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2007年4月

2007/04/25

秋艸道人の書

うつしよのかたみにせむといたづきのみをうながしてみにこしわれは
ひとりきてめぐるみだおのかべのゑのほとけのくにもあれにけるかも
おほてらのかべのふるゑにうすれたるほとけのまなこわれをみまもる

秋艸道人*1、會津八一といえば、上にあげた『南京新唱』にあるように一見読みにくい、しかし意味がつかめるとおそそしく流麗な歌詠みとしての印象が強烈ですが、この人は実は若いころは俳句をやっていました。八朔朗の俳号でホトトギスに投句していたのですね。

疋田寛吉『詩人の書』に、この會津八一が叔父の會津友次郎に俳人のくせに字がまずいと叱責されていた話が出てきます。

お前の字はわけがわからぬ。もうちつと字をべんきやうしなくちやいかん。お前は俳句の一つもよむ男だが「悪筆は名歌を掻き消す」といふがお前の如きものをいふのである。
(會津八一『書道について』昭和22年新潟史談会講演)

叔父さんの會津友次郎というのがどういう人であるかはわたしは知りませんが、疋田寛吉によれば會津家というのは新潟の名筆の家系だそうですからそれと知られた書家であったのかもしれません。
ところで、この本によれば、明治維新によってそれまでの近世日本の手習いの主流であった御家流が、明治新政府の方針で断絶し、漢字書道ともいうべき唐様に変わったことが日本人の書にとっては大問題であったということです。(このあたりはすでにわたしの世代ではもう完全にわからない)
こうした仮名書道と漢字書道との分離と対立に対して漢字仮名交じりの「書」をいかにつくりあげるかということに意識的であったのが會津八一であったということらしい。
本書の解説の書家、森高雲はこう述べています。

日本人であるのに中国人きどりで中国書道を崇拝する漢字書道と、現代人であるのに平安の古筆を絶対視する仮名書道とが横行し、現代の日常生活で我々が常用する漢字仮名交じり文による書作の道が拓かれていない、と會津八一は指摘する。

さて叔父の叱責のひとつの原因は、會津八一が左利きのため手本を鵜呑みにひき写すのが困難であったという事情もあったようです。ところが、こうした不利な立場が逆に独創的なものをつくりあげるということはよくあることで、今では會津八一は書家としても評価が高い。「悪筆は名歌を掻き消す」の叔父の叱責のまさに反対のことがおこっているというのも面白い。その独創を疋田寛吉はこのように記しております。

秋艸道人が先人の誰の手本にも因らず、新聞の明朝活字に学んだというのは、既成の書法に対峙させるに、何の飾りもない裸の文字の均整美、あらゆる書法の昇華というべき活字体をもってしたのだ。この発想こそは近代ならではのものということができる。古法を旨とする立場からすれば、これほど割り切った異形はあるまい。

會津八一の書は、探したところ早稲田大学がウェブでその画像データベースを公開していました。*2

*1)秋艸道人=しゅうそうどうじん

*2)もっとも、システムとしては使い勝手が悪い上に、画像の質もお話にならないくらい悪い。せっかく公開するならもう少しまともなものはできないのかなあ。

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2007/04/24

アクセス解析の表示

ココログの新しい機能で、アクセス解析の情報の一部をサイドバーに表示できるようになった。
「人気記事ランキング」と「検索フレーズランキング」というのをとりあえず入れてみた。
「人気記事ランキング」というのは、名称が大げさだが(これはデフォルトで変更できない)要は、一定の期間内で読まれた記事をそのアクセスの多かった順番に並べたものである。「検索フレーズランキング」の方はどういう検索ワードでわたしのブログに辿り着いたかを並べたもの。
どちらも設定としては昨日分、過去7日分、過去30日分、過去4ヶ月分の4つの中からその解析ができる仕組みなのだが、あまり対象とする期間が長いと、そのランキングは固定化されてあまり大きく変わらない筈なので、どちらも昨日分という設定にしております。ころころ変わる方が面白いからね。
つまり昨日、どの記事がよく読まれたか、どんな検索ワードでここにやって来てくれた人が多いかがこれでわかるわけです。
古い記事がなんらかのトピックによって浮上して読まれているなんてことがわかって結構おもしろいのではないかと思います。

