秋艸道人の書
うつしよのかたみにせむといたづきのみをうながしてみにこしわれは
ひとりきてめぐるみだおのかべのゑのほとけのくにもあれにけるかも
おほてらのかべのふるゑにうすれたるほとけのまなこわれをみまもる
秋艸道人*1、會津八一といえば、上にあげた『南京新唱』にあるように一見読みにくい、しかし意味がつかめるとおそそしく流麗な歌詠みとしての印象が強烈ですが、この人は実は若いころは俳句をやっていました。八朔朗の俳号でホトトギスに投句していたのですね。
疋田寛吉『詩人の書』に、この會津八一が叔父の會津友次郎に俳人のくせに字がまずいと叱責されていた話が出てきます。
お前の字はわけがわからぬ。もうちつと字をべんきやうしなくちやいかん。お前は俳句の一つもよむ男だが「悪筆は名歌を掻き消す」といふがお前の如きものをいふのである。
(會津八一『書道について』昭和22年新潟史談会講演)
叔父さんの會津友次郎というのがどういう人であるかはわたしは知りませんが、疋田寛吉によれば會津家というのは新潟の名筆の家系だそうですからそれと知られた書家であったのかもしれません。
ところで、この本によれば、明治維新によってそれまでの近世日本の手習いの主流であった御家流が、明治新政府の方針で断絶し、漢字書道ともいうべき唐様に変わったことが日本人の書にとっては大問題であったということです。(このあたりはすでにわたしの世代ではもう完全にわからない)
こうした仮名書道と漢字書道との分離と対立に対して漢字仮名交じりの「書」をいかにつくりあげるかということに意識的であったのが會津八一であったということらしい。
本書の解説の書家、森高雲はこう述べています。
日本人であるのに中国人きどりで中国書道を崇拝する漢字書道と、現代人であるのに平安の古筆を絶対視する仮名書道とが横行し、現代の日常生活で我々が常用する漢字仮名交じり文による書作の道が拓かれていない、と會津八一は指摘する。
さて叔父の叱責のひとつの原因は、會津八一が左利きのため手本を鵜呑みにひき写すのが困難であったという事情もあったようです。ところが、こうした不利な立場が逆に独創的なものをつくりあげるということはよくあることで、今では會津八一は書家としても評価が高い。「悪筆は名歌を掻き消す」の叔父の叱責のまさに反対のことがおこっているというのも面白い。その独創を疋田寛吉はこのように記しております。
秋艸道人が先人の誰の手本にも因らず、新聞の明朝活字に学んだというのは、既成の書法に対峙させるに、何の飾りもない裸の文字の均整美、あらゆる書法の昇華というべき活字体をもってしたのだ。この発想こそは近代ならではのものということができる。古法を旨とする立場からすれば、これほど割り切った異形はあるまい。
會津八一の書は、探したところ早稲田大学がウェブでその画像データベースを公開していました。*2
*1)秋艸道人=しゅうそうどうじん
*2)もっとも、システムとしては使い勝手が悪い上に、画像の質もお話にならないくらい悪い。せっかく公開するならもう少しまともなものはできないのかなあ。
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