしょうか。
以下参考までに。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/1995_18.html

http://www.us-japandialogueonpows.org/Tsuchiya-J.htm

投稿: かわうそ亭 | 2007/02/15 22:12

土屋氏についての補足、有難うございました。
こんな立派な方が日弁連の会長をなさっていたのですね!
島秋人氏もこんな方に弁護されたのは、不幸中の幸いだったといういうべきでしょう。
土屋氏の死刑廃止論も、島氏の弁護が重い経験となっているのかもしれませんね。

投稿: 我善坊 | 2007/02/16 13:31

氏の死刑に対する意見、わたしもそのように感じました。

投稿: かわうそ亭 | 2007/02/16 22:58

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