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2007/05/17

俳句の技法(承前)

今日の話は昨日の続き。

新潮社の季刊誌「考える人」の最新号(2007年春)の特集「短編小説を読もう」の冒頭に丸谷才一のインタビューが掲載されています。聞き手は湯川豊。ちなみにこの特集はなかなか読み応えがありまして、このインタビュー記事の次には村上春樹への15の質問、それから川上弘美のインタビューや、高橋源一郎と橋本治の対談なんかもある。さすが新潮社という貫禄であります。

さて、この丸谷才一のインタビューのなかに、前回マクラをふった楸邨の鰯雲の句が登場するのですね。文脈は短編小説と言うのはどういう楽しみ方をすればいいのかといったところですけれど、ここでは短編小説とのつながりはとりあえず置いて、この句の解釈だけ引用します。

加藤楸邨さんの「鰯雲人に告ぐべきことならず」。その解釈(1)。鰯雲がきれいだなあと見ている。ところで、自分が今悩んでいるあの女の問題(あの金銭の問題でも何でも)は、だれにも相談できない。やっぱりいわないほうがいい。沈黙を守ろう。もうひとつの、解釈(2)。ああ鰯雲きれいだな、これをいってもだれもわかってくれないな。二つの解釈で、たぶん俳句の初心者は(2)だけで考えていると思う。そして俳句の専門家は(1)だけで考えていると思う。おそらく、僕は(1)と(2)の解釈の二つが紛れるところが、俳句のあいまい性で、俳句のおもしろさなんだろうと思うんです。正解がどっちとも言えないところがおもしろい。

ここで丸谷さんがあげている(1)の解釈というのは、「鰯雲」(季語)と「人に告ぐべきことならず」(十二音)との間に直接の関係がないということですから、遠藤さんの言うところの「十二音技法」流の解釈であります。

これを丸谷才一は「俳句の専門家」の解釈だと見ているわけですが、「週刊俳句」で遠藤さんが言っておられるのは、むしろこういう五音の季語とそれ以外の十二音の間をわざと離して、そこに二句一章あるいは二物衝撃の効果を生むテクニックというのがハウツー方式で量産される俳句初心者の安直な技法になっているという批判であるように思われます。

事実、わたしのような初心者もこのテを多用していますから、丸谷さんの見方はかならずしも実態を正しくとらえていないと思う。 むしろ(1)は初心者もふくめて俳句の技法を多少でも習ったことがある人。(2)は俳句の作り方と読み方(乱暴に言えばこれは同じものですが)を読んだことも聞いたこともない人、であると見ていいのではないでしょうか。つまり片やごく初心者からベテラン、専門家までがひとくくりのグループになり、片や俳句に興味がなかったり、俳句になじんだことのない人々がもうひとつのグループになる。

そう考えると、多少意地悪く言えば、「十二音技法」に対する反発は、初心者が専門家面をして俳句を語っている(かのように見える)ことへの不快感が原因であると言えるのかもしれません。

さて、この丸谷さんの発言は、もともと俳句をテーマにしているわけではありませんから、少々言い足りないところが当然ありますね。

たとえば解釈(1)は、女の問題にせよ金の問題にせよ、人に告ぐべきではない具体的な問題がなにかその人に「ある」という読みですが、これとは別に解釈(3)、とくにこれといって具体的な問題は「ない」としても、「はあー、もうなんだか生きていくのがいやになったなあ」と深いため息をつくようなことも人間だもの、時にはありますよね。しかし、そういうことは、いい大人が口に出して言うようなことではない。ああ、これってなんか鰯雲を見たときの感じになんだか似てるみたい、というような読みもあっていいでしょう。まあ、こういう多義性を楽しむというところが丸谷さんの言う「俳句のあいまい性」「俳句のおもしろさ」なんだと思う。

ということで、最後の解釈(3)をわたしの答案といたします。(笑)

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コメント

たいへん面白く拝読しましたところで、愚考します解釈(4)を。

作者は、女(あるいは金)の問題や、(理由も無く生きていくのがイヤになった、みたいな)ウツ然たる思いを、いい大人のくせして、じつは、さんざん人に言ってしまった。
その後悔が、空一面にまだらに広がる鰯雲を見るにつけ、とめどもなく押し寄せてくる。
「鰯雲人に告ぐべきことならず」の背後には、「告げた」事実が「ある」。

ということで、丸谷才一さんの「俳句のあいまい性、俳句のおもしろさ」に一票でしょうか。(笑)

投稿: 黒子 | 2007/05/18 11:32

そ、そうか、と口をあんぐり。その解釈は思ってもみなかったなあ。コペルニクス的転換ですが、これはけっこう行けますね。すごい。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2007/05/18 21:51

皆さん色々なことを仰るのですね。大好きなこの句をよむとき、私には一つのイメージがある。
初老の紳士である。彼は、手ぶらで散歩の途中である。
セルの一重の着物に、素足に下駄を履いている。
胸の中に、何か屈託を抱えている彼が、ゆるい上り坂にさしかかり、ふと立ち止まって見上げた広い天に、鰯雲が平然として広がっている。
この句は、その一瞬の絵のような魅力をあますことなく
表している。と思っている。 女のことだと? お金のことだと?もう喋ってしまっているのではないかだと?
お粗末な鑑賞力だこと。

投稿: 入谷亭鍋の守 | 2012/08/10 15:31

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受信: 2007/05/19 01:45

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