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2007/03/08

百貌百言

『百貌百言』出久根達郎(文春新書)は全部で百人の人物列伝。公刊された自伝や評伝からいかにもその人物らしい言葉を引き出す。
ひとりについて新書の見開き左右2頁でまとめる。一話はすぐに読み切れて、どこで中断してもよい。手軽にするする読める本だが、人の生涯のエッセンスを抽出して蒐めたようなものだから中身はなかなか濃い。
内容見本として、四人ばかりその一部を抜いてみる。面白かったらどうぞ新刊書店でも古本屋でも図書館ででもお探しください。

小林一三
小林一三は若い頃は作家志望であった。十八歳の慶応義塾生時代に、東洋英和女学校長ラージが殺害された事件が起きた。一三は早速これに材を取り、「練絲痕」という小説を書き、郷里の山梨日日新聞に送った。採用され連載が始まった。まもなく一三は麻生警察署に連行された。ラージ殺しの内情を知るものと疑われたのである。さほどに迫真の描写であった。この一件を新聞社がいやがり、連載中止を申し入れたため一三は九回で完とした。小説の筆名を靄渓学人(あいけいがくじん)という。

鏑木清方
昭和十五年製作の「一葉」は、樋口一葉を描いたものだが、清方は生前ご本人とは会っていない。モデルは一葉の妹くに子である。くに子が姉に似ているというので、くに子を見て描いた。くに子は背が高かったが、一葉は低かったらしい。姉もそうだったらしいが、少しばかり背が丸まっていた。樋口家は甲州の出である。寒い国の人らしい、と清方は描きながら思った。

井伏鱒二
鱒二が押しも押されぬ作家となった時、老いた母が、お前は小説を書いているそうだが、何を見て書いている、と聞いた。「そりゃいろいろ本も読むし、他人から聞いた話や自分でこさえた話を書いているんだ」と言うと、「それはそれでいいかもしらんが、間違った字を書いちゃいかん」と注意した。

上村松園
小学校を出ると、京都府立画学校に入った。女が絵の学校へ進むなんて、と叔父や親類が猛反対した。母だけが、「つうさんの好きな道やもん」とかばってくれた。明治二十年代は、絵描きは遊び仕事、と一般に考えられていたのである。父は津禰(つね)の生まれる二ヵ月前に亡くなっていた。母の手で育てられた。津禰は鈴木松年の指導を受ける。
勧業博覧会に「四季美人図」を出品した。松年が雅号を考えてくれた。師の名と、生家の商売から茶園の園を取った。女らしい雅号で、何より母が喜んでくれた。松の園生のように栄えるように、と娘を励ました。初めての出品作は一等となり、英国のコンノート殿下が買い上げて下さった。松園は数えで十六歳であった。

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コメント

これは面白いですね。
短い文章の中に短編小説のエッセンスが凝縮しているようです。
是非、読みたいと思います。
ご紹介ありがとうございました。

投稿: maru | 2007/03/08 21:26

こんばんわ。
出久根達郎さん版「ちょっといい話」というところ。
その人物を直接には語っていないように見えて、その実、その人の姿がくっきりと浮き上がるような文章ですね。

投稿: かわうそ亭 | 2007/03/09 00:29

 これは面白そう。電車での生き返り、もとい行き帰り、にもってこいですね。

 出久根さんは、かつての商売柄、1度か2度お見かけしたことがあります。見た目、何の変哲もない古本屋のおっさん、です。でも書きものと同じで誠実さが伺える風貌でした。東京、高円寺、早稲田通り沿いで奥さんとお2人でご商売をしていました。ただ、その頃はもう書きものの方が忙しくなってきていて、お店も奥さんに任せるときが多く、店を閉じている時間も長くなっていたように記憶しています。

 そういえば、出久根さんの出世作、「佃島ふたり書房」を読まずにきてしまいました。少々、申し訳ない気分です。

投稿: renqing | 2007/03/11 15:31

renqing さん こんばんわ。
そうですか。写真で拝見してもごく普通のおっさんですものね。(笑)
出久根達郎さんの古本屋の心得で印象に残っている話。以下抜粋です。

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本を選ぶという行為は、いわば自分の思想をあからさまに表現するのである。お客は自分が見つけた本を帳場にさしだすことによって、売主におのれの心中をのぞかせてしまうわけだ。
古本屋はそれを見て見ぬふりをする。
人の読書の好みをよそにもらさない。これは古本屋の鉄則である。客の立場をかばうのはすべての商売に共通したあきんどの倫理であるが、古本屋の場合はそれがわけても厳しい。戦前、社会運動関係の書物をとり扱った際に、苦渋をなめた経験則から発しているのではないかと私は推測している。

猫阿弥陀
出久根達郎
『猫の縁談』収録

投稿: かわうそ亭 | 2007/03/11 23:19

かわうそ亭さん、どうも。

>売主(つまり、古本屋店主;renqing註)におのれの心中をのぞかせてしまう

 はい。これは、蔵書処分などでご自宅や大学研究室などに伺う折り、露骨に見て取れます。蔵書はその所有者の、読書の趣味の善し悪し、知的な嗜好、知的素養のバランス・厚み、などをはしなくも買主=古本屋店主にバラすことになります。当然、どなたもその蔵書すべてを読破できるとは限りません。しかし、たとえ読み切っていなくとも、蔵書はその持ち主が生涯をかけて、何を選び、何を選んでこなかったか、をそのまま反映してしまう。ある種、「告白」に近い代物なのです。見てはいけないものを見てしまったような気分になってしまうこともありました。

 中国人には生涯、トウ案(トウはキヘンに当の旧字→本人のキャリアの書かれた公式文書)というものがついてまわりますが、蔵書は知的遍歴を記した、いわばそのトウ案なのです。

投稿: renqing | 2007/03/12 01:11

うーむ、なるほど。そういうものなんでしょうね。ちと恐いお話でもあります。

投稿: かわうそ亭 | 2007/03/12 21:04

近所の本屋に『百貌百言』の在庫がなく、アマゾンで取り寄せました。
今、志ん生と小林秀雄の所を拾い読みしましたが、文章の切れ味が鋭く、しかしながらどこかとぼけた味わいがあり、「名人芸」という言葉を思い出しました。

投稿: maru | 2007/03/14 00:28

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