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2007/04/19

飴山實全句集

このあいだうちから少しずつ読んでいた『飴山實全句集』(花神社)を読了する。

2000年3月16日、七十三歳で亡くなった飴山實(みのる)が俳句を始めたのは、巻末の自筆年譜によれば1944年に第四高等学校の寮に入った十八歳のときだったというから、その俳句歴はかるく50年を超える。しかし、生前に出した句集は五冊だけである。

『おりいぶ』(1959)
『少長集』(1971)
『辛酉小雪』(1981) 
『次の花』(1989)
『花浴び』(1995)

本書にはこの五つの句集と、俳句雑誌や新聞(晩年飴山は朝日俳壇の選者でもあった)などに発表した作品、その他未発表の句帖からの収録などを含めて一八二九句が収められている。監修は大岡信である。その大岡の「跋」によれば本来ならばこの全句集の刊行は、飴山が兄事していた安東次男に託されるべきものであったけれども、そのとき安東はすでに病床にありこれを果たせる状態ではなかったために大岡が関わることになったとある。

飴山の略歴は、とくにここでわたしが書くまでもないことだが、ひとつだけわたしにとって重要なことは、この俳人が1969年から山口大学で教鞭をとった(飴山は発酵醸造学の教授でもある)ことであり、最晩年もまた山口市の自宅で過ごし、朝日俳壇の選考には毎週宇部空港から東京築地まで通うなど、山口県に縁があることだ。飴山が山口市に赴任した頃は、わたしは14、5歳の少年で、ときどき市内の本屋などをうろうろしたこともあるので、どこかですれ違ったことがないとも限らない。が、そういうことより何より、この俳人の作品に山口の風景が出て来るとしきりに懐かしいのである。
ということで、そういう作品のみをもっぱら自分のために抜いてみた。

 一ト畑は嫗のほまち桃の花
 川自慢それから鮎と酒のこと
 初夏のむらさき透ける貝の殻
 秋の蜂萩の土塀を西東
 新豆腐写経の筆を買ひに出て
  秋吉台
 火の雫こぼす松ある野焼かな
 花の雨お百度石をよごしけり
 残生やひと日は花を鋤きこんで
 卯の花のこぼれては浮く堤かな  *堤は溜池
 萩までの往還にして花野かな
 酢牡蠣してまなうらに雪ふりつづく

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2007/04/18

Empire Falls

2007_0418 「Empire Falls」を見る。
2005年5月に全米のHome Box Officeで二夜に分けて放映されたテレビ・ムービーだが、出演者が豪華なことで話題になったようだ。日本ではwowowが先月放映した。

主人公はエンパイヤ・フォールズというさびれた町の食堂エンパイヤー・グリルのマネージャーであるマイルス・ロビーという一見冴えない男。これをエド・ハリスが演じている。その父親役にポール・ニューマン。マイルスの別れた妻がヘレン・ハント。食堂のオーナーであり、町を事実上支配している一族の冷酷な女主人フランシーンにジョアン・ウッドワード(ポール・ニューマンの奥さんですな)。
回想シーンに登場するマイルスの死んだ母親がロビン・ライト・ペン。(ショーン・ペンの奥さんですが、わたしこの女優を「Message in a Bottle」で知ってからのファンであります)彼女が休暇中に情を通じたC.B.という男が実は町の支配者一族の旦那(つまりフランシーンの夫)なんだけれど、これを「capote」のフィリップ・シーモア・ホフマンが見事に演じている。そのほかに、町の警察官のウィリアム・フィクトナーなど、個性的で一度見たら忘れられないような役者がたくさん登場する。
原作はリチャード・ルッソの小説で2002年のピュリッツアーを受賞。このTVムービーもエミー賞やゴールデングローヴ賞を受賞しているそうであります。

