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2007/03/02

池田澄子さんの俳句

池田澄子さんの句集『たましいの話』と『ゆく船』を読む。
どちらもたいへん面白く、また楽しく読むことができた。ネットでもいろんな方が池田さんの俳句の鑑賞をなさっており、またインタビューも公開されていて参考になる。【こちら】
口語を生き生きとつかったこの作者ならではの言語感覚から生み出される俳句はとても新鮮である。上記のインタビューのなかに師である三橋敏雄に「これがお澄調だよ」と言われたなんて話もあって、ふんふん、と頷く。
わたしが抜いたものはたとえばこんな感じ。

  夕月やしっかりするとくたびれる
  永遠に泣いていたいの心太
  山法師捻挫と恋は長引くぞ
  太陽が仕事している猫やなぎ
  春月がとろんと高しさようなら
  性格のよからんいそぎんちゃくぴんく
  (以上『たましいの話』から)

  夏落葉どこに居ようと年をとる
  山椒魚ついつい山椒魚を産み
  おかあさーんと呼ぶおとうさん稲光
  指先を冬の涌井が誘うのよ
  豆の莢からぽろぽろっと生まれたし
  椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ
  軽い筈なき白鳥を見送りぬ
  初恋のあとの永生き春満月
  青嵐神社があったので拝む
  さらしくじらしみじみ白し雨になる
  (以上『ゆく船』から)

まだまだ、たくさん気に入った句はあるのだが、こういうちょっと軽めでどこかお茶目な雰囲気が、広範な読者に「へえ俳句って意外と面白いじゃん」と受け入れられているのではないかと思う。

もうひとつ、池田澄子さんについては戦争にまつわる作品群があるのだが、たとえば俳句総合誌に掲載された次の句(『たましいの話』所収)をめぐっていささか困った非難があったとのことであります。

  忘れちゃえ赤紙神風草むす屍

つまりこれを、戦争の話なんてかったるいからもう忘れちゃえと作者が言っているのだと解釈した人がかなりいるらしいのですね。「うぜえんだよ、じいさん、戦争、戦争っていつまでも」と言われたように思ったわけであります。
けしからん死者を冒涜するにもほどがある、なんてのはまあいいとして、たとえばあるサイトでは、わたしたちはあの戦争の惨禍を次世代に伝えているだろうか。「『忘れちゃえ赤紙神風草むす屍』の句に対しては、『忘れてはいけない』ときちんと反論ができるでしょうか。」なんて意見があったりして、まあ、大半の俳句ファンは「あっちゃあ」と困惑したのではないかしらと思うんですね。
もちろん、そんな風に受け取るのは読み手がバカである、あるいは俳句の読み方を知らないだけなんだから相手にしてもしょうがないわなという立場もあると思うが、厳密な意味で、このような解釈が誤読だとこの句だけから証明もできないと思う。念のためにいっておくけれど、わたし自身はこの句をそういう風にはまったく読まないよ。小さな娘が泣きながら「お父さんなんて大っ嫌い」というのと同じ文脈で読めなければ、いったいあんたは何年生きているんですか、と思う。
「易」に「言は意を尽くさず」という言葉があるそうですが、俳句という短詩型は、わざと意を尽くさないことをもって上とする文芸なので、こういうことはおこりがちなのですね。困ったことだが、これは仕方がない。

ただ池田さんのこの句には、普遍的な戦争に対するこの世代の方の感情とは別に、池田さん自身のおそらく父親への思いがこめられているという気がしてならない。これは単なる想像で、まあ、いつものわたしの俳句を私小説風に読みたがる悪い癖に過ぎないのかもしれないのだが。次のような句が、空想を誘うのである。

  雁や父は海越えそれっきり
  鉄剤を恃みぬファザーコンプレックス
  雪黒しここは亡父の家路であった
  TV画面のバンザイ岬いつも夏
  泉あり父の若死以前から
  玉砕の島水筒の腐りがたき
  茄子焼いて冷やしてたましいの話

池田澄子さんは昭和11年(1936)生まれ、敗戦のときは十歳くらい。玉音放送を実際に聞いた記憶をお持ちの方である。

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» 俳句の自由について〓〜相対性俳句論(断片) [たじま屋のぶろぐ]
続きです。 前回、 「こうした状況の中から、ひとつの新しい俳句の傾向が生れてきました」 と書きましたが、よくよく考えると、「傾向」というのは言いすぎだったかも知れない。ちょっと、調子に乗ってしまいました。 よくわかってもいないくせに、俺の馬鹿馬鹿。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ さて、その「意味」だけを追って読んでしまうと、誤読してしまう可能性のある作品。あるいは、そこに「意味の意味」を付加されている作品の例が、 忘れちゃえ赤紙神風草むす屍  池田澄子 この句については、... [続きを読む]

受信: 2007/04/21 04:28

» おもうわよー [かわうそ亭]
角川「俳句」8月号、池田澄子さんの連載「あさがや草子」から。 以前、池田澄子さんの戦争をテーマにした俳句を紹介して、そこに父親への思いがあるようだ、ということを書いたことがある。(こちら)おそらくよく知られたことなのだろうが、今回、ご自身の文章でそれを確認することができた。今回の随筆のタイトルは「送... [続きを読む]

受信: 2007/08/14 09:45

コメント

池田澄子さんという方、知りませんでした。
実に新鮮な句ばかりですねえ。俵万智の俳句版というより、俵万智のほうが池田の短歌版と呼びたいような。
「忘れちゃえ―」はもちろん、「うぜえんだよー」という世代を切り取ったもので、これを反「反戦」句と読む人がいたらかなり「鈍感力」の高い人、言語感覚の皆無な人でしょうね。それなら「赤紙神風草むす屍」と重ねたりはしない。
それにしても日本中「鈍感力」だけは旺盛になりましたね。政治家から作家まで。
早速句集を探してみましょう。
教えていただいて有難うございました。

投稿 我善坊 | 2007/03/03 10:46

こんばんわ。そう言っていただくと、わたしも嬉しい。池田さんも(もちろんぜんぜん面識のない方ですが)たぶん嬉しいと言っておいでだと思います。(笑)

投稿 かわうそ亭 | 2007/03/03 23:24

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