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2007/02/02

そののちのアララギ

「短歌研究」2月号の「アララギ系と非アララギ系―その『接近』と『反発』―」と題する特集を読む。
非アララギ系とアララギ系の歌人が交互に、一人につき見開き2頁でコメントを寄せている。

まず「非アララギ系の立場から」として以下の8名。
 高野公彦(コスモス・桟橋)
 外塚喬(朔日)
 鈴木隆夫(潮音)
 櫟原聰(ヤママユ)
 彦坂美喜子(井泉)
 島田修三(まひる野)
 寺田淳(かりん)
 矢部雅之(心の花)

一方、「アララギ系の立場から」は以下の9名。
 田井安曇(綱手)
 大河原淳行(短歌21世紀
 吉村睦人(新アララギ
 阿木津英(あまだむ・牙)
 大島史洋(未来)
 大辻隆弘(未来)
 川本千栄(塔)
 常磐井猷麿(アララギ派
 伊藤安治(青南

なぜ今月号でこういう特集が組まれているかというと、たぶん今年が「アララギ」創刊百周年だからなのですね。

伊藤左千夫が子規の根岸短歌会を母体にした「アララギ」を創刊したのが1907年。伊藤左千夫亡き後は島木赤彦が指導し、そのあとは斎藤茂吉、土屋文明と続く。
土屋文明がなくなるのは1990年ですが、この間にアララギから分かれた有力な結社は、近藤芳美の「未来」(現発行人は岡井隆)、高安国世の「塔」(現在の代表は永田和宏)、などがあります。もうすこし詳しく言えば、戦後の用紙難などを背景として、地域単位のアララギという組織もあったので話はすこしややこしいようですが、まあ、そこは部外者にはよく見えないところなので、省略。
さて1997年、突如アララギはその年の12月をもって終刊することを発表しました。短歌史のなかで、その時代を代表するような歌人を数多く輩出した歌壇の最大結社は、100年を待たず、90年でその歴史を閉じたことになります。すなわち、その1997年の実質的な解体がなかりせば、今年は創刊百周年という記念すべき年になるはずであったというわけであります。

と、まあ一応ここまでが調べればだれにでも手に入る基本的な情報なのですが、今回、この特集を読んでみて、どうもわたしには腑に落ちないことが多かった。

それは二点にしぼられる。

第一に、非アララギ系とアララギ系という結社の源流を根拠にして、現役の歌人を区分けして「接近」やら「反発」を語らせようというのは、あまり意味がないだろうと思えること。現に特集に寄稿した歌人の意見も多くはそういうものだったと思う。
第二に、しかし「接近」や「反発」が、もしあるとすれば、それはむしろアララギ系と称されるかつて同じ結社に所属した人々のその後の継承結社同士の間のことであるはずで、それならば短歌ファンとしても興味もあるし、また語るべき内容も多いはずなのに、今回の特集にはそこまで踏み込むつもりはないように見えること。

もっと具体的に言おう。

1997年のアララギの解散と分裂はなぜおこったのかが、この特集ではまったくふれられていない。まるで、なにもなかったかのように、結社の名前が羅列してあるのはなぜなんだろう。

そもそも、この「アララギ系」という呼称はいったい何ごとであるか。まるで頭の悪い連中が「なんたら系」と連呼しているような品の悪さで、およそ歌人たちが平気で用いるべき呼び方ではあるまい。
なんでこんな下品な呼称になっているかといえば、要は1997年にアララギが分裂したときに「アララギ派」という歌誌が誕生したのでこれとの混同を避けるという便法に過ぎない。

「現代短歌大事典」の記述によれば、1997年の廃刊後アララギは次の4つに分裂したとされる。
 「青南」代表:小市巳世司
 「短歌21世紀」代表:小暮政次/発行人:大河原惇行
 「新アララギ」代表:宮地伸一
 「アララギ派」代表:常磐井猷麿
この辞典では「青南」、「短歌21世紀」、「新アララギ」の3つのグループについてはそれぞれ短いながらも項目立てがあり、代表やその作歌姿勢などについて記述があるのだが「アララギ派」は独立した項目としては取り上げられていない。理由はよくわからない。(「アララギ派」の代表を常磐井猷麿としているのは「現代短歌大事典」には記述がないのでネットの検索の結果による)

ところがここで不思議なことは、この分裂騒ぎのことはWikipediaでは、

12月に終刊。これを不満とした同人たちの手により、『アララギ派』『新アララギ』『短歌21世紀』の三派に分かれ新創刊され、それぞれ後継結社を名乗った。

という記述になっており「青南」には一言もふれらていないのであります。Wikipediaは異論が出てくるまでは、言ってみれば書いたもん勝ちの百科事典ですから、これは想像するに「青南」を認めていない人物が意図的にやった記述と思われる。なんか悪意を感じるのは考え過ぎでしょうか。

ちなみに「青南」代表の小市巳世司(みよし)は、土屋文明亡き後の「アララギ」編集発行人であったらしいので、普通に考えればアララギの後継者なんでしょうが、どうやらこの方の代にごたごたが起こったのではないかと、傍目には思える。(実際はどうだったのか、もちろんわたしは知らない)

どうでしょう、このあたり人間臭いドラマが隠れているような気がしませんか?

いやアララギの流れをくむ人々の短歌作品そのものとは直接関係のない、結社の人事問題に好奇心を抱くのはわれながら浅ましいような気もするのですが、まあ性分なので仕方がない。(笑)

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