さて、この映画、錯綜した人間関係のなかで、あきらめていた夢や、自尊心を取り戻す勇気や、親子の愛情など様々なことを描いたなかなかいい作品なのだが、後半で学校での銃乱射事件がひとつの山になります。
ひとりの孤独で内気な少年が、マイルスの娘ティック(ダニエル・バナベーカー)に思いを寄せる。ティックは賢くて美しい少女だが、どちらかといえばおとなしく、美術関係に進むつもりのようだ。この少年がフットボールの花形選手で親分気取りの生徒にいじめられるのを、彼女はかばって美術クラスでは同席してやっている。(校長がそうしてやってほしいとたのむのを承諾したのだ)しかし貧困家庭で祖母以外の保護者もなく、学校では孤立し執拗ないじめにあっている少年に対して、「親切」で応えることはできても、それ以上の少年の望みには応えてやることはできないティック。
やがて破局が訪れる。
少年の抱き育んだ「夢」は生徒たちに銃弾を浴びせ、ティックを撃ち殺すことだった—

報道によれば、一昨日のヴァージニア工科大の「shooting rampage」の犯人も、なにか暗い「夢」をその心の奥底で育てていたように思える。この事件の背景は、よくわからないが、焦がれるほどの恋慕にとっては、「ただ親切なだけ」は拒絶よりかえって仇になることもある。あるいはそういうことだったのではないかという気がするな。

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2007/04/17

幕末・維新

『幕末・維新—シリーズ日本近現代史1』井上勝生(岩波新書)を読む。
全10巻のこのシリーズ、第1巻目の本書はペリー来航から西南戦争までをあつかう。

明治新政府に対する評価というのは、戦前はもちろん、戦後も一貫して好意的ものが多いような気がする。もちろん、たとえば山田風太郎の明治小説全集のようにかれらのいかがわしさがよく出ているものもあるが、これは明治政府に対する肯定的な見方の方が多数派であって、そうでない山田風太郎の視点が新鮮だったということであり、このことは逆に一般的な明治新政府への好感を証明していたともいえる。
こういう幕末から明治にかけての、われわれ現代人の歴史観に大きな影響を与えたのはおそらく司馬遼太郎だろう。
明治新政府は「けなげ」である。東アジアの弱小国が帝国主義的な欧米列強に支配されまいと必死に知恵を絞り、したたかな現実感覚で国の舵取りをおこなった、とかなんとか。

わたしも経験があるが、日本のアジア侵略の歴史について英語圏の人と議論をする場合は、こういう19世紀後半の東アジアの情勢から説き起こさざるをえなくなる。
まあ、こちらの語彙が貧弱だから、幼稚な表現になるのは仕方がないが、要点は次のようなことである。

なるほど、日本の侵略戦争は現在からみればあきらかに間違いである。しかし、日本が欧米の軍事力の威嚇によって開国を余儀なくされた1860年代のことを考えてみてくれ。この時代に植民地支配を目的としてアジアに進出していたのはキミたちの先祖のほうである。もし日本が王政復古による国家統合に失敗していたら、アヘン戦争の次は日本が標的になり、日本は当時の藩という分割された単位でいくつかに分割され、一部は英国に、一部はアメリカに、一部はフランスに、そして別の一部はロシアの植民地かそれに準ずるような属国にされていたのではなかろうか。そういう弱肉強食の国際関係に当時はあったのであり、そのなかで前の徳川政権の負の遺産である不平等条約を清算し、欧米列強に伍して国家の独立と尊厳を守るためには、その時代にほかの選択はなかったのではないだろうか。日本のアジア侵略と植民地化の歴史をキミたち欧米人に非難されるいわれはないと思うがね。

「まあ、そうね」と連中は言い、「でもさ、イギリスにしてもフランスにしても、かつての植民地だった国から、いまでも日本ほど嫌われてはいないみたいだけどさ」なんて嫌味を言われて、「はは、まあそうね」とこちらも力なく笑うなんて展開になるのでありますね。

さて、ところが本書『幕末・維新』は、こういう明治新政府「けなげ」説に真っ向から礫を投げつけるような新鮮な近代史でありまして、上のような歴史観をもっているわたしにはどうも居心地が悪かった。
たとえば徳川政権の負の遺産である不平等条約と、あなたがたは簡単に言うけれども、そもそもその外交実務を担当した徳川政府の実務担当者の評価ははたして正当なものですか、というようなところから掘り起こして、さまざまな史料から通説をつきくずして行く。
あるいは、1860年代の日本は危うかった。あわや列強の植民地にされてしまってもおかしくはなかったのだと、あなたがたは言うけれど、それは事実誤認というべきもので、冷静に当時の東アジア情勢と日本に対する列強の利害関係を分析すればそうでなかったことがわかるはずだと著者の井上氏は言う。

