海軍士官は席次が命
海軍士官と言えば、日本の場合、江田島の海軍兵学校がその養成機関である。これはダートマスにしてもアナポリスにしても、たぶん各国共通なのだと思うが、士官養成機関では候補生たちの身体能力を鍛えることももちろん軽視されたわけではないとは言え、ここではなにより学業成績がものを言った。
『闇屋になりそこねた哲学者』木田元(晶文社)によれば、木田さんは昭和19年に海軍兵学校に合格する。すなわち最後の士官候補生であったということになるのだろう。敗戦の一年前、士官不足からたくさん合格させたんだとご本人は謙遜しているが、そうであっても海軍兵学校は秀才がしのぎをけずる難関にはちがいない。
ところで海軍兵学校とは、これを要して言うならば理系の学校であり、なんといっても数学の出来が成績を左右した。
入学後、中学で三角関数までしか習っていない木田さんは、ぺらぺらの教科書で微積分の簡単な授業をうけて、宿題として二十題ばかり次の授業までやってこいと言われた。まあ、ほかの生徒だって同じようなレベルだったのだろうが、なにしろ海軍兵学校は消灯時間というものがある。夜7時から9時までのたった2時間で微積分の問題二十問を解かなくてはならない。いくらなんでもこりゃむりだと、やっと一問解き終えた木田さんはとなりを見て真っ青になった。
なんで真っ青になったのか。以下木田さんの説明をお読みください。こういう、ある意味、みもふたもないというかざっかけないというか、虚飾を廃したものの見方がのちにこの人の学問にも通じるものになったのかもしれません。笑っていいものかどうか、迷ってしまいますけれど。
やっと一題解いて横をみると、隣のやつが二十題みな解いています。真っ青になりました。というのも、この学校では成績が命にかかわるということに気づいていたからです。
兵学校では、三号(一年生)、二号(二年生)、一号(三年生)それぞれ十五名くらいずつ、合計四十五名ほどで分隊という一つの単位をつくって生活を共にしています。入学してしばらくして気がついたのですが、三号の席順はアイウエオ順です。それが二号になると、三号のときの成績順になっています。一号は二号のときの成績順です。そして、その番号順に卒業後の行き先が決まるのです。
たとえば、一番は海軍省にいきます。二番、三番は航空母艦や戦艦に乗る。その次は巡洋艦か駆逐艦。次が航空隊。だんだん下の方になると潜水艦。びりっけつの方は船にも乗れない。陸戦隊。敵の戦車が上陸してくると、地雷なんかを抱かされて飛び込む、どうやらそういうことをやらされそうでした。
ええと、この本はとてもおもしろいのでオススメですけれど、とくに若いころの木田さんの写真が数点掲載されておりまして、これが映画スターをなみの男前で、びっくりいたしました。
顔で海軍の提督を選ぶとすれば、最有力候補になった逸材であったかも知れません。(笑)
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