丸山眞男講義録
東京大学出版会から出ている『丸山眞男講義録』全7冊を通読する。今年の2月から月に二冊くらいのペースで読んできたことになる。読書の一区切りと言うことで以下メモとして。
このシリーズは、東京大学法学部における丸山の講義のなかから七年分を取り出してその復元をはかったもの。
丸山眞男が東洋政治思想史の講義を担当しはじめたのは戦前の1943年からである。制度上、1966年度まで東洋政治思想史という名称になっているが、いうまでもなく実際は日本政治思想史である。途中、応召や病気入院などで中断はあるが、1968年度まで毎年この講義を中心にして、政治学、政治学史の講義も行った。
1968年度(1968.4-1969.3)が最後となったのは理由がある。
ある年代から上の方には、あまり説明はいらないが、この頃は全国のキャンパスがヘルメットをかぶった学生で埋めつくされ、建物はバリケード封鎖されていたような時代であります。東大法学部研究室は1968年12月に全共闘によって封鎖。安田講堂の陥落が1969年1月19日。
第7冊巻末の「講義年譜」によれば、1969年2月21日、冬学期、第一回目の日本政治思想史講義は教室に入り込んできた活動家学生との討論にきりかえられた。3月7日の第三回目の講義も同様であり、丸山は入院、立教大学教授の神島二郎が担当教官として以後の講義を代行ということで、この学期の講義は「フンサイ」されてしまったようです。このとき、丸山54歳。
以後、病気入院などで講義は休講となり(大学院生の演習は自宅などでもやっていたようですが)1971年3月に停年を待たずに東京大学教授を辞職しますので、実質的には1967年度が学部講義としては最後になる。
さて、生前に丸山眞男はこれらの四半世紀にわたる歴年講義のなかから四つをえらび、東京大学出版会から講義録を刊行する予定であった。
日本政治思想史については、戦後初期の講義として一九四八(昭和二十三)年度、講義の全体構想の大きな転機となった一九六四(昭和三十九)年度、また学部講義の最終段階を示すものとして一九六七(昭和四十二)年度、さらに法学部でただ一度行われた一九六〇(昭和三十五)年度政治学講義がそれである。それらの講義録を「歴史的記録」として残すことは、先生の長年の願望であり、退官後、時に病床にありながらも、講義録の整理と補充に従事してこられた。しかし、ご病状の急速な悪化により、先生はついにそのお仕事を果たされることのないまま、一九九六年八月十五日にご逝去の日を迎えられた。(「刊行の辞」より)
とまあ、そんなわけで丸山門下の四人の日本政治思想史研究者(飯田泰三、平石直明、宮村治雄、渡辺浩)が東京大学出版会の委嘱でこのシリーズの編集を担当した。
各冊の講義名と年度を転記しておく。
第一冊 日本政治思想史1948
第二冊 日本政治思想史1949
(以上二冊は占領下で行われた講義)
第三冊 政治学1960
(60年安保闘争の年に行われた政治学講義)
第四冊 日本政治思想史1964
第五冊 日本政治思想史1965
第六冊 日本政治思想史1966
第七冊 日本政治思想史1967
(四年間にわたって通史的に語られた日本政治思想史)
各冊の内容についてコメントする気はいまはないが、じつにスリリングな読書体験でありました。
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