幕末後半期の日本の国際的環境を以上のように見ると、幕府と薩長、両陣営の対立が深刻化する中で、日本に最大の影響力を持つイギリス外交は、中立、不介入の路線を確定しており、それを明確に表明もしていた。イギリスの判断の基礎には、列強の勢力均衡という日本の地勢、日本の政治統合の高さ、イギリス海軍の能力の限度、貿易のおおむね順調な発展、大名の攘夷運動の終息、西南雄藩の開明派の台頭などがあり、中立、不介入方針は確立された。
日本に国際的な重大な軍事的危機が迫っていたわけではないのである。対外的危機からの脱却が何をおいても必要だったという国際関係を前提に急進的な政治改革を必然的なものと描き出す見解が、従来有力なのだが、冷静に再考されるべきである。たしかに、軍事力、経済力の格差は大きく、日本に一般的な対外危機がなかったとはとてもいえない。しかし、列強、とくに影響力が大きかったイギリスにしてすら、日本を植民地化するような具体的な侵略的介入をする可能性は、当時の政治の動向からいえば、実は低いものであった。
幕末・維新—シリーズ日本近現代史1
井上勝生(岩波新書)p.146

通説に異議を唱え、開国後の日本の発展を可能にしたのは、むしろ徳川期に準備されていた信用制度や民衆の教育水準であり、全国の中小の商人たちが開国をチャンスと見て積極的に活動していたことを実証する。説得力のある、刺激的な本であります。
日本の近現代史をわれわれが書き直すという意図やよし、ということでこのシリーズには期待するが、同時にこの執筆者たちへの批判も大いに期待したいと思うな。
じつは、わたしは言い負かされたようで、少々くやしい思いをしているのであります。(笑)

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2007/04/11

通のスタバとか

写真のプリントを頼んで、出来上がるまでの半時間ばかりをスターバックスで本を読みながら待つことに。
後ろに列ができていなかったので、「うーん、何にしようかなあ」とボードを見あげてしばらく迷っていたら、カウンターの女性が「あの、よろしかったら写真付きのメニューもありますけどご覧になりますか」と助け舟を出してくれた。もちろん親切で言ってくれたのだが、要領のよくわからんオッサンと思われたのも確かでありますな。ああ恥ずかしかった。(笑)
まあ、別に凝ったものが欲しいわけではないのだが、ときどき変わったオーダーをしたくなるのね。牛どん屋の「並、玉、つゆだく」みたいなものか。(ちょっと違うか)

ということで、普段は「ラテのショート」などとありきたりのオーダーばかりしている方(つまりわたし)は、スターバックスの「オンライン・カスタマイズ体験」などいかがでしょうか。【こちら】
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できあがったレシピはプリントアウトしてもっていけば実際にオーダーできるらしいけど、しかしねえ、たとえば「ホワイト・チョコレート・モカのアイスをグランデで、エスプレッソショットを1杯追加してヘイゼルナッツ・シロップを加えて、あ、そうだミルクは低脂肪乳に変更してね、でもってチョコレートチップも追加したのが、ボクのマイドリンクなんだよね、よろしく」なんて客が立て込んだときにホントに来たらどうするのだろうと人ごとながら心配になりますね。
いや、こんな注文をする勇気、わたしにはとてもありませんです、ハイ。(笑)

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2007/04/07

かいなをのめり

『能村登四郎の世界』大牧広(邑書林/1995)は奈良の古本屋で買った本。帯に能村登四郎自身による推薦の言葉がある。

自分の事で少々面はゆいが、今度大牧広さんが『能村登四郎の世界』という本を書いてくれた。大牧さんはもともと筆の立つ人であるが、今度の文章も筆緻が柔らかく書き手の誠実さと情がこまごまと行き渡っている。その上選句眼がしっかりしているので選ばれた作品がその作者の人生をそのまま綴っている。書かれた私も感謝をし満足している。そのような好著で是非皆さんにおすすめしたい。

ということなので読んでみたのだが、どうにもわたしには首を傾げる箇所がある。
それは能村の第一句集『咀嚼音』の次の句の鑑賞である。

 ふかく妻の腕をのめり炭俵

昭和27年の作で、俳人協会編の『自註現代俳句シリーズ能村登四郎集』の能村による自註文が引用されている。こういう文章だ。

その頃家庭燃料として炭は貴重品だった。大切に使っていた炭も乏しくなったのか妻は肩が没する程ふかく俵の中に手を入れて炭をさぐっていた。

大牧氏はこの能村の文章からさらに筆を進めて次のように書く。

ことに「肩が没する程」という描写は、炭俵の中の残り少なくなった炭を一かけらでも無駄に使うまいとする主婦の切実な気持ちが的確に描かれている。当時の主婦の仕事としてみれば、ごくなんでもない動作であったろうが、作者能村登四郎は、この時の妻の光景を、やはり、単に炭をすくいとる動作でなしに、かぼそい身体をそのように使うことによって自分の家庭を守ろうとする一途な姿と感じとった、と見てよいのであろう。決して豊かでなかった能村家をまかせられた妻への、これは作者の目に焼きついて離れない光景であったろう。
もう一度ふりかえって鑑賞したとき、〈ふかく妻の〉という字余りの表現が、読む人の胸を深くうつことに気づく。〈ふかく妻の〉の六音は、これは能村登四郎のぎりぎりの表白をするための、どうしても変えることのできない声調であった筈である。〈妻ふかく〉と仮に表現が在ったとしてみると、単に報告に終わってしまう。次に〈腕をのめり〉と続いたにしても、味わいの薄くなることは避けられない。作者にとって、炭俵から炭をとろうとする妻の前のめりの深さが、感動の全てであったのである。

とてもすぐれた鑑賞だと思う。ただし、最後の箇所「妻の前のめりの深さ」という意味がすぐにおわかりになるだろうか。
じつは〈ふかく妻の腕をのめり炭俵〉を掲げたあとで、大牧氏はこのように鑑賞の筆を起こしているのである。

一昔前まで町の炭屋(この商売も今は見ない)で、炭俵を見るたびに、この句が浮かんできたことを思い出す。(中略)中七は「かいなをのめり」と読む。「のめる」は、「前の方に倒れかかる」という意味。

つまり、妻が腕を炭俵に深く差しいれているために前のめりになっているという風に読めというのであります。
ここを読んだときにわたしは、「えっ?」と思った。いや、じつはいまもひかかっている。
わたしにはどう考えても、これは〈ふかく妻の腕を呑めり炭俵〉すなわち「炭俵が深々と、妻の腕を呑んでいる」という読みしかありえないような気がするのですね。前にのめる、つんのめるなどの「のめる」というのは国語辞書によれば自動詞として通常はつかわれるはずですが、そもそも「腕をのめる」というような表現が日本語として一般的なのだろうか。

しかし、この本は、あとがきによれば大牧氏の主宰する「港」に5年にわたって発表されたものだという。その間に結社「港」の同人をはじめ会員の多くの目をくぐっているはずである。能村登四郎もこの本にあらわれた選句眼は確かであると太鼓判を押している。当然、この文章だって目を通したはずだが、とくに異論はなかったのだろう。邑書林の編集者も何回もゲラのチェックをし、疑問があれば著者と念入りな打ち合わせを繰り返しているはずである。もしこれが間違いならとうの昔に訂正されているはずだ。
ということは、やはり、わたしの「腕を呑めり」などという読みは、初級者の浅はかな間違いでなければならない。

しかしなあ、「腕をのめる」なんて言うかなあ。(笑)
どなたか、すっきりした説明をしてはくださらないでしょうか。

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2007/04/04

Hybrid Images

けっこう疑り深い人でも自分が見たものを疑うほどの懐疑家はまれである。 この目で見た、確かだ、間違いない、絶対だ。しかし人間の視覚というのは実は案外たよりない。だからマジックという芸が成立するのでありますね。

たとえば、視覚イメージをあなたの脳がどのように解釈するか、簡単にたしかめてみてください。こういう合成写真をハイブリッド・イメージというらしい。【こちら】

Groupfacehybrid_2

三人の女性の表情をどう解釈するか。目をこらしてよく見てください。わたしには悲しくてすこし涙をこらえているようにも思える。 では、すこし目をすがめて見るか、あるいは椅子から立って3、4メートルばかり離れたところからもう一度この写真を見てみてください。 あらら、三人ともにこやかに微笑んでいるではありませんか。

20070404 別の写真です。
どう見ても、アインシュタイン。でも、さっきと同じようにすると別の人物が現れます。
とくにこの写真は、画面からちょっと目をそらして周辺視野のところでぼんやりこの写真を意識するとマリリンがいるような気がして、あれっと写真に意識を向けるといきなりアインシュタインに戻るので、わかっていてもちょっとびっくりする。
こうした脳のイメージ解釈の研究は広告に応用されているのだそうですな。

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2007/04/01

待っていた妻たち

ええと、ご同輩の皆様のところはまさかそんなことはないと思いますが、妻がですね、なにやらやたら熱心にパンフレットを読んでいるので、なにをそんなに真剣に調べているのかと思ったら、今日から施行された離婚時の年金分割制度のことであったなんてのは、あんまり洒落になりませんな。この日がくるのをわたし待ってたのよ、なんて奥様にガツーンと言われた方はいらっしゃらないでしょうな。くわばら、くわばら。(いやじつはわたしはさっそく嫌味で言われてしまいましたがな。あーあ)

まあ年金分割は嫁資(かし)とは別の話でしょうが、たまたま心中天網島の、箪笥にゴンならぬフーインの先日の記事から、ゲルマンの家父長権やローマ法における嫁資の扱いにまで話題が広がったのはびっくりであります。

で、あんまり山の神連中に脅迫されるのも癪ですので、仕返しにこういう引用を。マッチョのショーヴィニストと言わば言え。(笑)

古いギリシアの結婚の契約のことは知っていた。娘が品物や土地を持ってくる。それに対し、男はただ男らしさを持っていればいい。これで五分五分の取り引きだと考えられていたのだ。

スチュアート
『この荒々しい魔術』

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3月に読んだ本

『漢字と日本人』高島俊男(文春新書/2001)
『句集 ゆく船』池田澄子(ふらんす堂/2000)
『「ならずもの国家」異論』吉本隆明(光文社/2004)
『中国共産党 葬られた歴史』譚璐美(文春新書/2001)
『シェル・コレクター』アンソニー・ドーア/岩本正恵訳(新潮社/2003)
『百貌百言』出久根達郎(文春新書/2001)
『丸山眞男講義録〈第3冊〉』(東京大学出版会/1998)
『論語 下』吉川幸次郎(朝日文庫/1987)
『厄除け詩集』井伏鱒二(日本図書センター/2006)
『Thank You, Jeeves』P.G. Wodehouse(Penguin Books)
『奇術師』クリストファー・プリースト/古沢嘉通訳(早川文庫/2006)
『銀座の職人さん』北原亞以子(文春文庫/2000)
『金沢|酒宴』吉田健一(講談社文芸文庫/1991)
『無言詣—加藤三七子句集』(角川書店/2006)
『闇屋になりそこねた哲学者』木田元(晶文社/2003)
『季語の底力』櫂未知子(日本放送出版協会/ 2003)
『地球礁』R.A. ラファティ/柳下毅一郎訳(河出書房新社/2002)
『江戸の恋—「粋」と「艶気」に生きる』田中優子(集英社新書/2002)
『パリの周恩来—中国革命家の西欧体験』小倉和夫(中公叢書/1992)

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3月に観た映画

シリアナ(アメリカ/2005)
監督:スティーヴン・ギャガン
出演:ジョージ・クルーニー 、マット・デイモン 、クリストファー・プラマー 、ウィリアム・ハート

UDON(2006)
監督:本広克行
出演:小西真奈美 、鈴木京香、小日向文世

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